カテゴリ:トピックス( 280 )

 

11月19日17年今日の糧

1119日の礼拝では

大久保執事が宣教のご奉仕をされました。

また佐藤根恵姉が江別太キリスト村の証をして下さいました。

キリスト村については三浦綾子著「愛の鬼才」に詳しく記されています。

開墾のために入植された方々はすでに天の御国へ帰ってゆかれ、現在

その村があったことを知るかたも僅かです。けれど、イエス・キリストの愛によって仕えあう共同体を目指した、信仰の思いは、私たちの心を強く打ちます。

 そのような愛にある共同体があったことを、恵さんは風化させたくなく、記念碑を守っています。そして自宅敷地に祈りの家を置き、そこを訪ねて来られる方達、どなたでも祈る場所を開いておられます。

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賛美する恵さんと大久保さん

              

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  キリスト村の記念碑

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 ユカタンは西村製菓


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by hiraoka-joyful | 2017-11-20 10:59 | トピックス  

11月12日17年今日の糧

君をおんぶする神

イザヤ4614

私たちを背負う神は、大きな安心を与える神です。

主なる神は、自分に頼る者が持つ苦悩をご自身の問題として背負う。そのように預言者は語っています。

神は背負い、救い出すと宣言しています。救い出すことは背負うことと同じです。

神はその人を、その人が背負っている重荷と一緒に自分が背負うのです。

 原文より。

あなた達は聞け(命 男複)わたしに 家よ ヤコブの そして全ての 残りの者よ 家の イスラエルの 負われている者達(受、分)

から 胎(男・単) 担われている者達(受、分)から 子宮(男・単)

そして~まで 老年(女性・単) わたしは(ANI) それ(彼=男・単~胎、子宮)そして~まで 白髪 わたしが(ANI) わたしが背負う

わたしが(ANI) わたしが造った そしてわたしが(ANI)わたしが担う そしてわたしが(ANI)わたしが背負う そしてわたしが救う

「わたし」と繰り返される言葉は、主なる神のただならぬ決意を表しています。

今日の宣教を準備しているとき、私は以前経験した事によって、一つの示唆を受けました。

15年前、タイでの洪水の日、学校のクラブバスが立ち往生して数時間止まってしまいました。娘がそのバスに乗っていました。そのままでは食事も出来ず、トイレにも行けません。車は使えないので、歩いて迎えに行ったのです。

娘は小学校3年、ギリギリ背負うことは出来ました。だから少し迷ったが、決心してバスが止まっているところを目指しました。停電で通りは暗く、歩道も穴があって危ない。娘は自分のランドセルを背負い、私はその娘を背負い、渋滞している車の間を進みました。しかしそれも彼女がしっかり背中にしがみついていたから出来たこと。歩いたら15分の道だから出来たことでした。

それが長い距離ではどうでしょう。彼女はわたしの背中にしがみつくことが出来ずに、わたしも重さに耐えかねて、彼女は水の中に落ちてしまったでしょう。

ここで主なる神は、「わたしは胎・子宮だ」と宣言しています。

その神の姿は私たちの想像を超えています。つまり神が背負う時、

まるで主なる神の背に子宮のような安全な場所があって、

その中に私たちを避難させて、主なる神と一体となって運んで行くのだ。と言われているのです。

これが主なる神が私たちの人生に関わる、関わりかたです。

このかたに信頼しないのはもったいないです。子ども時代だけでなく、私たちの人生全ての場面において、主なる神は信頼する者を裏切らない方なのです。

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      心づくしの食事を頂きました。


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by hiraoka-joyful | 2017-11-12 13:44 | トピックス  

11月5日17年今日の糧

神の言葉を聞く晩秋

イザヤ4018

捕囚の終わりを告げる言葉です。本来なら民が、求め続けてきた解放のはずでした。しかし民の心が動かない、それをひしひしと実感している一人の預言者が、主なる神に訴えます。

40:6 呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。

40:8 草は枯れ、花はしぼむ

神はもはやいないと絶望し、神の愛に執着しない者達を再び神の愛に目覚めさせるのは容易ではありません。「呼びかけよ」と神の言葉を聞いたのは、捕囚の地で、民が希望を失わない様に語り続けた預言者です。彼もまた主なる神が側におられる事など、実感がなかったかもしれません。けれど預言者として立てられている者の使命として、語り続けていました。そして彼は、年を老い自分の命が草のように弱く、脆いと気づきます。主なる神から託されたはずの、自分の内にある民への愛が野の花の様にはかないと気づきます。けれど8節の後半で預言者の言葉はこのように変わります。

しかしわたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。

この預言者の中にどのような変化があったか、8節の前半の言葉と後半の言葉の間にはなにも書かれていません。ただ一つ言える事は「草は枯れ、花はしぼむ。」の言葉が繰り返されたのは、主なる神の呼びかけと福音の言葉が、彼の耳に、彼の心に繰り返し届いたからです。ですから、主なる神に語るように強いられた預言者は言葉を語り続けました。その長い過程のなかで、長い問いかけと応答の中で民に語るうちに、彼の目に民の変化が見えてきました。忍耐強く働かれる神の姿が見えてきました。そして預言の通り、ペルシア帝国のキュロス王は占領民に一定の自治を許し、宗教や文化に寛容な政策をとります。これがユダヤ人の解放令と神殿再建の許可です。ここではキュロスの政治的手腕が歴史上には際立っています。けれども、その前に民の心に変化が起こらず、エルサレムに帰還して神殿を再開したいという願いで一致していないならば、王はいたずらに奴隷を解放しなかったでしょう。預言者が堅い民の心に、愛の心を持って神の言葉を語り続けるとき、民草に過ぎなかった人々がもう一度、主なる神の言葉に信頼して進む丈良夫(ますらお)に変えられて行くことを預言者は知ったのです。そうして神の言葉は成就することを経験したのです。

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草は枯れ花は萎む

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  タップリつゆだく牛丼(ご飯多め)


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by hiraoka-joyful | 2017-11-05 16:51 | トピックス  

南佳子先生講演会

29日午後、南佳子獣医師がペット(主に犬について)の高齢化とペットロスについての講演をして下さいました。(以下要約です)


現在のペットたちは、医療や栄養摂取が良くなった事もあり、犬種にもよりますが平均13年ぐらいの寿命です。高齢化に伴う身体の衰えは、人間のそれとあまり変わりません。ただ彼等はそのことに対する認識はありませんので、彼等の生活環境や晩年の質を良い状態に保つのは人間に関わっています。

 専門家である獣医師と相談しながら、また同じペットを飼っている仲間達と情報を交換しながら、老いの兆しが見えるころから、数年後に訪れる彼等の身体的・能力的衰えへの準備を始めます。それが、老いてもひどい状態で死に至ることを防ぐことになり、飼い主も大きな負担を回避できます。

 しかし、ペットが大切な存在として飼い主の人生に関わっている以上、どのような世話や看取り方をしても、ペットロスの思いはペットを失った人誰にもあります。

 その悲しみの中にある人が、少しずつ癒されてゆくのは、彼等のペットロスの悲しみを理解してくれる獣医や、周りの人々の助けです。

 そのようにペットの存在は、十数年飼い主を楽しませ喜ばせるだけでなく、人と人を繋いでゆくものです。

 

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 講演には酪農学園大学の学生さん達も来てくれ、真剣に聞いておられました。これから良く学び研鑽を積み、きっと良い獣医師として動物の助けになってくれるのだと、頼もしくなる皆さんでした。

 今日の講演は、録画しています。ご興味のある方は平岡ジョイフルチャペルにお尋ねください。

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 南先生と愛犬ノア(セラピードッグ、3年前に天命を全う)


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by hiraoka-joyful | 2017-10-29 16:50 | トピックス  

10月29日17年今日の糧

みんなみんな待っている

ロマ819、20節(18節~25節)


聖書の最初創世記には、主なる神、この世界そしてそこに生きているものたちの関係が記されています。

初めに主なる神が天と地をつくりました。

その時、形あるものは何もなく、混沌とした暗闇が水を包み込んでいました。

その上に神の風が吹いていました。

「光よ、出よ」主なる神が言うと、光がありました。神はそうして光と闇を分けました。

   神は光を昼と呼び、闇を夜と呼びました。

神は「水は上と下に分かれよ」と言いました。

次に「下の水は一つにまとまれ、地面よ現れよ」といいました。

そうして海と、大地が現れたのです。

神は大地には草木を生えさせました。そうして生き物が生まれてきたのです。

主なる神は太陽、月、星も沢山造りました。

主なる神は、海や川、空と大地に様々な生き物を生まれさせました。

「どんどん生まれておいで」と主なる神は呼びかけました。

主なる神様は最後に人間を造りました。男と女に造りました。

最初の人達は神さまの性質をもらいました。それは呼びかけたり、応えたりする性質です。

人間にも神さまは「どんどん生まれて、仲良く暮らしなさい。素晴らしい生き物を良く

世話して、素晴らしい美しい世界を広げてゆこう」と伝えました。

主なる神さまが造られた素晴らしい世界で、人間は生き物たちとお互いと、主なる神と

いろいろ語り合って過ごしていました。でも人間はまだまだ造られたばかりで幼い者達でした。

主なる神様に全てが任された訳ではありません。特に成熟していない人間が食べると

悪い作用がある実がありました。それは善悪を知る実です。神は人間にこう言います

「食べたらお前達は必ず死ぬ」

神さまの造られた世界で、自由にこの世界を任された人間はどんどんえらくなった気がしました。

そして残念なことに二人でその実を食べたのです。

善と悪を知る実でしたが、お互いの悪いところが目につくようになりました。

また主なる神が、自分達に悪いことをされるのだと、神の前から隠れました。

今まで世話をした生き物が敵に見えました。そうして二人は素晴らしい世界を出て行くのです。

主なる神は二人に言います。

「女は、子どもを産む時苦しむ」

「男は、大地を耕すのに苦労する」

二人が出て行ってから、人間と他の生き物たちの関わりは切れたのでしょうか。

主なる神は二人を見捨てたのでしょうか?

ロマ人の手紙にはそのことが記されています。

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by hiraoka-joyful | 2017-10-29 13:10 | トピックス  

10月22日17年今日の糧

嵐の中で語る神

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主なる神は嵐の中からヨブに語られました。ヨブ記の舞台は東方の乾燥地帯です。ですから嵐は砂嵐の意味があるのです。

かつてヨブは、神のことをこういっていました。

9:17 神はあらしをもって私を打ち砕き、理由もないのに、私の傷を増し加え、(新改訳)

 しかし42章でヨブは

42:5 あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。

と、主なる神に伝えています。砂嵐の中でその姿を見ようと目を開くならば彼の目は痛み、潰れます。耳をそばだてるならば、耳は砂で一杯になります。それでもヨブは主なる神はその砂嵐の中からヨブに語りかけ、ヨブを苦しみから救う方だと知ったのです。

かつてアドナイは、ヨブをこのように評価していました。

「地上に彼ほどの者はいない。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」

けれど苦難の中で一つだけ削ぎ落とされたヨブの性質があります。それは「無垢」だということです。

ヨブは、苦難の中で「自分はなぜこの世に生を受けたのか」、「かつてはその日は特別な輝かしい日に思えた、しかし本当は、闇だった」と言っています。 しかし主なる神は、神が造られた全てのものは、ヨブも同様に光の中で生まれたとヨブに伝えました。

ヨブが闇と混沌の中に引きこもりたいと願っていたとしても、その深い闇の中にも主なる神の光が届いたのです。

 その時ヨブは母の乳を喜ぶ幼子のように、神の言葉を聞いてゆくのです。

 そして今のヨブが、かつてのヨブの姿とあまりにも違うため、友人達にすらその姿が見分けられないほどになっていたとしても、主なる神の前には今も、ヨブは「ますらお」であり、無垢な幼子に見えているのです。

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  砂漠の 砂嵐 恐ろしいものです

            

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 今日はスパゲティでした。美味しかった。


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by hiraoka-joyful | 2017-10-22 13:31 | トピックス  

秋のジョイフルガーデン

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        ブドウがたわわに実り、15日礼拝後子ども達が収穫しました。18日(水)H兄弟が、来年のために
        枝を整えました。
                
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       葉も赤くなりました。少しずつ冬に向かっています

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by hiraoka-joyful | 2017-10-18 11:39 | トピックス  

10月15日17年今日の糧

物言わずは、 腹膨れる人

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31章で、ヨブは神様の登場を非常に強く願いつつ、自分の言葉を締めくくりました。

ヨブの宣言が終わり、そして38章で主なる神が登場する前に、「彼は神である」という名をもったエリフが登場します。

ずっと沈黙を守ってきた控えめな青年エリフが、ついに黙っていられなくなったのは強い「怒り」によるものでした。

「エリフは怒った」、「彼は怒った」、「彼らに対しても怒った」「何の反論も出来ないのを見たので怒った」と、

四回もエリフの怒りについて記されています。

では、エリフは誰のために怒ったか、それは神のために怒ったのです。

エリフの怒りは

1)ヨブが自分を正しいと言い張った。

2)3人の友人が、ヨブには罪があると思っているのに、言い返せなかった。

そのための怒りでした。

エリフは怒りながらも新しい見方を語ろうとします。

1) 苦難は神の罰とは限らない。神は警告し、人を成長させるために、苦難を用いる場合がある。

2) その神の深い御心を悟る事が出来なくても、神は常に正しいことをなすと、人は信じなければならい。

しかしヨブはエリフの言葉を聞いても、なお救われません。なぜなら、ヨブが求めているのは、

「納得のいく説明」ではないからです。

人間が苦難に遭う時、それを恐れ、不安に思うのは、そこに正当な理由が見つからないからではなく、

そこに「神がおられない事」を感じるからなのです。

エリフの言葉の数々と、それに対し沈黙しているヨブの姿はどのように言葉を尽くしても、

人間の知恵が人の苦難の恐れと不安から、その人を解放することはできないことを、

聖書は伝えています。

では、誰が人を苦難から解放するのでしょう。

私たちのために最大限の苦難を味わって下さった方。

私たちの重荷を共に担って下さる方。

私たちを見放さないと約束した神。

イエス・キリストはこう伝えています。

ヨハネ16:33 これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。

あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」

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今日はジョイフルガーデンで、ブドウの収穫をしました。


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by hiraoka-joyful | 2017-10-15 14:03 | トピックス  

講演会感想いろいろ

10月8日に行われた
神愛園理事長後藤学氏講演会の感想の一部を紹介します。

講演会アンケート

*「弱い者のひとり」に寄り添うお仕事である介護に携わる方々の就労環境が、もっと満たされたものになることを強く願います。「自分自身を愛するように」とまず各自が自分を大切にすることが大事であるということを見落としていた自分にも気付かされました。助けを受ける側になっても、助ける側であっても、その思いを忘れずに

過ごしたいと思います。YM


*介護に限らず、イエスキリストの隣人愛を実践できるようになりたいと思いました。

人材不足など、深刻な問題についても、祈りつつ自分に今できることを考えます。


*礼拝の中でも語られていましたが、神を信じるのではなく、信仰に生きるー行動へと

それが神愛園の使命「隣人愛の実践」という、私にとって難しいことです。

 ありのままを、違いを、弱さを認めてもらいたいのにもかかわらず、隣人を受け入れることが出来ない自分を知らされました。YN


*今日のメッセージと講演を感謝します。情報を見聞きして不安になるのではなく、

今の介護の状況をしっかり見据えて、介護が必要な人々の助けが出来たらと思います。HR




*後藤学理事長のお話で「隣人愛」が大切だと改めて感じました。私は介護職に就いていますが、私も「隣人愛」を大切にしたいと思いました。KN




*神愛園のこと、考えをいろいろ聞くことが出来てとても良かったと思います。

私も介護の仕事をしているので、大変なことはよく分かります。

デモいつも利用者さんからいろいろ学ぶ事が出来て感謝しています。KY


*神愛園が大切にされていることを、私たちも大切にして暮らしたいです。「基督教精神」と「イエス様の隣人愛」マザーテレサを思い出します。高齢者福祉制度は社会全体の課題ですね。共同体としてみんなで関わっていけたら。


*違いこそ豊かさ、弱さを預ける、という言葉が心に残りました。「違い」を脅威として

感じる社会が増幅している様に感じます。また弱さを預けられる、預けてもらえる人間関係がとても希薄に感じます。特に若い世代が心配です。弱さを預けられる方はやはり神さまです。預けられる人となってゆけるよう、私も平安を意識して生きたい。MC

                  

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by hiraoka-joyful | 2017-10-12 02:46 | トピックス  

10月8日17年今日の糧

今日は社会福祉法人神愛園の後藤学理事長が礼拝宣教を取り次いでくださいました。

ヨシュア11節から9節の聖書の箇所から

「覚悟」という題でお話しいただきました。

 神愛園は札幌にある社会福祉法人です。イエス・キリストが顕された隣人愛を基盤に特別養護老人ホーム、ケアーハウス、訪問介護、デイサービス等の様々な介護の働きをしています。最初にこの働きに着手した人々は介護の問題が社会に認知される前から、その必要を覚え、協力しながら始めました。毎朝礼拝が行われ、この働きの基盤となっているイエス・キリストが顕された隣人愛を、聖書の言葉を通して聞いている施設です。

後藤理事長は34年前、神愛園で働くように促されながら実際に正式採用となるまで2年の歳月がかかったそうです。苦しみながらも待ち続け神愛園での仕事に正式につくようになったからこそその職に「覚悟」をもって臨んでいること。職員の方々と共に入居者の皆さんが良い状況で住んでくださり、その生活の中で喜びを見つけてほしいと、日々祈りながら働いていること。そのような証を交えながら、ヨシュア記を語ってくださいました。

ヨシュアも又モーセから大変な働きをバトンタッチされた時に、主なる神が共にいてくださるから、勇気を出して進み、自分が任された人々のために全力で働きました。主なる神がヨシュアにかけてくださった言葉

1:7 ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。

1:8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。

1:9 わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」

に励まされ、自分達にとって未知の領域へ仲間と共に進んでいったのです。

この言葉が、今理事長という大きな働きを介護職の先達からバトンタッチされた後藤氏を励ましています。そしてこの言葉は、日々様々なことに直面している私たち全ての者にとっても励ましの言葉となるのです。

                 

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礼拝後集合写真です

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by hiraoka-joyful | 2017-10-08 17:00 | トピックス