8月17日14年今日の糧

昔の人は言いました
マルコ7章1-13

エルサレムから来たファリサイ派と律法学者がイエスを非難する
彼らは律法を研究し、厳格に守る具体的な教えを与える教師達。
イエスの教えと活動を律法に適ったものか検証するために来た。

彼らの批判は何か
イエスの弟子たちが正しく宗教行為をしていない。
つまり宗教者としてふさわしくないということ。
彼らの考えの中心は宗教や信仰というものは、
人が神の前に正しく清くあるためのものだ。
しかし、彼らが大事にする「昔の人の言い伝え」は
旧約聖書の律法 そのものではない。
後から人間がつけ加えた教え。
掟がどんどん拡大解釈されたものだ。
それに対しイエスの掟は愛の掟だ。 
(マルコ12:29-31 )
 
イエスは言い伝えを守らない弟子を責めない。
なぜなら、イエスの弟子達は自分の判断で行動する自由な集団だから。
欠点のある弟子を、イエスは彼らが神の掟に生きる者となるように導いていた。
イエスが大切にしたことは、主なる神様を本当に信じ、信頼して依り頼み
自分を神様に委ねて従っていくことだ。

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イエスは、ファリサイ人と律法学者を偽善者と言う。
偽善者=ヒュポクリトス=役割を演じるとの意味がある
自分を目立たせるために、勝手な指揮をする合唱指揮者を指す
社会の中で人からの評価、誉れを求めることに重点を置く。

当時の社会でその一例がある。
「神への供え物」の言い伝えのために十戒の第五の戒め「父と母を敬え」
をないがしろにするように導く指導者たちがいた。それは大きな偽善の罪だ。
その偽善からの解放、 つまり人の評価を気にする思いからの解放は
神のもとに来て、神を信頼する。神のものとして礼拝を捧げることだ。(ロマ12:1 )

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by hiraoka-joyful | 2014-08-17 16:38 | トピックス  

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