7月9日17年今日の糧

神とゆったりしよう

創世記2章1節―3節、4a

神は第7の日に天地創造を完成された。そこに、深い意味が込められています。

 第7の日において、神の創造の作業が完成すること。それは神がそこから離れる、もしくは止めることによって完成されています。神はもはやこれ以上何も付け加えることがないと満足し、創造の業を止められました。けれどそれで神の創造は終わりではありません。本当の完成はその後に来るからです。それはワインの熟成に似ています。ワインは作り手が全ての作業を終え、ワインを樽の中で寝かせることで完成します。

  また神様の安息は、私たちが無意識に行う息継ぎ、息の整えに似ています。例えば被造物全体が一つの有機体、命ある体であると見なすと、息を整えることがとても大切なのが解ります。体が必要としている空気を十分に胚に送り、新鮮な血液が体中に酸素を運ぶ。それだけでなく体が自らを動かす為にだした二酸化炭素を体の外に出す。それを私たちの体は繰り返して行っているのです。ですから息が乱れると体全体が苦しむのです。

  そう考えてみると、神の安息はあってもなくても良いおまけではないと解ります。神は安息する事によって、第七の日を祝福し、聖別されました。そして第7の日があるからこそ、第1番目の日から第6番目の日までが、聖別し、祝福されたのです。

 では7番目の日、神の安息の日においての祝福とはなんでしょう。それはうみ疲れ、絶望し、もう一歩も歩けないもの達への祝福です。産めない、増やせない、満ち足りないもの達は神の祝福から遠いのでしょうか。そうではありません。神は自ら先んじて休み場で憩われました。その場に私たちも行って、息を整えることが出来るのです。なぜなら疲れ果てたあなたの傍らで、全てを投げ出したい私の傍らで、私たちの呼吸に神がそっと合わせてくださるからです。これこそ聖書が伝える第7の日の祝福です。また聖書は神がその日を聖別されているとも伝えています。聖別は安息という事柄においてなされています。神が最後まで徹底的に責任を持ち、愛し、守り、支え続けるからこそ、生きとし生けるものに安息があるのです。

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一週間は日曜日から、日曜日に教会へ

               

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          今日も暑かった。冷たいラーメンGOOD


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by hiraoka-joyful | 2017-07-09 18:45 | トピックス  

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