7月2日17年今日の糧

天と地の間にあるもの

創世記1章26節―31節

 

唯一の神が自分を我々と表現するのは、天地を創られた神に、語りかけ応答する性質があるからです。それは将棋になぞらえることが出来かもしれません。盤上に全く動きがない時でも、棋士は、何時も頭の中で盤上の駒を動かしています。彼等は何十手も先に何が起きるかを、自分が先手となり、同時に後手となって頭の中で画像を浮かべているのです。それと同様に、神がこの世界を創造された時も、神は語りかけ、応答しながら創造の業を進めたのです。始めの一言、「光あれ」と言われた時には、神の中ではこの宇宙、空、海 大地は出来上がっていました。しかし人間の創造は、神の創造の業の中では全く局面が変わった出来事でした。

 人間の創造は、神の中の計り知れない語りかけと応答によって生み出されたのです。そこから導き出された神の決心は、我々にかたどり、我々に似せて人を造る。ということでした。 ですから神に似せられた人間は、語りかけ応答することができる者として造られました。人間だけが、神との間に「あなたと私」という関係を持つのです。

人を神の似姿に造る。それは、状況次第で悪手となる一手でした。その一手が打たれたことで、神が創造された全てのものが、再び虚しくなる危険性があったのです。実際、これほどの愛を受けて創造された人間ですが、素晴らしい善いものとして生きられない弱さを持っているからです。人間は互いに傷つけ合い、時に殺し合う面を持っています。人間は人を愛することよりも憎む面を持っています。けれど私たちがそのことに絶望するために、この聖書が記されたのではありません。

私たち人間は神の呼びかけを無視する罪の性質を取り入れてしまった。だから、本来神の似姿として与えられた対話や応答する性質も失われてしまいます。それは大変孤独なことです。けれども、その私たちに、「あなたは神の形、似姿だ。神はあなたの近くにいる。」という慰めと喜びを聖書が語っているのです。

あなたの耳にこの神の決心の声が聞こえていますか?

そして創世記のこの言葉を、ことばだけでなく具現したのが、私たちが信じるイエス・キリストです。イエス・キリストは天地を創られた神が打たれた究極の一手です。この地上に静かに置かれた神の愛そのものの方が、創世記のこの言葉をこの地上に実現させてゆくのです。


d0224356_13473942.jpg
    教会にある絵本です。
d0224356_13472568.jpg
  今日の冷やしラーメンは絶品でした


[PR]

by hiraoka-joyful | 2017-07-02 13:49 | トピックス  

<< 7月9日17年今日の糧 ジョイフルガーデンの花 >>