7月16日17年今日の糧

理想郷に住む伴侶達

創世記2章15節―23節

 

主なる神は人と向かい合って共に生きるパートナーを造り、人に与えようとします。そして主なる神は、人(アダム)と向き会い、人からもう一人の人を造る決意をします。主なる神は取ります。 人から彼の側面の中から一つを。

その側面には神が与えた対話し応答する性質またへりくだる性質が含有しています。

しかしそのままでは人には片割れがないようになる。その時主なる神はそこを代わりに肉で塞ぎました。驚くことに主なる神は神の肉をそこに与えたのです。眠っている人はそのことを知らないし、その意味も知らない。そしてずっと気づきもしませんでした。しかし私たちはそれが、どのような肉だったかを知っています。人のために鞭打たれ、肉が裂かれ、十字架の上でそのあばらに槍をつき刺された。イエスの言葉を知っているからです。それを聞くとき、最初の人に神が与えた血肉を理解するのです。(マル14:22) 

それから主なる神は、神にとって甚だ善きもの、パーフェクトヒューマンである人を再創造しました。けれどこの再創造にはリスクがありました。イーシュとイシャーが造られるのに、神の血肉が与えられた。なぜなら、神は一人の人を二人の男と女に再創造するリスクを十分承知しておられたからです。人は理解しきれないで、互いを憎む。人は互いを疎んじる。男が女を支配する。女が男に隷属する。女が男を冷遇する。お互いの欲望によって人が結びつく。人はそうなりやすいリスクをいつも抱えています。男と女としてそれぞれに生きる中で、それぞれが関わる中で、人が神の似姿を映し出してゆく。そのために欠くことが出来ない主なる神の事実があります。それはイエス・キリストが自分の命を、取って食べよと人に裂いて与えたことです。

イエス・キリストは男だけのために、女だけのために命を与えたのでもありません。男女で生きる者、男性同士、女性同士で生きる者。そうでない者。子ども。老人。いま孤独に苦しんでいる者。誰かの助けをどうやって見出していいか分からない者。私とあなた。全ての人のためにイエスはその命を与えたのです。ほんとうに、ありがたいことです。私たちはイエス・キリストと共に人として、男として、女として生きて行けるからです。

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冷たいソーメン具が沢山心も体も元気に


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by hiraoka-joyful | 2017-07-16 13:25 | トピックス  

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