カテゴリ:トピックス( 280 )

 

10月1日17年今日の糧

勇者が罠に陥らないために

士師記8222733


晩年のギデオンは、名前こそ王ではないが、実質は当時の王族とさほど変わらない生活をしていたようです。そして側女の子アビメレクが父の死後、イスラエルの中で王となろうとしました。その仕業によって、ギデオンの息子達は死に絶えます。また王としてふるまうこと以上に、ギデオンが金のエフォドを造って、自分の町においたことで、イスラエルの何代もの人々に悪影響を与えます。さらにギデオンの死後、再び主なる神がして下さった慈しみと真の業が横に置かれるようになります。バアル・ベリトとは契約のバアルと言う名を待つ偶像です。士師の死は、再度イスラエルから、自分達を奴隷から解放した神の慈しみを忘れさせました。イスラエルに与えられた厳粛な契約、シナイ契約以外イスラエルの民に、契約と呼べるものはあり得ないのに、それが曖昧になったことが、バアル・ベリトの名前から見えてきます。


私たちは、ギデオンの物語を3週にわたって読んで来ました。彼は酒舟の中で主なる神に召された時、汗と小麦の殻と小麦まみれで働いていました。しかし主なる神はこの貧しい若者にイスラエルの民を苦しめていたミディアン人と戦うように、使命を与えます。主が共に居られる。その主なる神の力によって勇士となる。それが彼に与えられた言葉でした。彼はその使命を果たしたにように見えました。しかしギデオンは、戦いに関しては勇敢でしたが、大家族の統一、手にした財産や民の心を掌握することについて不首尾でした。その事実を聖書の書き手は冷静にみつめ記しています。
聖書は神に選ばれた人を通して人間の本質を私たちに伝えます。
このどうしようもない人間の本質に寄り添って、救いの道を、真の神の元に立ち返る道を切り開き続けた神の愛と慈しみを、聖書は伝えています。 
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エフォド
        
         

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          リンゴはHさんの庭から お菓子は新潟


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by hiraoka-joyful | 2017-10-01 14:32 | トピックス  

9月24日17年今日の糧

今日の礼拝は、日高嘉彦協力牧師の宣教でした。
マタイによる福音書5章7節より
なぜ旧約聖書を読むのか
と言うタイトルでした。

牧師は新潟にある主の港キリスト教会で宣教奉仕でした。
週の初めに共に礼拝を捧げることは、とても感謝です。


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by hiraoka-joyful | 2017-09-24 21:02 | トピックス  

9月17日17年今日の糧

主なる神の選抜試験

士師記7章1節~8節

夜明けまで、緊張のあまり眠れなかったギデオンに、主なる神は兵士をどのように戦いに臨ませるかを伝えます。それは、とんでもないような命令でした。

その時のギデオンの気持ちはどうだったでしょうか。彼は神から与えられた使命を成し遂げようと、命がけで働いてきました。ギデオンは一生懸命に計画を立て、工夫して努力して、なんとかやり抜こうとしてきたのです。その計画をよりによって主なる神が無茶苦茶にしてしまいました。ギデオンには、これまでの努力が水の泡に感じたでしょう。

私たち人間は、何かを成し遂げる時に人数や資金が多ければ多いほど良いと考えがちです。けれども、神はむしろ少ないところから、大きなことを行なわれる方法を取られます。

この選抜試験に合格したのは僅か三百人でした。彼等は片手で周囲をうかがいながら水を飲む、用心深い者達です。用心深さは、自分の弱い部分を解ることから生まれます。そのような弱さを知るものこそ、主なる神が共に働いて下さらなければ戦いに勝てないことを知る精鋭達となったのです。主なる神は三万二千人を三百人に減少させました。そして、彼らを通して御自分が主であることを現されるのです。 主なる神は彼等を通して自分を現します。 奴隷の民をエジプトから導き出された神であること、苦しんでいる小さき者、弱き者を決して軽んじられない方であることを、現されるのです。その人々のために働く神であることを明らかにします。

そして兵士だけでなく、主なる神は彼等がミディアン人に立ち向かう時の武器も用意させます。それは槍や、盾、弓、刀、軍馬ではありません。兵士達が受け取ったのは、食糧を入れる壺と 角笛でした。それがミディアン人に対抗する武器でした。この戦いはイスラエルが、自分達を慈しみ守って下さる主なる神を体験する訓練です。聖書を先まで読み進むとミディアン人戦いにイスラエルの民が完全に勝った事が記されています。

 

 私たちが日々苦しめられている事、それは一人一人違います。けれど主なる神によって与えられる勇気をもって問題を見つめる時、その問題を解決する筋目が必ず見えてきます。それが、この戦いの記事が伝えることです。だから私たちは、聖書からいのちの言葉を受け止めます。(食糧を入れる壺) 主なる神への応答を賛美と祈りの中で(角笛)を行うのです。

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赤大根の酢漬けも美味しかった


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by hiraoka-joyful | 2017-09-17 13:12 | トピックス  

9月10日17年今日の糧

主なる神はここにいる

士師記6章11節~18節

聖書の民イスラエルは主なる神の憐れみによって救い出されたことを忘れました。そして互いの間における憐れみをも忘れたのです。しかし、主なる神は忍耐強い教師です。主なる神は厳しい方法で彼等を教え直します。もう一度弱く、踏みにじられる立場に彼らを置かれたのです。

  遊牧民であるミディアン人や、同じく遊牧民であるアマレク人が大挙して襲来し、食べ物を奪い去り、イスラエルの土地を荒らしました。そのようにして、イスラエルは貧しく弱くなっていきました。こうして神は新しい世代に、神を信頼する訓練として試練を与え、学ばせます。それはこの言葉から始まります。「イスラエルの人々は主に助けを求めて叫んだ」(6:6)。

 主は彼らを救うために、その時一人名もない人を選ばれました。速やかに人知れず、神の業は行われました。その人こそギデオンです。

彼は、主なる神に不満を持つ者でした。彼は自分の小さいことを知り、劣等感がある人でした。勇者とはほど遠い若者です。しかし神は敢えてこの青年を選びました。それはなぜでしょう。

神がギデオンという人を選んだ理由はただ一つです。

それは、彼を通して、主なる神は共にいてくださる方だという真実を、聖書の民が学ぶためです。また主なる神は、彼が勇士として立ってゆく事を確信するために、ずっと待っていました。

 ギデオンは主の前に、ひとつの印を願います。そしてそのために捧げものを取りに戻ります。それを取りに帰る時、主なる神は「あなたが帰って来るまでここにいる(座っている)と約束されます。これこそ私たちが週ごとに行う礼拝の雛形と言えます。

主なる神に派遣された私たちが自分の生活の場に戻ってゆく。そこは時に強い者が弱い者を虐げ、神の愛や、神の平和を否定する世界です。そこで、私たちはいろいろな問題にぶつかります。時に主なる神の助けを見つけ出します。時に、助けを見出せずがっかりします。

 ギデオンのように神がいるなら印をくれと、願う私たちです。そのような私たちが、戻ってくるのを主なる神は待っているのです。感謝を携えここに戻って来る者。苦しみ重荷を背負ったままで、ここに戻って来る者。疑い迷いながらも、ここに戻ってくる者。全ての方に主なる神は伝えます。

「あなたが帰って来るまでここに座っている」

私たちを待っている方がいる。それは本当にありがたい事です。ハレルヤ


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賛美をする日高ルツ宣教師

               

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      秋の味覚でしょうか


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by hiraoka-joyful | 2017-09-10 13:53 | トピックス  

9月3日17年今日の糧

唐様で書く3代目

士師記2章6~12節、18

聖書の民イスラエルがカナンに移住したとき、荒野をさ迷った40年の間に、主なる神を信じる信仰の基本的な礼拝様式、祭儀や慣習、教えは整えられていました。

しかしそれは完成してはいませんでした。彼等には、カナンの地で数世紀をかけてその地に定着しようと命がけで戦い過ごした日々がありました。それが士師の時代です。その時代イスラエルの民には分裂や堕落がありました。また外敵の宗教と融合させるカナンの人々からの圧力がありました。それでも、主なる神が共におられることを知る経験を積み、イスラエルの信仰が堅固になって来た奇跡のような日々でした。それは今から3300年程前の事です。

 ヨシュアの時代はカナンの地に住んでいた他の民族との争い、土地の争奪戦をしていた時代でした。そのように移住して行ったカナンの土地で、彼等はさすらいの半遊牧民族から土地に定住してゆく農耕民族へと変化してゆきます。

 その転換期に、自分達を導いてくださる神に信頼し、40年間真実な神を求め、神の言葉を頂き礼拝していたイスラエルの民に変化が起きます。民がカナンの地に定住し、収穫が与えられるようになりました。その中で純粋に無垢な気持ちで神を信じ歩んでいた荒野での気持ちが失われてしまいます。

士師記では、イスラエルの各部族が自力で周辺の先住者と戦い、苦労して定住地を獲得しなければならなかったと記しています。とりわけ周辺地域をあてがわれた弱小部族にとってそれは過酷でした。ですからイスラエルの民には収穫や土地こそが大事になりました。主なる神よりも土地の神、豊饒の神に心が引かれるようになったのです。

それゆえ、神は新しい世代に、神を信頼する訓練として試練を与え、学ばせます。このことは神の愛による教育的配慮であり、神の民としての成長に必要だったと聖書は伝えます。

民一人一人が、主なる神に出会ってゆく。それを手助けするのが、主なる神によって起こされた士師でした。それは12名の個性豊かな人々です。

中には眉をひそめたくなるような無法者もいます。けれども全ての士師に言える事は、主なる神がその人々を起こされ、彼等の生涯と共に働かれたことです。その目的はたった一つです。悪にながされ、真実な神をないがしろにする聖書の民に試練を与え、民が再び主なる神に目を向けるためです。

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皆で楽しく食べました。


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by hiraoka-joyful | 2017-09-03 13:52 | トピックス  

8月27日17年今日の糧

バベルの塔はどこに立つ

創世記1118

バベルとはバビロン帝国のことです。人々はそこに、塔のある町を築こうとした。この物語にはそのような歴史的背景があります。帝国は権力を集中して、武力を持って他国に侵略しその土地の人々を奴隷化しました。また自分達の言語を押しつけました。そのような大帝国の権威の象徴となるのが、天にまで届く高い塔です。

主なる神はここに、人間の弱さを見たのです。それは、権力の虜になって行く弱さです。愚かにもレンガやアスファルトのような、さほど強くない建築資材で全く耐久性のない塔と作ろうとする無謀な計画。その計画に他者を巻き込むために、言語を支配し、名まえを支配しながら、それが友だと主張する自分勝手。それが人間の弱さです。

その歴史の中で一番被害を被ってきたのは、大帝国の権力を守るために、利用し尽くされる名もなき民です。しかし、多くの人は崩壊の瞬間まで、そのことがわかりません。それを知るのは主なる神です。主なる神は人の弱さを見つめ、こちらの側に降りて下さる方です。

世界の諸民族が、それぞれの言語、氏族、民族に従って増え広がっていく、そこには、主なる神の祝福があります。しかし、その様な祝福が私たち人には解りません。神の裁きをいつも畏れているのです。強大にならなければ、滅びると考えます。多様性を認めず、画一的なろうとします。ここに人の危うさがあるのです。

この物語では、人は所詮わかり合えず、同じ目的を失ったらバラバラになり、孤独を味わう事を伝えているのでしょうか。いいえそうではありません。神は人に新しい祝福を用意したからです。真実な神が、人を滅ばさないと誓った。神は自分の誓いの故に、自分の独り子、神の子イエス・キリストを、この弱い私たちのために与えて下さった。これが祝福なのです。イエス・キリストが十字架で苦しみつつ死に、復活の命に生きて下さった。これが私たちへの祝福です。なぜならイエス・キリストを信じる人は新しい地で生きる者となります。イエス・キリストを信じる人は新しいつながりを持ちます。 そして新しい言葉を語り出すのです。

 フィリピ2章11節

2:11すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。

この言葉で、人と人は真の友として、家族としての関係を取り戻します。

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神の平和を思い、鳥の歌が演奏されました

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       冷たいラーメンが、元気をくれました


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by hiraoka-joyful | 2017-08-27 13:25 | トピックス  

8月20日17年今日の糧

洪水の後に起きたこと

創世記918節~28


ノアには、その労苦、苦しみからもたらせられる混乱、不安、煮詰まり感を、落ち着かせ楽にし、人に慰めをもたらす者となるという期待がかけられていました。そして洪水後、ノアは土の人となり、ぶどう畑を作りました。ぶどう酒を得たことは、神様の大きな祝福でした。人間は顔に汗して働き、食物を得なければなりません。しかしその中にも楽しみを見出し、労働の実りを味わう事が出来るようになったのです。

 さて洪水後ノアはすぐに祭壇を築き、自分達家族を救った神を礼拝しました。しかし豊かになったノアは、ブドウ酒を息子達には分け与えず自分だけで楽しんで酔い潰れていました。その時間息子達は、下着で働いていたのです。それは、今まで一家の長としてノアが見せてきたものとは違ったノアの姿でした。それを見たハムは兄弟達に告げ口します

ハムの態度に自分に対する不遜を感じ取ったノアは、激怒しました。聖書は彼のことを小さい息子と言っています。成熟していないのです。だから父が自分の家族の事をどれほど苦労して守ってくれたかを忘れ、父の醜態をあげつらいました。そしてそれを知ったノアの態度も、父のそれではありません。彼はこの息子に奴隷の奴隷になれと呪いをかけます。聖書は洪水の前後、沈黙を守り神の言葉に答えたノアの態度を記しています。しかしここでノアは雄弁です。しかも自分の息子に対して呪うことに、差別することに雄弁なのです。この場面に神の言葉はありません。

そしてノアの家族がこの事件の後、対立する民族同士なったなら、その晩年に安息はなかったかもしれません。
 この話はイスラエルの敵は神様に呪われた者達だと言うことをあらわしていると読みがちです。でもそうでしょうか。主なる神はここで諸民族を呪っていません。民族間の争いや対立、呪いは、人間から生じたものです。親子でも、兄弟でも、夫婦でも、近しい隣人でも、同僚でも、本来親しく生きるはずの者達に、無礼を働き、尊厳を傷つけ憎しみ合う。ここに人間の罪の本質があります。 

その様な罪を持つ人間のために、真実な神が行ったこと。それは人を呪う代わりに、罪のない独り子、イエス・キリストを十字架につけることでした。このイエスの十字架の前に、これほどの神の愛の前に、私たちの間にある憎しみや、人を呪う言葉が消えてゆくのです
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ノアの息子達(セム・ハム・ヤフェト)が世界中の民族へ広がる
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          お昼はタイのグリーンカレーでした。
                 

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by hiraoka-joyful | 2017-08-20 13:30 | トピックス  

Z兄弟のバプテスマ式

8月13日 A・Z兄弟がバプテスマ式の恵にあずかりました。
今86歳です。今日は娘さんもお祝いに来て下さいました。

先週信仰告白をなさいました。その告白と今日の写真を掲載します。



信仰告白

わたしは60年ほど前、函館の教会に行く機会がありました。そのときお墓に入るならキリスト教の墓に入りたいと思いました。

それから、仕事も忙しくそのまま年月が過ぎました。しかし2年前に妻が亡くなりました。妻は、生前聖書を読んでいました。妻の納骨のことを考え始めたとき、若い時に考えた事を思い出しました。そして勇気を出して、4月にこの教会にやって来ました。それから毎週礼拝に来ています。

ここにひかれたのは、イエス・キリストがわたしを愛し、連れてきてくれたと信じています。

わたしはイエス様と一緒に、皆さんと仲良くこれからも礼拝に来たいと願っています。いろいろ勉強して、神様とイエス様のことを、わたしがこれから少しずつ知ってゆけますように祈ってください。

AZ 2017年8月6日

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by hiraoka-joyful | 2017-08-13 15:18 | トピックス  

8月13日17年今日の糧


箱舟から出る時が来る


創世記815節~22


ノアの物語が伝えるメッセージはノアとその家族が、また動物や鳥たちが、箱舟に入って洪水による滅びを免れたことによって明らかにされています。


1) 洪水後の新しい世界を築いていく者達。


それはノアの家族達です。神は世界と地球を真実な神が共にいる大きな家族とする。それこそが、この苦難の中で彼等が次に進むべき道でした。


2全ての水は真実な神が取り除いた。


神は彼等が新しい道に進んで行けるように、この世界に再び秩序を与え、新しい世界を築きました。箱舟に入れられて救われた者たちは、そのようにして神様が再び秩序を与えて下さる新しい世界を生きて行くのです。


そしてノアの物語は次の世代に伝え続けてゆかなければならないメッセージを含んでいます。


1) 神を礼拝すること


ノア達家族がまず行ったのは主のために祭壇を築くことでした。箱舟の中で、神の裁きだと表現している何時終わるか解らない苦難の日々に、彼等は神を礼拝したいと切望したのです。彼等の行動に私たちの礼拝の本質があります。それは、主なる神から与えられている命の時間を主なる神の前に取り分けることです。その時礼拝は、神の前に良き香りとして届いてゆくのです。


2神が人の本質を知っている事実


洪水を経て、ノアとその家族が生き残り、その子孫たちによって人類は新しい歩みを踏み出しました。 それは主なる神がその人間の本質を受け止める決心をしたことです。驚くことに主なる神は、ご自身の側を変えてゆかれました。本質的に罪を持つ人間を一掃するやり方を二度としないと、神は自分の心に誓ったのです。


3日々の労苦を休ませる方は主なる神だけという真実


ノアが降り立った大地は、洪水によって荒れ果てていた大地です。人がその大地に生きるためには、夏の暑さ、冬の寒さの中で働いてゆかなければならないことを、聖書は、はっきりと記しています。 どのように思い通りに行かない環境の中でも、生きるために働かなければならない。そこにシャバット(休み)はない。そう聖書は人間の現実を伝えています。


 しかしその人々にシャバット(安息)を与える方がいます。主なる神は、人の息に合わせて、人が安息を得るように導く。この神が人の労苦にシャバット(安息)をもたらす唯一の方なのです。

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ピリ辛ジャージャー麺で風邪も吹き飛ばそう


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by hiraoka-joyful | 2017-08-13 15:05 | トピックス  

8月6日17年今日の糧

箱舟に入る条件は

創世記689節~22

この記事が書かれたのはイスラエルの人々が民族存亡の危機に陥っていった時代でした。ノアの物語はユダ王国の滅亡という大惨事の後に、敵地で捕虜として生きている人々へのメッセージがあるのです。

それは、その前の戦争で、人々の心に人間としての尊厳を失わせることが起こったからです。エルサレムが陥落する前、人々は兵糧攻めに遭い、飢餓の中で、骨と皮になりました。精神を病んだ母親が我が子を鍋で煮たと聖書の他の箇所には書かれています。人々の絶望は深かったのです。

ノアの物語を聖書に記したのは、その時人々の苦しみを一番見つめ続けた祭司達だと言われています。彼等も又異国で捕虜とされていました。しかも彼等はバビロンに負けた神に仕えた一番役に立たない者達として取り扱われ、軽んじられていました。彼等は自分達の国が滅亡し、神殿をより所としていた人々に神の姿が見えなくなりそうになるところで、異国の人々に神が笑われている屈辱に耐えながら、なおもそこで、真実な神の思い、神の慰めを見出そうとしたのです。

そして彼等はその悲惨な出来事の中に神の介在を見出します。罪を徹底的に思い知る期間が大切なこと。そしてその裁きの時が過ぎたとき、新しい契約という希望が与えられること。それを記しました。

このことを信じて、主なる神に希を置いて、今の苦しみに耐えてゆく。それが、このノアの物語が伝えるメッセージです。

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聖書では、箱舟に乗るように促された者は家族達でした。しかも鳥、動物など生きとしいける全てのものが、家族の一員のように箱舟に招かれています。今世界と地球を大きな家族として、再構築しなければ、この人間世界はやがて限界を迎えると長く言われてきました。聖書は2600年も前にそれを明記しているのです。ノアの物語はこの世界に、この時代に、言い知れぬ不安を持つものへのメッセージです。争いの種を内に持つ自分に嫌気がさし、苦しむ者へのメッセージです。様々に虐げられているもの、将来に絶望している者へのメッセージです。そしてキリスト教会はこのメッセージを伝え続ける現在の箱舟としてこの地上に立ち続けています。

あなたが箱舟(神の救い)に入る条件は、主なる神が慈しみを持ってあなたを見ている。あなたの人生に関わり続けている。その恵み見つめること。それだけ。教会はそのことを伝え続けています。

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みかんは鹿児島からです。


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by hiraoka-joyful | 2017-08-06 13:55 | トピックス