カテゴリ:トピックス( 280 )

 

4月16日17年イースター今日の糧

平安の中でおはよう

マタイ28章1~10節  

 

ふたりのマリアが墓を見に来ています。ふたりは、イエスが十字架につけられているのを見ました。彼女たちは、イエスが墓に葬られるのを見ました。彼女たちはイエスのそばにいること以外に生きる方法を知りませんでした。そのことの故に、彼女たちがイエスの復活の最初の証人となるのです。彼女たちはまだ薄暗い中墓へゆきます。愛する先生を失って、これからどのように生きたらよいかわからず、暗い中、自分たちの足元に目をやりながら、彼女たちは墓の中に収めてあるイエスの亡骸の側にいることを求めたのです。

しかしその時、主の天使は石をわきにころがしました。人間が知恵を尽くし工夫した事を、その使いはいとも簡単に取り除けました。 恐れる彼女達に御使いは、イエスの出来事を伝えています。

1) イエスが十字架につけられたことを伝えています。

2)イエスが墓の中におられないことを話しています。

これをしっかりと見つめよと、主の使いは伝えているのです。これが福音=善い知らせです。

御使いは、女たちがこれから生きてゆく方向を伝えています。それは墓から出て行って、イエスを失って彼女達と同様、言えそれ以上に気落ちしている弟子たちのもとに行く事です。 また、彼女達も共にガリラヤに行って、イエスに出会うことです。その場所で彼らはよみがえられたイエス・キリストと共に、今度は迷いなく神の国の働きを担ってゆくのです。

彼女達は急いで墓から出て、弟子達が隠れている場所までかなりの距離を走ったのです。良い知らせを告げる者の足はなんと美しいか。彼女達は本当に美しかったでしょう。

この女性達に彼女達が一番会いたかった人が声をかけます。喜べという言葉です。「めでたいね」とイエスが挨拶されたのです。恐れながらも大いに喜んで走ってゆく女性達を、嬉しがってイエスがガリラヤに行く前に彼女達に会いに来たのです。

イエス・キリストの言葉を聞く私たちもイエス出会い続けます。その姿を見続けます。私たちは福音書であらわされたイエスの言葉の中に、イエスを見つけます。イエスを信じる教会の皆さんの中に起きる出来事の中にイエスを見つけます。

               

   

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        イースターおめでとうございます


 


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by hiraoka-joyful | 2017-04-16 13:09 | トピックス  

4月9日17年今日の糧

最後まで父を呼ぶ子

マタイ27章45節~50節


神の子が父なる神から断絶されることは、この世のいかなる苦しみにも比べられないほどの苦痛でした。信頼している者に拒絶されるほど、さみしいことはありません。イエスも又一番愛し信頼する父なる神の顔を見失い、悲痛な叫びを上げるのです。それは本来罪ある人間が味わい続けてきた真実な神との断絶でした。

イエスが十字架で発した叫びは、虐げられた正しい人の叫び、善が敗北し、悪が勝利する絶望の叫びです。愛する者に拒絶された者の叫びです。けれどそれは、神自身がすべての人のうめき苦しみを担った叫びでもあります。イエス・キリストの大きな叫びはどこまでも届いてゆきました。その声を聴く者は、自分だけが孤独に苦しんでいるのではないことに気づきます。

そして神が私たちの苦しみを知って、イエス・キリストを通して共に叫ばれている事実に驚くのです。イエス・キリストは私たちの代わりに神に捨てられて、その絶望を私たちの代わりに味わい尽くしてくださった。そのうえでなお今自分から離れようとする父なる神へわが神と呼びかけます。イエスはこの真実な信仰を、このイエスの声を聴く私たち一人一人に渡してくださったのです。

そして神殿の垂れ幕が裂かれたこの時、真実な神はイエス・キリストの十字架の死を通して、すべての人の父となることを選ばれたのです。
 ですから、私たち一人一人は、罪を赦されて神の前に出て礼拝をする者となったのです。本来なら自分の事だけを愛して、他者の痛みに鈍感な者であった者が、喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く者とされたのです。そしてともに礼拝をささげる友を喜ぶ群れとなったのです。キリスト者にある友を見出すことで、世界が開かれるものとなったのです。

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今週はピリ辛丼でした

                     来週はイースターの卵があります。


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by hiraoka-joyful | 2017-04-09 13:18 | トピックス  

4月2日17年今日の糧

イエスの祈りの中で

マタイ26章36節~46節

イエスは父なる神から渡された杯を飲み干すことに苦しみます。それは父と離れる杯です。日本で言うならば水杯です。愛するもの達が今生の別れをする時、飲み干す杯です。

イエスはなぜその杯から飲んだのか?

神から離れた~神との親密な交わりから離れた。それが人の罪です。その私たちを真実な神の元に子として戻すために、イエスは自分が代わりに別れの杯を飲んだのです。イエスは父なる神を愛し抜いているにもかかわらず その父の元を離れねばならないのです。そしてその魂は死ぬほど苦しみます。

「おとうさん、おとうさん」と。弟子達はそのイエスの呻くような祈りの言葉を聞いていたでしょう。いいえこの祈りに包まれていました。 そうやって弟子たちは眠っていました。イエスの苦しみをしっかりと見つめていることが、彼らは全く出来ませんでした。

イエスの願いに弟子達は何一つ応えていません。しかし彼らは、イエスのそば近くにいることで、イエスが真実な神に「おとうさん」と語りかけた祈りに包まれているのです。彼らを包んだ祈りの言葉はやがて、イエスの十字架と復活の出来事を経て、弟子達や教会につながる人々の口に生まれてくるのです。

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そしていよいよ、時が来ます。イエスは彼らに

あなた方は起きよ(命) 

私たちは行こう  

見よ わたしを裏切っている者が 近づいた

と声を掛けます。そこにもはや悲しみにくれる様子はありません。地面にはいつくばるように呻いていたイエスは、しっかりと立ち、イエスを裏切る者の方向へ向かって行くのです。 このイエスの声によって、弟子はハッキリと目覚めます。そしてイエス・キリストの苦難の証人として、その姿を見つめてゆきます。それは、イエスが完全に仕える者となられた姿です。彼らはそこに神の国は到来することを見つめ続けます。そして私達にも福音書を通して証し続けているのです。

 

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うどんも蕎麦もつゆだく具沢山


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by hiraoka-joyful | 2017-04-02 13:34 | トピックス  

3月26日17年今日の糧

マタイ26章17節~30節

日本バプテスト連盟とタイそしてカンボジア

  日高嘉彦協力牧師は2月に訪れた宣教使時代のフィールドタイ国を訪れました。今日は、その時関わったタイのキリスト教会における働きを語って下さいました。
また現在カンボジアに日本バプテスト連盟から派遣されている嶋田宣教師を訪ねた時の様子もうかがいました。

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                     カンボジアの嶋田先生御一家と                
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                 礼拝後は奉仕日でした。焼きそばも作って食べました。

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by hiraoka-joyful | 2017-03-26 13:59 | トピックス  

3月19日17年今日の糧

乙女達は抗議する

マタイ25章1~12

 

イエス・キリストがいつ来られるのか、キリスト者といえども知りません。だから、私たちはイエス・キリストがいつ来られても、神と人に喜ばれる生き方をしたいとねがっています。そしてイエス・キリストが再び来られた時、「忠実な者だったね」と声をかけてもらえるように願います。

  しかし、私たちはまた私たちの日々の生き様が不完全である事を知っています。そのような私たちはこの物語の賢い乙女よりも寧ろこの愚かな乙女の方に同情し、この物語にやりきれなさを感じるのではないでしょうか。ですから、愚かだと言われている乙女達の言い分も聞いてみましょう。

1)「花婿の到着が、皆が思っていたよりも遅かった」

2)居眠りし、眠っていたのは10人全部だ

3)他の5人が油を分けてくれなかった。

そのことに上手に対処出来なった事が愚かなのでしょうか?いえ娘達の愚かさの背景は、花嫁への友愛や信頼の薄さです。乙女達は誰に相談するべきだったか、それは花嫁です。なぜなら油は花嫁側が用意した油だからです。

もしこの愚かな乙女達に油がなくても、店に買いに走らずに花嫁と共に、他の乙女達が花婿を連れてくるのを持って、花嫁と共に婚礼の部屋に出かけたなら、彼女達も又喜びの時を一緒に過ごせるのです。なぜなら花嫁も花婿もそれを望んでいるのですから。

5人の娘の思慮深さ、賢さの背景は、花嫁の事をとても大切に思い、花婿を連れてくることを第一にしたことです。この花嫁は既に主の元に召されたキリスト者の群れ天に属する教会です。彼等が私たちに託した油、それは約2000年前に召された聖徒達が記した聖書。そして信仰を全うしたキリスト者の歴史、またかつて私たちのすぐ側にいたキリスト者の家族や友人達の姿です。その全てのものが、今を生きる地域教会のキリスト者に指し示していることは、真実なその神は独り子を与えるほどに私たちを愛して、私たちを家族として迎えるかただと言うことです。

 その事実の前に真摯に生きること。真実な神が私たちを召された地域教会で、真摯な教会生活を送ること。それこそイエスが伝える天の国の賢さなのです。そのようなキリスト者の姿は松明のように輝きます。「そこに光がある」とどの人が見て分かるものです。

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抜群の 麺の堅さはプロ級です。


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by hiraoka-joyful | 2017-03-19 13:40 | トピックス  

3月12日17年今日の糧

私たちはロバの子―そしてその母

マタイ2117


イエスの出来事を記録する中で、マタイはわざわざイエスが子ロバを調達されたことは、大きな意味があることを見つけました。


イエスが入場したエルサレム、その都はどのような苦しみの中にいたのか、預言者は伝えます。捕囚から帰還した民が見ていた自分達の祖国は荒れ果てていました。あまりにも絶望的な状況です。それでも預言者は伝えます。救い主は都を再び建てる。都を喜びとすると。


娘シオンと呼ばれている都エルサレム。そこに王はロバに乗って登場します。謙遜で人に仕える王は、私たちのために苦しみを受け、その命も与えた王です。権威に満ち、戦えば必ず勝利をする、ダビデ王国の繁栄を再現する強い実力者ではなく、やがてエルサレムがたどる破滅と破壊の運命を見つめて涙を流す王なのです。そしてマタイによる福音書だけが、このロバが荷物を運ぶロバの子であることを記しています。その意味で子ロバは、私たちが本来は返済すべき負債を一身に背負って十字架への道を歩まれるイエスの苦しみ、その重さを背中に感じながら進んで行きました。それは子ロバにとって単に煩わしい、嫌な苦役だったでしょうか。


いいえそうではありません。この時ロバは杭に繋がれ続けていました。その背中には何の重荷もなかったかもしれません。しかし杭に繋がれ続けているよりも幸いな役割りを、イエスはロバの親子に与えました。


イエスはやがて滅んでゆくエルサレムの運命を知っていました。そのエルサレムを心のよりどころとする人々もまた懸命に生きてきたはずなのに、多くの嘆きと悲しみ苦しみに打ちひしがれる日が訪れることを知っていました。その日が近づいているのに真実な神の愛に立ち返る道を見つけることが出来ない多くの民を知っていました。その人々が再び自分の都を取り戻し、再びそこで喜び笑えるように、イエスは十字架の道を進んでいったのです。そして子ロバはそのイエスの働きを共に担っていったのです。


                      

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 今日、6年前の3月11日から始まった東日本大震災によって起こされた大きな苦しみ悲しみを覚えて、O姉妹に祈りの課題を読んで頂きました。この祈りの課題はそこで、呻きつつその地に生きる人々に少しでも笑顔が戻ってくるために働き続けている東北地方連合の牧師達からの言葉です。

牧師や教会員の皆さんは、避難所から仮設住宅へと移動する人々に関わり、6年間仮設の人々を訪問し続けました。 そして今その地を出て行った人々、復興住宅に入る人、地元に戻る人、これからも彼等が悲しみの中に閉じこもってしまわないように、関わり続けることを決心しておられます。そして、同じくイエス・キリストの呼びかける声を聞いた私たちもまた、彼等に寄り添い共に歩む働きがあります。母ロバはイエス・キリストを背に乗せている子ロバの重さがどれほどかを感じながら、いつでも交代出来るように寄り添って歩んでいます。それが現地にはいなくても、志を同じくする日本中の教会の姿でしょう。


                                                    

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                        牛丼つゆだく卵付き


                           


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by hiraoka-joyful | 2017-03-12 14:08 | トピックス  

3月12日17年今日の糧

私たちはロバの子―そしてその母

マタイ2117


イエスの出来事を記録する中で、マタイはわざわざイエスが子ロバを調達されたことは、大きな意味があることを見つけました。


イエスが入場したエルサレム、その都はどのような苦しみの中にいたのか、預言者は伝えます。捕囚から帰還した民が見ていた自分達の祖国は荒れ果てていました。あまりにも絶望的な状況です。それでも預言者は伝えます。救い主は都を再び建てる。都を喜びとすると。


娘シオンと呼ばれている都エルサレム。そこに王はロバに乗って登場します。謙遜で人に仕える王は、私たちのために苦しみを受け、その命も与えた王です。権威に満ち、戦えば必ず勝利をする、ダビデ王国の繁栄を再現する強い実力者ではなく、やがてエルサレムがたどる破滅と破壊の運命を見つめて涙を流す王なのです。そしてマタイによる福音書だけが、このロバが荷物を運ぶロバの子であることを記しています。その意味で子ロバは、私たちが本来は返済すべき負債を一身に背負って十字架への道を歩まれるイエスの苦しみ、その重さを背中に感じながら進んで行きました。それは子ロバにとって単に煩わしい、嫌な苦役だったでしょうか。


いいえそうではありません。この時ロバは杭に繋がれ続けていました。その背中には何の重荷もなかったかもしれません。しかし杭に繋がれ続けているよりも幸いな役割りを、イエスはロバの親子に与えました。


イエスはやがて滅んでゆくエルサレムの運命を知っていました。そのエルサレムを心のよりどころとする人々もまた懸命に生きてきたはずなのに、多くの嘆きと悲しみ苦しみに打ちひしがれる日が訪れることを知っていました。その日が近づいているのに真実な神の愛に立ち返る道を見つけることが出来ない多くの民を知っていました。その人々が再び自分の都を取り戻し、再びそこで喜び笑えるように、イエスは十字架の道を進んでいったのです。そして子ロバはそのイエスの働きを共に担っていったのです。


                      

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 今日、6年前の3月11日から始まった東日本大震災によって起こされた大きな苦しみ悲しみを覚えて、O姉妹に祈りの課題を読んで頂きました。この祈りの課題はそこで、呻きつつその地に生きる人々に少しでも笑顔が戻ってくるために働き続けている東北地方連合の牧師達からの言葉です。

牧師や教会員の皆さんは、避難所から仮設住宅へと移動する人々に関わり、6年間仮設の人々を訪問し続けました。 そして今その地を出て行った人々、復興住宅に入る人、地元に戻る人、これからも彼等が悲しみの中に閉じこもってしまわないように、関わり続けることを決心しておられます。そして、同じくイエス・キリストの呼びかける声を聞いた私たちもまた、彼等に寄り添い共に歩む働きがあります。母ロバはイエス・キリストを背に乗せている子ロバの重さがどれほどかを感じながら、いつでも交代出来るように寄り添って歩んでいます。それが現地にはいなくても、志を同じくする日本中の教会の姿でしょう。


                                                    

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                        牛丼つゆだく卵付き


                           


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by hiraoka-joyful | 2017-03-12 14:08 | トピックス  

3月5日17年今日の糧

借金を帳消しにする方

マタイ182135

ペトロは赦せない自分をよく知っていました。だからどのくらいだったら赦さなくても良いのかとイエスに聞きたかったのです。

  実はペトロがイエスにこのような質問をしたのは、その前にイエスが弟子達にこう伝えたからです。

18:19 また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。

イエスはここで心を一つにして、と弟子達に語りかけました。共に集まり、共に賛美し、共に祈り、共に感謝を捧げる。それはまさにイエスがその中に居られる礼拝です。イエスはこの大切な事柄を弟子達に伝えます。その時、ペトロの中に、仲間の弟子達と心を一つにするのは難しいという思いが湧き上がったのです。ですからペトロはどのくらいだったら赦さなくても良いのかと、イエスが伝えたかった事とは正反対のことを聞いたのです。その時イエスはたとえ話をしました。イエスは譬の中で、仲間に憐れみを持たないで最後に監獄の役人に引き渡された奴隷のことを伝えています。彼は負債を返すまで拷問をうけるのです。それは仲間を赦しきれないペトロの姿でしょうか。私たちの姿でしょうか。

いいえ、私たちは実際にこの拷問を受けた方が誰だったかをしっています。鞭を打たれ十字架にかかった方が誰だったかを知っています。最後まで人を愛した方が誰だったか。人を赦しきった方が誰だったか。それはイエス・キリストです。この譬の中で、仲間を何度赦せばいいのかという問いの答えは数ではないのです。アガペーの愛で人を愛し、人を赦したイエス・キリストそれが私たちへの答えなのです。

イエスから私たちに委ねられているのは緩めるということです。聖書では鍵を解くとあらわしています。人を赦さず、自分の内に鍵をかけ誰にも心の内を明らかに出来なくなる。それは私たちを孤独にし、虚しくさせます。それを緩めてゆく。その緩めたところにイエス・キリストが入って下さるのです。そして赦しそのもののイエス・キリストが私たちの思いを同じ心へとして下さるのです。


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春を喜ぶちらし寿司


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by hiraoka-joyful | 2017-03-05 13:45 | トピックス  

2月26日17年今日の糧

嵐の中の安心

マタイ1422節~33

 弟子たちの舟は一晩中、逆風に悩まされ、漕ぎ悩んでいました。彼等の苦しみを祈りの中で受け止めたイエスは、弟子達のところへ行きます。イエスは湖の上を歩くほどに、彼等の元へ急いでいます。

しかしそのようなイエスを弟子達は喜ぶ事が出来ませんでした。狼狽や恐怖がイエス・キリストを幻影だと思わせました。イエスはそんな弟子達に「わたしだ」と語りかけます。これは真実な神が慈しみと憐れみを持って人間に近づくときの名前です。その慈しみは、「勇気を出せ」という言葉に現れています。

イエスの声を聞いたペトロが、それに反応します。イエスの言葉に応答するペテロは弟子の代表、そして教会に集う者の代表ともいえます。けれど風を見て恐ろしくなり、沈み始めます。その時ペトロの内側から、小さいけれど本当に輝く信仰が現れます。それはイエスに訴えたペトロの必死の願いです 

主よ

救え 

我を

 イエスはすぐに手を伸ばしてペトロの身体を掴みます。そして「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われます。私たちが陥りがちなことは、疑うことです。私たちはイエスを見ながら、この世の現実も見ている者だからです。それが多くのキリスト者の信仰です。しかしこの信仰は疑いで揺らめいてはいるが信仰の輝きを保たれています。それは自分の弱さを隠さないで「主よ、私を救え」と叫ぶことに現れてくるのです。

イエスはペトロと共に舟に乗り込みました。するとあれほど弟子達を悩ませていた風が静まります。

弟子達はその時イエスを礼拝しました。波にもてあそばれ、風に翻弄されていた小さな舟が、礼拝をする場所に変わりました。私たちの信仰の歩みの中で、イエスは「勇気を出せ。わたしだ。恐れることはない」と語りかけています。 だからこそ週ごとに私たちは、感謝と喜びを携えて、この場で礼拝するのです。

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        今日は礼拝後奉仕日でした。

           焼きそばが一段と美味しかった。


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by hiraoka-joyful | 2017-02-26 13:20 | トピックス  

宮城県を訪ねて

東日本大震災から6

先週、牧師は宮城県で行われた全国牧師研修会に出席しました。(2月13-15日)

そして東松島で、復興の様子や6年前に何があったかをガイドさんからうかがいました。

またこれまで何度か訪ねた石巻市に出かけました。跡地の盛り土工事は少しずつ進んでいますが、人々の家々があった場所にはもはや生活の痕跡もありません。けれどこの場所とあの悲しみを私たちは忘れることはできないでしょう。

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石巻市

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                 東松島

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                  旧野蒜駅跡


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by hiraoka-joyful | 2017-02-19 17:55 | トピックス