11月15日15年今日の糧

イエスの十字架を願った人々
マルコ15章1~15節

イエスはついにローマの総督ポンテオ・ピラトの下に引き渡される。
その出来事は使徒信条の中で、「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と、教会の信仰告白になった。イエスはまさに彼が生きた時代の現実の中で裁かれ、苦しんだ。訴えられたイエスの罪状はユダヤ人の王と吹聴していることとされた。これは、祭司長たちが問題とした「イエスはキリスト」である、こととは違う。パレスチナ地方の反乱を背景にして。ピラト(権力者)には反逆者が問題だったから。

しかし祭司長たちの訴えにイエスは沈黙を貫く。では、イエスは誰なのか。
後のキリスト教会はその姿に、苦難の僕の姿を見出す。(イザヤ53:7)
その沈黙はピラトすらも動かす。彼は死刑囚への恩赦として、イエスを釈放しようとしていた。そこにもう一人の囚人バラバが登場する。群衆はユダヤ人の権利として恩赦をもとめる。ピラトは危険分子のバラバを釈放したくなかった。
しかし群衆はバラバの釈放を求める。彼らもイエスが愛した者たちだった。
人のゆがんだ罪が最も大きく働くのは、愛を否定することだ。
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イエスは無抵抗のまま十字架への決定を受け入れた。そこは
1)イエスを捨てる父なる神の手
2)イエスとともに苦しむ父なる神の手だ。だからこそ
十字架は互いを支配しようとする力を裁ち切る。
十字架は互いを受け入れてゆく新しい関係を紡ぐ。
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by hiraoka-joyful | 2015-11-15 13:33 | トピックス  

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