8月20日17年今日の糧

洪水の後に起きたこと

創世記918節〜28


ノアには、その労苦、苦しみからもたらせられる混乱、不安、煮詰まり感を、落ち着かせ楽にし、人に慰めをもたらす者となるという期待がかけられていました。そして洪水後、ノアは土の人となり、ぶどう畑を作りました。ぶどう酒を得たことは、神様の大きな祝福でした。人間は顔に汗して働き、食物を得なければなりません。しかしその中にも楽しみを見出し、労働の実りを味わう事が出来るようになったのです。

 さて洪水後ノアはすぐに祭壇を築き、自分達家族を救った神を礼拝しました。しかし豊かになったノアは、ブドウ酒を息子達には分け与えず自分だけで楽しんで酔い潰れていました。その時間息子達は、下着で働いていたのです。それは、今まで一家の長としてノアが見せてきたものとは違ったノアの姿でした。それを見たハムは兄弟達に告げ口します

ハムの態度に自分に対する不遜を感じ取ったノアは、激怒しました。聖書は彼のことを小さい息子と言っています。成熟していないのです。だから父が自分の家族の事をどれほど苦労して守ってくれたかを忘れ、父の醜態をあげつらいました。そしてそれを知ったノアの態度も、父のそれではありません。彼はこの息子に奴隷の奴隷になれと呪いをかけます。聖書は洪水の前後、沈黙を守り神の言葉に答えたノアの態度を記しています。しかしここでノアは雄弁です。しかも自分の息子に対して呪うことに、差別することに雄弁なのです。この場面に神の言葉はありません。

そしてノアの家族がこの事件の後、対立する民族同士なったなら、その晩年に安息はなかったかもしれません。
 この話はイスラエルの敵は神様に呪われた者達だと言うことをあらわしていると読みがちです。でもそうでしょうか。主なる神はここで諸民族を呪っていません。民族間の争いや対立、呪いは、人間から生じたものです。親子でも、兄弟でも、夫婦でも、近しい隣人でも、同僚でも、本来親しく生きるはずの者達に、無礼を働き、尊厳を傷つけ憎しみ合う。ここに人間の罪の本質があります。 

その様な罪を持つ人間のために、真実な神が行ったこと。それは人を呪う代わりに、罪のない独り子、イエス・キリストを十字架につけることでした。このイエスの十字架の前に、これほどの神の愛の前に、私たちの間にある憎しみや、人を呪う言葉が消えてゆくのです
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ノアの息子達(セム・ハム・ヤフェト)が世界中の民族へ広がる
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          お昼はタイのグリーンカレーでした。
                 

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by hiraoka-joyful | 2017-08-20 13:30 | トピックス  

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