カテゴリ:トピックス( 279 )

 

6月4日17年今日の糧

礼拝の中で恵を受けよう

ローマ12章15


  私たちの礼拝は、旧約聖書に記されている出来事に基づいています。旧約聖書の礼拝は犠牲の動物を捧げること、これが祭儀の中心でした。これはイスラエルの民が奴隷生活から解放された出エジプトの出来事に起源があります。では、その礼拝はどこで行われるのか?

パウロは神の憐れみが働く場所、そこが礼拝の場所だと、私たちに伝えています。

次に礼拝の中で何を捧げるか。それをパウロは伝えています。旧約聖書では聖別された動物の遺骸が捧げられました。では、キリスト者の礼拝は何をささげるのでしょう。

そもそも「礼拝」という言葉をローマ人は、「腰をかがめる」とか「ひれ伏す」という意味あいを持った語を使っていました。 ところが、パウロは「過越祭、除酵祭の規定を守りそれに仕えること」を意味している言葉をつかいました。それはエジプトの奴隷生活から解放された事を記念して守り続けている祭儀です。キリスト者にとっては、イエス・キリストが与えて下さった主の晩餐です。イエスが自分の体を 生き身の聖なる 神のお喜びになる捧げ物として差し出した。もったいなさ過ぎるこの命の食事を取ること。それが私たちの礼拝の始まりです。

礼拝の中心はイエス・キリストが私たちのために、はらわたが痛み、ついにはその命さえ与えて下さった事を覚えることです。 その時、礼拝をする者は神の前に自らをそのまま差し出します。 そのことを、パウロは「自分自身を生け贄として献げる」という表現で語っているのです。

あなたは今、どのような状況で生きていますか。たとえこんなはずではなかったと、苦しむ現実すら、憐れみ深い神はそのままに変貌させられる。それは具体的な事柄です。すると私たちはこの世界に埋もれて、がんじがらめになってしまうのではなく、私たちが生きているこの社会で、神に変えられた新しい生活を過ごす。私たちの日々の生活の中に、私たちは必ず神の働きを見つける。私たちはその喜びと感謝の中で、人間が通常では知り得ない神の意志を判別出来るようになります。

      神の喜び~私たちの礼拝

      神の善し~私たちの礼拝

      神の完全~私たちの礼拝

だから私たちは神に変貌させられたこの生身の「私」を携えて礼拝に来るのです。

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過越祭の食事(教会では食べていません)

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                 主の晩餐式 パンとブドウ汁

                

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                    お昼ご飯


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by hiraoka-joyful | 2017-06-04 13:35 | トピックス  

5月28日17年今日の糧

接ぎ木された枝が実るとき

ローマ111924

ローマに住むキリスト者達はユダヤ人キリスト者のように旧約聖書の知識もありません。また他の教会のように明確な指導者もいませんでした。パウロの言葉で言えば、まるで野生のオリーブの樹のようでした。

 彼等は自分達の罪深さによって行き詰まり、そこで神を求めイエス・キリストを信じたのです。ですからローマにいる多くのキリスト者はイエスの歴史的背景も神の契約もよく分からなかったのです。そんな彼等にパウロは懇切丁寧にこの手紙を書いたのです。

そしてパウロが最も伝えたかったのは、ユダヤ人=イスラエルと異邦人は互いを活かし合い、互いに神の救いに預かるため存在することです。

イエス・キリストを受け入れることは真実な神が関わり続けた、ユダヤ人=イスラエルの背景や歴史、彼等が大切にしてきた文化を全て捨てる事ではありません。むしろ長年かけて神が慈しんだオリーブの樹である彼等と神との契約の上にイエス・キリストによる新しい契約が接ぎ木されたのです。そしてこの新しく育ってゆくイエス・キリストの幹だけが実を結んでゆくのです。独自の文化を保つことで、離散してもなおユダヤ人で在り続けた人々も、神の新しい契約であるイエス・キリストを受け入れるとき、その幹に繋がってゆく希望をパウロは持っているのです。

イエスを救い主と信じた異邦人キリスト者にパウロがきつく戒めていることは

1)高ぶるな

2)神を畏れよ

3)神の慈愛に留まれということです。

慈しみはクリストテース=親切という言葉で、クリスチャンという言葉と音が似ています。パウロ達の時代クリスチャンは親切でいつくしみ深いと語呂合わせのように言われていたのです。かれらは他者の側に立って、思いやり深く親切に生きる人々でした。異邦人キリスト者は自分達の富を用いてパウロ達を助け、また貧しいユダヤ人キリスト者を助けました。けれどやがて教会の中で民族的な対立が起き、異邦人キリスト者社会は広がり、権力を持ち始め、諸国に散らされていた小さなユダヤ人コミュニティを目の敵にし始めます。イエス・キリストが十字架に架かったのは自分の罪のためなのに、それを民族の問題にすり替えます。それがヨーロッパにおいて長いユダヤ人迫害につながり、やがてナチスによるユダヤ人大虐殺にも繋がったのです。

 第2次世界大戦後、キリスト教会ではこの歴史への悔い改めが始まりました。そして今ユダヤ人迫害の先鋒を切っていたカトリック教会は彼等との対話を始めているのです。

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今イスラエルに植えられてるオリーブの木

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                キャベツが良い彩りです。


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by hiraoka-joyful | 2017-05-28 13:27 | トピックス  

5月21日17年今日の糧

鳥・魚・動物・植物と待っている希望

ローマ81825

聖書が伝える苦しみ

苦しみとは、この世界を創造された神が人に定めた賜物=プレゼントです。

そのプレゼントは大きく3つあります。

 それは

1.苦しんで子どもを産むこと。

2.額に汗して働くこと。

3.死んで土に帰ることです。その中には病や老いも入っています。

人がなんとかもう神を求め、自分達からその声に応えるように、

真実な神は、人間に定めを与えたのです。そして人が神を思うこのきっかけが、より強いものになるため、神は苦難をちりばめたのです。

同時に神が創った被造物全体もうめき苦しんでいると聖書は伝えます。

被造物全体は最初に神に造られた善いものとしての姿を保てない。

人間の手によって被造物が神であるかのように祭られる。

自分達の役割りを知る被造物を虚しくさせている。

ある人には全く聞こえないその音が、パウロの耳には届いていました。パウロはそこにこそ希望を聞いたのです。


そしてパウロはもう一つの呻きの声言い換えればもう一つの希望の声を聞いています。それは、神に叛いて土塊に帰るだけの虚しい存在になった人のために、十字架で呻き苦しんでくださったイエス・キリストの声ですこのイエスの呻きに、人間よりも速く深く反応しているのが全ての被造物です。私たち一人一人のために呻き苦しんでくださっているイエス・キリストがいるから、この世界全体の苦しみは虚しくならない、それは新しい世界を生む苦しみの呻きだとパウロは聞き取っているのです。


私たちは、この世の人生を、肉体の弱さや欠けの中でうめき苦しみつつ生きています。けれど同時に神に向かって「おとうさん助けて」と祈ることが既に許されています。その祈りの中で、欠けだらけの自分の人生にも神が父として私たちに関わっている確信を見つけるのです。そこに私たちは神と人が喜び合いながら生きる小さな神の国の現実を見つけるのです。その小さな神の国の現実あるから、私たちがまだ目にすることが叶わない神の国の完成を、全ての被造物と共に待ち望むことが出来るのです。

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様々な具が入ったあんかけ丼です。


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by hiraoka-joyful | 2017-05-21 13:36 | トピックス  

5月14日17年今日の糧

バプテスマを受けよう

ローマ6章1-5

バプテスマにおいてだけが、イエス・キリストが成してくださった恵の業、十字架の死と葬り、甦りを私たちが追体験する時、場となります。

イエス・キリストと共に

水の中に沈められた時。=古い罪の生活に死んだ

水の中から現れたとき甦った。=新しい(フレッシュな)命を受けた

バプテスマは、私たちの過去を覆い、将来を変える。そして神の命へと向かわせます。

神は、バプテスマを授けられた一人一人を、キリストの十字架の死にあずかって罪に対して死んだ者として見ています。

本来バプテスマは全身を水に浸されるという仕方で行っていました。バプテスマを授かるとは、私たちがイエス・キリストにすっかり浸され、キリストと一つになることです。それは接ぎ木をするというイメージです。丁度イエスが自分を指してブドウの樹だと表現していますが、私たちはそのブドウの樹に接ぎ木される苗です。ブドウの樹であるイエス・キリストに繋がる全世界の25億人のキリスト者は、イエス・キリストと同じ芽吹きをし、同じ葉を付け、同じ実を実らせます。バプテスマによって、水の中でイエス・キリストの死を体験したものとして植えられたからです。イエスの十字架の死と同じ姿で植えられた苗木である私たちは、復活したイエス・キリストと同じ姿の木へと育っていくのです。バプテスマはその成長への出発点です。 私たちはもはや奴隷のように誰かに指図されて生きること、また明日の希望もなく生きることを止めます。自由な者としてイエス・キリストの助けによって自分の人生を切り開き歩むのです。

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母の日のごちそうです。

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by hiraoka-joyful | 2017-05-14 15:34 | トピックス  

5月7日17年今日の糧

恵によっておとがめなしとなる

ローマ51521

神の国の支配の中で、イエスの命が、土に帰るしかない人を活かすようになります。イエス・キリストを信じる事によってただしいと認められた者は永遠の命、真実な神へと繋がる命を与えられるのです。

もはやいたずらに死を恐れる者ではなく、神が呼ばれるその瞬間まで、活き活きと与えられた地上での命を使い切って、真実な神の元に帰るのです。これは奇跡のような恵です。そしてこの恵によって、今も神が善い人だと認めて下さる多くの人が、この世界に生み出され続けています。

世界全体で言えば74億の中で、25億ほどの人がこのイエスと共に歩むことを選び続けています。この事実をパウロが伝えているのです。25億のキリストの民は死への恐れから解放されて、神が与えて下さった人生を喜んで神と共に生きています。またそれぞれの人生において自分のなすべきこと、神が導く業を、勇気をもって行なっていく者達です。

もしキリストの民である私たちが様々な失敗をしたとしても、足を踏み外すことがあったとしても、

アダムの子孫である私たちと共に生きることを選び取られたイエス・キリストが、踏み外した足の下で、私たちの足が深みにはまらないように支え、強くその足の向きを変え、再び神の国の王道を歩むものとして下さるのです。

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主の晩餐式で頂くパンとブドウ酒は、イエスを自分の人生の救い主だと受け入れ、告白したことで、キリストの民とされた者たちが、キリストの十字架による罪の赦しを新たに体全体で受け、神の霊を新たに吹き込まれて生かされ、キリストの民としてもう一度この世界へと遣わされていくための25億の人と食べている命の食卓です。

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今日は礼拝で主の晩餐を頂き、昼食は2色スパゲティを頂きました。


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by hiraoka-joyful | 2017-05-07 13:43 | トピックス  

4月30日17年今日の糧

2017-4-30礼拝にて

今日の礼拝は賛美礼拝でした。またSさんが証をして下さいました。

Sさんは北海道に嫁いで来て十数年、2人の娘さんの母として忙しくしながらも

生活を美しくする工夫をされている方です。

お連れ合いも以前このブログで紹介しました。探してみますか?

(ヒント、ギター)

宣教はY執事でした。信仰による義は個人の行いによるのではない。イエス・キリストによって

良いものへと承認された人々が造り上げる共同の礼拝であり、神の働きへの参加だと伝えて下さいました。

執事の50有余年の信仰の歩みもそのような日々です。

PC知識もさることながら教会の営繕も、

あっという間に解決する頼もしい方です。ご夫妻でいつも

礼拝を守り、教会の奉仕をされています。

北海道を離れた方にとっても、故郷の親戚のような(ザ・北海道)

な方達です。

                   

ようやく桜が咲いてきました
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                          とろろそばです   



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by hiraoka-joyful | 2017-04-30 13:52 | トピックス  

4月23日17年今日の糧

神の恵みの中に植えられた教会

詩編1篇1節~3節

今日は2016年度の歩みをふり返り、また2017年度の指針を決める大切な総会の日でした。2016年度の歩みの中でまず一番に感謝したことは、週ごとの礼拝が守られ続けたことです。週の半ばに行われる祈祷会は、ジョイフルチャペルの原動力とも言える時間ですが、朝の祈祷会では詩編を読み継いでいます。 詩編を読むようになって3年が過ぎました。なぜ詩編を読むように導かれたか?それは祈りの課題を読む前に、詩編を通して祈る姿勢を教わるためでした。祈祷会で祈られる祈りの課題は様々ですが、昨年度も実に多くの教会の働きのための祈り、個人の課題のための祈りが聞き届けられ実現しました。

 その圧倒的事実に励まされて、今年度の聖句を聖句の表題とも言われている1篇から選びました。

 幸福だ(アシュレー) その人は 

詩編の巻物を開いた瞬間に、この感嘆詞が聞こえてきます。

それは真実な神が私たちを祝福するという宣言です。災いからの守りや救いが幸で、神が与えてくださる恵みが福です。

この視点こそ、詩編の最初で宣言されているアシュレーなのです。

最初のアシュレーは免れている幸いです。それは大変具体的な幸いです。

「悪き者の助言」に「歩まない」

「罪人の道」に「立たない」

「あざける者の座」に「座らない」

この3つの幸いが、2節では積極的に神が与えてくださる恵を受け取ってゆく福へと繋がってゆきます。

神の指針トーラーをまず神から与えられた、思いがけない慶福=めでたいほどの喜びだと、嬉しがって積極的に読み、聞き、関心を抱く者こそがアシュレーです。

その人は

1)流れのほとりに植えられた木のような人生を送ります。

2)することはすべて、成功する(貫く)人生を送ります。

私達は折角植えられたよい祝福の場所、この平岡ジョイフルチャペルの集いと、その一人一人を2017年度も大切にしましょう。


              

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                   手作りパンは美味しいです。


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by hiraoka-joyful | 2017-04-23 14:47 | トピックス  

4月23日17年今日の糧

神の恵みの中に植えられた教会

詩編1篇1節~3節

今日は2016年度の歩みをふり返り、また2017年度の指針を決める大切な総会の日でした。2016年度の歩みの中でまず一番に感謝したことは、週ごとの礼拝が守られ続けたことです。週の半ばに行われる祈祷会は、ジョイフルチャペルの原動力とも言える時間ですが、朝の祈祷会では詩編を読み継いでいます。 詩編を読むようになって3年が過ぎました。なぜ詩編を読むように導かれたか?それは祈りの課題を読む前に、詩編を通して祈る姿勢を教わるためでした。祈祷会で祈られる祈りの課題は様々ですが、昨年度も実に多くの教会の働きのための祈り、個人の課題のための祈りが聞き届けられ実現しました。

 その圧倒的事実に励まされて、今年度の聖句を聖句の表題とも言われている1篇から選びました。

 幸福だ(アシュレー) その人は 

詩編の巻物を開いた瞬間に、この感嘆詞が聞こえてきます。

それは真実な神が私たちを祝福するという宣言です。災いからの守りや救いが幸で、神が与えてくださる恵みが福です。

この視点こそ、詩編の最初で宣言されているアシュレーなのです。

最初のアシュレーは免れている幸いです。それは大変具体的な幸いです。

「悪き者の助言」に「歩まない」

「罪人の道」に「立たない」

「あざける者の座」に「座らない」

この3つの幸いが、2節では積極的に神が与えてくださる恵を受け取ってゆく福へと繋がってゆきます。

神の指針トーラーをまず神から与えられた、思いがけない慶福=めでたいほどの喜びだと、嬉しがって積極的に読み、聞き、関心を抱く者こそがアシュレーです。

その人は

1)流れのほとりに植えられた木のような人生を送ります。

2)することはすべて、成功する(貫く)人生を送ります。

私達は折角植えられたよい祝福の場所、この平岡ジョイフルチャペルの集いと、その一人一人を2017年度も大切にしましょう。


              

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                   手作りパンは美味しいです。


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by hiraoka-joyful | 2017-04-23 14:47 | トピックス  

4月16日17年イースター今日の糧

平安の中でおはよう

マタイ28章1~10節  

 

ふたりのマリアが墓を見に来ています。ふたりは、イエスが十字架につけられているのを見ました。彼女たちは、イエスが墓に葬られるのを見ました。彼女たちはイエスのそばにいること以外に生きる方法を知りませんでした。そのことの故に、彼女たちがイエスの復活の最初の証人となるのです。彼女たちはまだ薄暗い中墓へゆきます。愛する先生を失って、これからどのように生きたらよいかわからず、暗い中、自分たちの足元に目をやりながら、彼女たちは墓の中に収めてあるイエスの亡骸の側にいることを求めたのです。

しかしその時、主の天使は石をわきにころがしました。人間が知恵を尽くし工夫した事を、その使いはいとも簡単に取り除けました。 恐れる彼女達に御使いは、イエスの出来事を伝えています。

1) イエスが十字架につけられたことを伝えています。

2)イエスが墓の中におられないことを話しています。

これをしっかりと見つめよと、主の使いは伝えているのです。これが福音=善い知らせです。

御使いは、女たちがこれから生きてゆく方向を伝えています。それは墓から出て行って、イエスを失って彼女達と同様、言えそれ以上に気落ちしている弟子たちのもとに行く事です。 また、彼女達も共にガリラヤに行って、イエスに出会うことです。その場所で彼らはよみがえられたイエス・キリストと共に、今度は迷いなく神の国の働きを担ってゆくのです。

彼女達は急いで墓から出て、弟子達が隠れている場所までかなりの距離を走ったのです。良い知らせを告げる者の足はなんと美しいか。彼女達は本当に美しかったでしょう。

この女性達に彼女達が一番会いたかった人が声をかけます。喜べという言葉です。「めでたいね」とイエスが挨拶されたのです。恐れながらも大いに喜んで走ってゆく女性達を、嬉しがってイエスがガリラヤに行く前に彼女達に会いに来たのです。

イエス・キリストの言葉を聞く私たちもイエス出会い続けます。その姿を見続けます。私たちは福音書であらわされたイエスの言葉の中に、イエスを見つけます。イエスを信じる教会の皆さんの中に起きる出来事の中にイエスを見つけます。

               

   

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        イースターおめでとうございます


 


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by hiraoka-joyful | 2017-04-16 13:09 | トピックス  

4月16日17年イースター今日の糧

平安の中でおはよう

マタイ28章1~10節  

 

ふたりのマリアが墓を見に来ています。ふたりは、イエスが十字架につけられているのを見ました。彼女たちは、イエスが墓に葬られるのを見ました。彼女たちはイエスのそばにいること以外に生きる方法を知りませんでした。そのことの故に、彼女たちがイエスの復活の最初の証人となるのです。彼女たちはまだ薄暗い中墓へゆきます。愛する先生を失って、これからどのように生きたらよいかわからず、暗い中、自分たちの足元に目をやりながら、彼女たちは墓の中に収めてあるイエスの亡骸の側にいることを求めたのです。

しかしその時、主の天使は石をわきにころがしました。人間が知恵を尽くし工夫した事を、その使いはいとも簡単に取り除けました。 恐れる彼女達に御使いは、イエスの出来事を伝えています。

1) イエスが十字架につけられたことを伝えています。

2)イエスが墓の中におられないことを話しています。

これをしっかりと見つめよと、主の使いは伝えているのです。これが福音=善い知らせです。

御使いは、女たちがこれから生きてゆく方向を伝えています。それは墓から出て行って、イエスを失って彼女達と同様、言えそれ以上に気落ちしている弟子たちのもとに行く事です。 また、彼女達も共にガリラヤに行って、イエスに出会うことです。その場所で彼らはよみがえられたイエス・キリストと共に、今度は迷いなく神の国の働きを担ってゆくのです。

彼女達は急いで墓から出て、弟子達が隠れている場所までかなりの距離を走ったのです。良い知らせを告げる者の足はなんと美しいか。彼女達は本当に美しかったでしょう。

この女性達に彼女達が一番会いたかった人が声をかけます。喜べという言葉です。「めでたいね」とイエスが挨拶されたのです。恐れながらも大いに喜んで走ってゆく女性達を、嬉しがってイエスがガリラヤに行く前に彼女達に会いに来たのです。

イエス・キリストの言葉を聞く私たちもイエス出会い続けます。その姿を見続けます。私たちは福音書であらわされたイエスの言葉の中に、イエスを見つけます。イエスを信じる教会の皆さんの中に起きる出来事の中にイエスを見つけます。

               

   

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        イースターおめでとうございます


 


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by hiraoka-joyful | 2017-04-16 13:09 | トピックス