カテゴリ:トピックス( 263 )

 

Z兄弟のバプテスマ式

8月13日 A・Z兄弟がバプテスマ式の恵にあずかりました。
今86歳です。今日は娘さんもお祝いに来て下さいました。

先週信仰告白をなさいました。その告白と今日の写真を掲載します。



信仰告白

わたしは60年ほど前、函館の教会に行く機会がありました。そのときお墓に入るならキリスト教の墓に入りたいと思いました。

それから、仕事も忙しくそのまま年月が過ぎました。しかし2年前に妻が亡くなりました。妻は、生前聖書を読んでいました。妻の納骨のことを考え始めたとき、若い時に考えた事を思い出しました。そして勇気を出して、4月にこの教会にやって来ました。それから毎週礼拝に来ています。

ここにひかれたのは、イエス・キリストがわたしを愛し、連れてきてくれたと信じています。

わたしはイエス様と一緒に、皆さんと仲良くこれからも礼拝に来たいと願っています。いろいろ勉強して、神様とイエス様のことを、わたしがこれから少しずつ知ってゆけますように祈ってください。

AZ 2017年8月6日

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by hiraoka-joyful | 2017-08-13 15:18 | トピックス  

8月13日17年今日の糧


箱舟から出る時が来る


創世記815節~22


ノアの物語が伝えるメッセージはノアとその家族が、また動物や鳥たちが、箱舟に入って洪水による滅びを免れたことによって明らかにされています。


1) 洪水後の新しい世界を築いていく者達。


それはノアの家族達です。神は世界と地球を真実な神が共にいる大きな家族とする。それこそが、この苦難の中で彼等が次に進むべき道でした。


2全ての水は真実な神が取り除いた。


神は彼等が新しい道に進んで行けるように、この世界に再び秩序を与え、新しい世界を築きました。箱舟に入れられて救われた者たちは、そのようにして神様が再び秩序を与えて下さる新しい世界を生きて行くのです。


そしてノアの物語は次の世代に伝え続けてゆかなければならないメッセージを含んでいます。


1) 神を礼拝すること


ノア達家族がまず行ったのは主のために祭壇を築くことでした。箱舟の中で、神の裁きだと表現している何時終わるか解らない苦難の日々に、彼等は神を礼拝したいと切望したのです。彼等の行動に私たちの礼拝の本質があります。それは、主なる神から与えられている命の時間を主なる神の前に取り分けることです。その時礼拝は、神の前に良き香りとして届いてゆくのです。


2神が人の本質を知っている事実


洪水を経て、ノアとその家族が生き残り、その子孫たちによって人類は新しい歩みを踏み出しました。 それは主なる神がその人間の本質を受け止める決心をしたことです。驚くことに主なる神は、ご自身の側を変えてゆかれました。本質的に罪を持つ人間を一掃するやり方を二度としないと、神は自分の心に誓ったのです。


3日々の労苦を休ませる方は主なる神だけという真実


ノアが降り立った大地は、洪水によって荒れ果てていた大地です。人がその大地に生きるためには、夏の暑さ、冬の寒さの中で働いてゆかなければならないことを、聖書は、はっきりと記しています。 どのように思い通りに行かない環境の中でも、生きるために働かなければならない。そこにシャバット(休み)はない。そう聖書は人間の現実を伝えています。


 しかしその人々にシャバット(安息)を与える方がいます。主なる神は、人の息に合わせて、人が安息を得るように導く。この神が人の労苦にシャバット(安息)をもたらす唯一の方なのです。

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ピリ辛ジャージャー麺で風邪も吹き飛ばそう


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by hiraoka-joyful | 2017-08-13 15:05 | トピックス  

8月6日17年今日の糧

箱舟に入る条件は

創世記689節~22

この記事が書かれたのはイスラエルの人々が民族存亡の危機に陥っていった時代でした。ノアの物語はユダ王国の滅亡という大惨事の後に、敵地で捕虜として生きている人々へのメッセージがあるのです。

それは、その前の戦争で、人々の心に人間としての尊厳を失わせることが起こったからです。エルサレムが陥落する前、人々は兵糧攻めに遭い、飢餓の中で、骨と皮になりました。精神を病んだ母親が我が子を鍋で煮たと聖書の他の箇所には書かれています。人々の絶望は深かったのです。

ノアの物語を聖書に記したのは、その時人々の苦しみを一番見つめ続けた祭司達だと言われています。彼等も又異国で捕虜とされていました。しかも彼等はバビロンに負けた神に仕えた一番役に立たない者達として取り扱われ、軽んじられていました。彼等は自分達の国が滅亡し、神殿をより所としていた人々に神の姿が見えなくなりそうになるところで、異国の人々に神が笑われている屈辱に耐えながら、なおもそこで、真実な神の思い、神の慰めを見出そうとしたのです。

そして彼等はその悲惨な出来事の中に神の介在を見出します。罪を徹底的に思い知る期間が大切なこと。そしてその裁きの時が過ぎたとき、新しい契約という希望が与えられること。それを記しました。

このことを信じて、主なる神に希を置いて、今の苦しみに耐えてゆく。それが、このノアの物語が伝えるメッセージです。

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聖書では、箱舟に乗るように促された者は家族達でした。しかも鳥、動物など生きとしいける全てのものが、家族の一員のように箱舟に招かれています。今世界と地球を大きな家族として、再構築しなければ、この人間世界はやがて限界を迎えると長く言われてきました。聖書は2600年も前にそれを明記しているのです。ノアの物語はこの世界に、この時代に、言い知れぬ不安を持つものへのメッセージです。争いの種を内に持つ自分に嫌気がさし、苦しむ者へのメッセージです。様々に虐げられているもの、将来に絶望している者へのメッセージです。そしてキリスト教会はこのメッセージを伝え続ける現在の箱舟としてこの地上に立ち続けています。

あなたが箱舟(神の救い)に入る条件は、主なる神が慈しみを持ってあなたを見ている。あなたの人生に関わり続けている。その恵み見つめること。それだけ。教会はそのことを伝え続けています。

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みかんは鹿児島からです。


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by hiraoka-joyful | 2017-08-06 13:55 | トピックス  

2017年ジョイフルサマークラブ

85日(土)

青葉台キリスト教会チーム、リブングホープ教会チームの皆様方の奉仕により

当教会でジョイフルサマークラブが行われました。

子どもも大人も楽しいゲームや、歌とダンスをたのしみました。

お昼は皆で焼きそばを食べ、横浜のシュウマイを頂きました。


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みんなで賛美
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                    焼きそば作りの様子


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by hiraoka-joyful | 2017-08-05 15:29 | トピックス  

7月30日17年今日の糧

今日の賛美礼拝は大麻ベーネ・カルテットの皆様が奉仕されました。

賛美歌アヴェベルムコルプスが、前奏として流れ、

「いつくしみ深き」「主よ 御もとに近づかん」が演奏されました。

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創世記3章20節~4章1節

「ともに生きよ、と主は言われる」

障害者支援施設「神奈川県立津久井やまゆり園」で悲惨で、心痛む出来事

が一年前にありました。大久保兄はそのことを深く心に留め続けたこの一年の間、

自身がキリスト者として願ったとこ、

聖書を読んで大事にしてゆきたいと決心している事を伝えてくださいました。d0224356_14140535.jpg



お昼は皆様と音楽の話しに花が咲きました。

                   

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                 おしゃべりも栄養になります。


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by hiraoka-joyful | 2017-07-30 14:15 | トピックス  

7月23日17年今日の糧

今日の礼拝は

三ツ木芳夫師、三ツ木朋代姉の派遣礼拝でした。

お二人はカナダにあるリッジモンドバプテスト教会にて

8月下旬から日本人集会のお手伝いをされます。

ご夫妻は白石バプテスト教会時代より、協力牧師としても関わってくださいました。現在も様々な形で、平岡ジョイフルチャペルを支えておられます。

宣教は三ツ木芳夫師、証は三ツ木朋代姉でした。

マルコ6章45節から52節の聖書の箇所により、

どのような人生の場面でも、

私たちを心から愛するイエス・キリストが

共にいて下さること。

そのイエスがいつも大きな安心を与えてくださる事を

お伝えいただきました。

また北星学園大学チャペルクワイヤーの皆様による

特別賛美「幸いだ、貧しい人」「喜びに満ちて」の奉仕がありました。

礼拝後はジョイフルガーデンでBBQを楽しみました。

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礼拝後記念写真

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            凄く楽しい BBQ

来週は賛美礼拝です。大麻ベーネ・カルテットの皆さんが奉仕されます。

宣教は大久保法幸執事です


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by hiraoka-joyful | 2017-07-23 13:43 | トピックス  

7月16日17年今日の糧

理想郷に住む伴侶達

創世記2章15節―23節

 

主なる神は人と向かい合って共に生きるパートナーを造り、人に与えようとします。そして主なる神は、人(アダム)と向き会い、人からもう一人の人を造る決意をします。主なる神は取ります。 人から彼の側面の中から一つを。

その側面には神が与えた対話し応答する性質またへりくだる性質が含有しています。

しかしそのままでは人には片割れがないようになる。その時主なる神はそこを代わりに肉で塞ぎました。驚くことに主なる神は神の肉をそこに与えたのです。眠っている人はそのことを知らないし、その意味も知らない。そしてずっと気づきもしませんでした。しかし私たちはそれが、どのような肉だったかを知っています。人のために鞭打たれ、肉が裂かれ、十字架の上でそのあばらに槍をつき刺された。イエスの言葉を知っているからです。それを聞くとき、最初の人に神が与えた血肉を理解するのです。(マル14:22) 

それから主なる神は、神にとって甚だ善きもの、パーフェクトヒューマンである人を再創造しました。けれどこの再創造にはリスクがありました。イーシュとイシャーが造られるのに、神の血肉が与えられた。なぜなら、神は一人の人を二人の男と女に再創造するリスクを十分承知しておられたからです。人は理解しきれないで、互いを憎む。人は互いを疎んじる。男が女を支配する。女が男に隷属する。女が男を冷遇する。お互いの欲望によって人が結びつく。人はそうなりやすいリスクをいつも抱えています。男と女としてそれぞれに生きる中で、それぞれが関わる中で、人が神の似姿を映し出してゆく。そのために欠くことが出来ない主なる神の事実があります。それはイエス・キリストが自分の命を、取って食べよと人に裂いて与えたことです。

イエス・キリストは男だけのために、女だけのために命を与えたのでもありません。男女で生きる者、男性同士、女性同士で生きる者。そうでない者。子ども。老人。いま孤独に苦しんでいる者。誰かの助けをどうやって見出していいか分からない者。私とあなた。全ての人のためにイエスはその命を与えたのです。ほんとうに、ありがたいことです。私たちはイエス・キリストと共に人として、男として、女として生きて行けるからです。

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冷たいソーメン具が沢山心も体も元気に


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by hiraoka-joyful | 2017-07-16 13:25 | トピックス  

7月9日17年今日の糧

神とゆったりしよう

創世記2章1節―3節、4a

神は第7の日に天地創造を完成された。そこに、深い意味が込められています。

 第7の日において、神の創造の作業が完成すること。それは神がそこから離れる、もしくは止めることによって完成されています。神はもはやこれ以上何も付け加えることがないと満足し、創造の業を止められました。けれどそれで神の創造は終わりではありません。本当の完成はその後に来るからです。それはワインの熟成に似ています。ワインは作り手が全ての作業を終え、ワインを樽の中で寝かせることで完成します。

  また神様の安息は、私たちが無意識に行う息継ぎ、息の整えに似ています。例えば被造物全体が一つの有機体、命ある体であると見なすと、息を整えることがとても大切なのが解ります。体が必要としている空気を十分に胚に送り、新鮮な血液が体中に酸素を運ぶ。それだけでなく体が自らを動かす為にだした二酸化炭素を体の外に出す。それを私たちの体は繰り返して行っているのです。ですから息が乱れると体全体が苦しむのです。

  そう考えてみると、神の安息はあってもなくても良いおまけではないと解ります。神は安息する事によって、第七の日を祝福し、聖別されました。そして第7の日があるからこそ、第1番目の日から第6番目の日までが、聖別し、祝福されたのです。

 では7番目の日、神の安息の日においての祝福とはなんでしょう。それはうみ疲れ、絶望し、もう一歩も歩けないもの達への祝福です。産めない、増やせない、満ち足りないもの達は神の祝福から遠いのでしょうか。そうではありません。神は自ら先んじて休み場で憩われました。その場に私たちも行って、息を整えることが出来るのです。なぜなら疲れ果てたあなたの傍らで、全てを投げ出したい私の傍らで、私たちの呼吸に神がそっと合わせてくださるからです。これこそ聖書が伝える第7の日の祝福です。また聖書は神がその日を聖別されているとも伝えています。聖別は安息という事柄においてなされています。神が最後まで徹底的に責任を持ち、愛し、守り、支え続けるからこそ、生きとし生けるものに安息があるのです。

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一週間は日曜日から、日曜日に教会へ

               

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          今日も暑かった。冷たいラーメンGOOD


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by hiraoka-joyful | 2017-07-09 18:45 | トピックス  

7月2日17年今日の糧

天と地の間にあるもの

創世記1章26節―31節

 

唯一の神が自分を我々と表現するのは、天地を創られた神に、語りかけ応答する性質があるからです。それは将棋になぞらえることが出来かもしれません。盤上に全く動きがない時でも、棋士は、何時も頭の中で盤上の駒を動かしています。彼等は何十手も先に何が起きるかを、自分が先手となり、同時に後手となって頭の中で画像を浮かべているのです。それと同様に、神がこの世界を創造された時も、神は語りかけ、応答しながら創造の業を進めたのです。始めの一言、「光あれ」と言われた時には、神の中ではこの宇宙、空、海 大地は出来上がっていました。しかし人間の創造は、神の創造の業の中では全く局面が変わった出来事でした。

 人間の創造は、神の中の計り知れない語りかけと応答によって生み出されたのです。そこから導き出された神の決心は、我々にかたどり、我々に似せて人を造る。ということでした。 ですから神に似せられた人間は、語りかけ応答することができる者として造られました。人間だけが、神との間に「あなたと私」という関係を持つのです。

人を神の似姿に造る。それは、状況次第で悪手となる一手でした。その一手が打たれたことで、神が創造された全てのものが、再び虚しくなる危険性があったのです。実際、これほどの愛を受けて創造された人間ですが、素晴らしい善いものとして生きられない弱さを持っているからです。人間は互いに傷つけ合い、時に殺し合う面を持っています。人間は人を愛することよりも憎む面を持っています。けれど私たちがそのことに絶望するために、この聖書が記されたのではありません。

私たち人間は神の呼びかけを無視する罪の性質を取り入れてしまった。だから、本来神の似姿として与えられた対話や応答する性質も失われてしまいます。それは大変孤独なことです。けれども、その私たちに、「あなたは神の形、似姿だ。神はあなたの近くにいる。」という慰めと喜びを聖書が語っているのです。

あなたの耳にこの神の決心の声が聞こえていますか?

そして創世記のこの言葉を、ことばだけでなく具現したのが、私たちが信じるイエス・キリストです。イエス・キリストは天地を創られた神が打たれた究極の一手です。この地上に静かに置かれた神の愛そのものの方が、創世記のこの言葉をこの地上に実現させてゆくのです。


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    教会にある絵本です。
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  今日の冷やしラーメンは絶品でした


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by hiraoka-joyful | 2017-07-02 13:49 | トピックス  

ジョイフルガーデンの花

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ブドウはまだですね
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                  雨でちょっと倒れてしまいました。      
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                   サクランボも色付きはじめました。

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by hiraoka-joyful | 2017-06-30 12:12 | トピックス