カテゴリ:トピックス( 268 )

 

1月29日17年今日の糧

雀を見てごらん

マタイ10章26~33

  当時一つのパンが2アサリオンで売られていました。パンを買う代金の半額で二羽の雀が買えました。パンよりも安く売られている小さな雀ですら、父なる神様の許可なしには地に落ちることはない。そのちいさな雀がそれに与えられた命を全う出来るように、神が支え続けている。さらに神は、糸よりも細い人の髪の毛一本も同様にしっかりと把握しているのです。そうイエス様は伝えます。 だから恐れるなと。 イエスは父となってくださった神が尊い者として人を愛しているかを知っていたのです。だからどのような罪人でも、社会から拒絶されている者も、忌まわしい病に苦しんいでる者にも、イエスは仕えるために来られました。このような神とイエス様に愛されている事を知るとき、私達が語る言葉は感謝と賛美になります。

                       

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  わたしが青年期、教会に一人の姉妹が来ておられました。彼女は身体が弱かったため、ご両親は彼女をとても大切にしていました。そしてなるべく自分のことが出来るよう配慮していました。その彼女が散歩の途中で見つけた教会に立ちよって、やがてイエス様を信じバプテスマを受けたのです。年はかなり上でしたが彼女は少女のように愛らしいかたでした。皆彼女を愛していました。そして彼女がとても丁寧に教会の奉仕をする姿に、素直に「イエス様に感謝します」とおっしゃる姿に、青年達が仲違いすると、「だめ~」と悲しむ姿を見て、「Nさんは素晴らしいね」と、教会に集う人達はなにか誇らしいような嬉しいような気持ちでいたのです。このような本当の人の言葉、神を愛する人の言葉こそ、イエス様が喜ぶ言葉です。

                       

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                      うどんと蕎麦2杯は食べられません 具沢山です。

 


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by hiraoka-joyful | 2017-01-29 13:21 | トピックス  

1月22日17年今日の糧

少女が目覚める時

マタイ918節~26

イエス様が、死んでしまったある指導者の娘を生き返らせたという奇跡と、その話にはさまれて、十二年間出血が止まらずに苦しんでいたある女性を癒されたという奇跡が起きました。この二人の女性には共通点があります。

1)死んでいる。

一人は社会的に汚れた者として死んだ者のように取り扱われ

もう一人は死んだ者。

2)イエスに触る

一人は自分から触る

もう一人はイエスが触る

この二人がその後の人生をどのように生きたか、そのことを聖書は記していませんが、おそらく長血が癒された女性はレビ記が規定している贖いの儀式を行ったでしょう

12年間蚊帳の外にいた彼女を取り巻く社会に、彼女が帰ってゆくとき多くの困難があったでしょう。他の福音書によればすでに全財産を使ってしまったともあります。しかしその度に、イエスが声をかけてくれた「勇気をだせ 娘よ」 そのことばに励まされながら生き続けたことでしょう。

  そしてこの少女も、特異な経験をした者として奇異の目で見られたかもしれません。群衆の中にはこの会堂の指導者を悪く言うものもいたでしょう。イエスがユダヤ教の指導者達に憎まれるようになってからは、イエスに頼ったこの父親の立場も悪くなったかもしれません。そのニュースがその地方に出て行ったからです。イエスに対するニュースを聞いて、それは悪霊の力だと噂を立てる者もいたのです。けれどどのような立場になろうとも、この娘と父は自分達がイエスに命を頂いた事を感謝しながら、社会の評判でなく自分達が出会ったイエスを信じて歩み続けたでしょう。だから彼女達の出来事は、今を生きる私達を励まし続けています。

                         

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                       今日の炊き込みご飯は栗が沢山入っていました


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by hiraoka-joyful | 2017-01-22 14:30 | トピックス  

1月15日17年今日の糧

気前が良い天の父(1-15日)

マタイ77節~12


私は今から30年以上前に大阪の茨木市にあるバプテスト教会で奉仕をしていました。 その教会は女性宣教師が生涯をかけて牧会していたちいさな教会でした。

                 

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そしてその教会の隣には同じ宣教団が関わる児童福祉施設がありました。70年近く前に宣教師は日本に来て、その児童福祉施設にも関わりました。その中で天涯孤独の子どもや、家庭環境が複雑で荒れている子どもを自分の養子として手元で育てました。しかしそれは他の入居者のねたみを引き起こすと、宣教師は責められました。また引き取った子どもがぐれた時には、そらみたことかと文句を言われました。

たしかに人の行いは、たとえそれが善意から来たことでも不完全です。けれど一番大切なのはその行いが私達の父となって下さった神への祈りの中で行われるとき、不完全な人の行いが、愛の神の手によって最も善いものへ変わってゆくことです。私達はそこで神の愛を知るのです。

人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。と言われたイエスの言葉は、神の愛がそこにあらわされた時、生きて働く言葉となります。先ほどの宣教師の行為も非難する人ばかりではありませんでした。その宣教師が日々格闘している働きの為に、天の父に心を合わせて祈り続ける信仰の友が沢山いたのです。何十年という長い祈りの中で、一時はぐれていた子ども達も立ち直り、家庭を持ち、信仰を受け継ぎ落ち着いた生活をするようになりました。彼女の行為を一時的に非難した人々も、その宣教師の味方をするように変わってゆきました。

 そこにも、父なる神の愛を見つけた多くの人がいたのです。

                    



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                           今日は2色スパです。

                          

                                                         


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by hiraoka-joyful | 2017-01-15 13:36 | トピックス  

1月8日17年今日の糧

自分の十字架とは何?
マタイの福音書1621-28

今日の宣教は蒔田浩平執事でした。

現在酪農学園獣医学部で教鞭(専門は疫学)をとっておられ、お働きのことも

合わせてメッセージされました。

その働きを支えているのが聖書にある

「自分を捨て、自分の十字架を負い、
そしてわたしについて来なさい。」とのイエス・キリストの言葉です。

そもそも十字架刑は

ローマ時代の刑

横木を背負って刑場へ

苦痛が長く、必ず死ぬ 厳しい刑罰です。

イエスの弟子たちは、「十字架」をどう理解しただろうか?

重く、自分が必ず苦痛を味わい、死ぬと分かっているような仕事

進んで受け入れ行う神への従順

そしてイエスはどのような意味を込めただろうか?

アガペーの意味・重さ

自身が十字架に架かることによって、罪の赦し・救いが行われることの預言

蒔田執事の疫学を通しての働きもまた

貧困の中にいる人のために生きる喜びとの出会いだった。  
1998年、青年海外協力隊ネパール)

        

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                             左端の方

「聖なる人に会いに行きなさい」という声に従う。
2004年埼玉県庁退職、エディンバラ大学博士課程留学)

そうして学んだ疫学(えきがく)とは地図作りだった。

病気の原因を探せ!~ヒト、動物、環境中の原因

ここから様々な働きが広がった

                      


JICA草の根技術協力事業
ウガンダ国ムバララ県安全な牛乳生産支援プロジェクト(2016-2019年)

3本柱による牛乳生産性の向上→貧困削減

現地駐在型人材育成

国際協力活動

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                       お蕎麦にうどん ぜんざいも  身体が暖まりました


                          




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by hiraoka-joyful | 2017-01-08 14:18 | トピックス  

1月8日礼拝宣教の案内

1月8日礼拝宣教は
蒔田執事が担当です。

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酪農学園大学で疫学を教えておられ、
明日は、聖書の宣教に加え専門の疫学を通しての
働きについてもお話し下さる予定です。

どうぞ皆様、礼拝にお出かけ下さい。
教会は暖かく、昼食も用意しています。
  
 




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by hiraoka-joyful | 2017-01-07 14:30 | トピックス  

1月1日元旦礼拝今日の糧

神の国の始まりは 

マタイ3章13~17節

 

新年明けましておめでとうございます。

神が私達を愛して下さる愛、それはアガペーの愛です。それは自分が痛みながらも他者を愛する愛です。私はタイで、エイズにより両親を失った子ども達や親が罹患して貧しさの中にある子ども達を世話する働きに関わっていました。その当時タイバプテスト神学校を卒業したスイモンという先生が子供達をケアしていました。

ある年私は日本から来てくれた女性達と共に聖書キャンプに参加しました。

子ども達のために日本の姉妹達は多くのお土産を持って来てくださいました。けれど、そのキャンプの夜、一部の子ども達が夜中にそれを勝手にもちだしたのです。

次の日の朝、その事実が分かった時スイモン先生は、自分はあなたたちに罰を与えなければならないと、子ども達に言い渡しました。しかしいつも家でたたかれ怒鳴られて心が傷ついているあなたたちを、これ以上打つことは出来ないと、スタッフに頼んで自らの手を何度も打ってもらいました。打ち付けるスタッフもスイモン先生も子供達も日本の姉妹達も泣いていました。そしてその時を境に子供達の心が変わってゆきました。

その子ども達を見て、母親や、おばあさん、おじいさん達も変わり始めました。彼等もまた、非常な貧しさの中で育てなければならない子どもを、ただやっかい者とする事をやめました。学校にも行かさずに、働かすことをやめました。子ども達が学ぶために応援をするようになりました。そうやって変わっていった大人達の中で、彼等は成長して、大学に入るようにもなりました。希望を持って生きてゆく力が、彼等の中に生まれたのです。

                     

                     

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   サマリアの家の子ども達とご父兄

 2017年私達にどのような明日が待っているか、私達には分かりません。けれど私達が確実に分かっていること。それはどのようなときにも、父なる神は「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」だと宣言しながら、私達と共にいて下さることです。

 その言葉に日々励まされながら、今日を、明日を大切に生きましょう。


                     

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by hiraoka-joyful | 2017-01-01 12:58 | トピックス  

12月25日16年今日の糧

クリスマスに平和を祈る

マタイによる福音書 第2章1-12節

 「なぜクリスマスにプレゼントをするのでしょうか」、その理由は今から二千年前の世界で最初のクリスマス、イエス・キリストが誕生した日にさかのぼります。「博士達の訪問」という物語に由来しています。この東方から来た人々は、今まで聖書を読んだこともありませんでした。彼等には星を見つめる洞察力と、多くのデーターに基づいて分析する力、地理や歴史に造詣が深く、その上真実を知るための行動力があったのです。博士としての素質を十分備えている者達でした。彼等がひとたび聖書の言葉に触れた時、もう迷いはありませんでした。そのような彼等に当方で見た星がまるで道案内のように進んでゆきます。

 そしてやっとその場所に着いて、家に入ります。その時彼等は見たのです。一人の幼子がその母と一緒にいる姿を。貧しい少女のような母、そしてちいさな赤子。でも彼等には分かりました。このことを、聖書は伝えていたのだと。

 かれらはそれを確信し、この見ず知らずの赤ん坊の前にひれ伏します。そして感謝一杯に神を礼拝します。それから王に捧げるために用意してきた贈り物を差し出します。

  けれどクリスマスに私達が本当に見つめるのは、博士達が差し出したプレゼントではありません。プレゼントを差し出されたイエスの姿です。この赤ん坊はなぜこの世界に生まれたのでしょうか。それはこの世界と私たち人間を創り、世界に神の平和が満ちることをいつも願い続けている神の愛を顕すためでした。

 黄金よりも人々の前で輝く方。没薬よりも人々を癒す方。乳香よりも人々の心に安らぎを与える方が、クリスマスのこの日に真実な神から私達に贈られたのです

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クリスマス愛餐会です。


 


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by hiraoka-joyful | 2016-12-25 15:22 | トピックス  

12月18日16年今日の糧

壁を取りはらったら

エフェソの信徒への手紙 2:11-22

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人と人との敵対心、反目それを全く新しい事柄に変えていく方はだれでしょう。それはイエス・キリストです。イエス・キリストはお互いの違いが許せずに火花が散っている憎しみや争いの直中に、自分の肉体を投げ出し、血を流し、命をかけて隔ての壁を激しく破壊し続けた方です。イエス・キリストの十字架は神との和解を実現させ、人々の中にある敵意を滅ぼしました。そして一人一人に大きな転換をもたらすのです。それは違いによる争いが多かった初期の教会の中にも起きていました。

1)ユダヤ人キリスト者が体験した大きな転換

イエスは神の愛や憐れみが失われ、守るためだけの律法を廃棄して、新しい戒め、愛と憐れみに生きる道標をもう一度立て直した方です。

 そのことに目覚めたユダヤ人キリスト者は、聖書を探求し聖書に書かれている真の神の約束が、イエス・キリストによって実現したことを知り、そのことを伝え書き表していったのです。私達が今読んでいる新約聖書の多くの言葉は、そのような人々が残した記録です。

2)異邦人キリスト者が体験した大きな転換。

いままで聖書も知らず、真の神も知らなかった地域に住む人々の中に、イエス・キリストという天の平和が与えられました。その時、彼等はたとえ聖書の知識が乏しくても、伝道者を助け、富を捧げ、礼拝する場を提供し、様々な経験を生かして、イエス・キリストの福音が広がってゆくことに参与し続けました。そうやってイエス・キリストの福音は世界中に届けられ続けて来ました。そうやってこの北海道にも、ここにいる私達にもイエス・キリストの福音が届いたのです。


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by hiraoka-joyful | 2016-12-18 16:30 | トピックス | Comments(0)  

2016年 クリスマス礼拝のお知らせ

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24日(土)イブ礼拝は キャンドルサービスです。
特別な晩餐式があります。
25日(日)礼拝の後に、クリスマスランチがあります。
教会のクリスマスは特別に嬉しい時です。
お出でをお待ちしています。


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by hiraoka-joyful | 2016-12-18 08:18 | トピックス  

12月11日16年今日の糧

幸いになりたいなら

マタイによる福音書 5:9



神の独り子イエスがクリスマスにこの世界に生まれたのは、私たちと神様との間に平和を実現して下さるためでした。神が造られた人は、神の前に自分を偽った時から、真の神と心が通じ合わなくなってしまいます。その時から、人にとって真の神は自分の偽りを暴く者、自分の自由を奪い、束縛する者となったのです。

そのような私達一人一人が持っている死の陰が覆う部分、誰にも明け渡したくない場所にもイエスは光となって届いてゆく方です。その光に導かれ、悔い改め、神の方向に向き直り生きる。それは、自分が覆い隠したいこと全てにも、神の配慮や慰めや、そこから立ち直るために助けがあることを信じて、委ねてゆく事なのです。

自分を偽らなくても、大きく見せなくても良い。 苦しんでいるのに顔に出さないようにしなくても良い。 大声で叫びたいのに、黙らなくても良い。 涙をこぼしそうなのに歯を食いしばらなくても良い。 

神の愛に受け入れられていることを、信じる者となることです。

そして平和の君、イエス・キリストに出会った一人一人は、イエスを知らなかった時に勝手に使った口や唇をどのように用いているかまず、心がけます。それが平和をつくり出す最初の一歩であり、生涯かけて吟味することです。

平和を立てあげる人々と共に、イエス・キリストは歩み続けています。それはイエスと共に私達がつくりだしてゆく平和の光景です。その一つ一つの言葉、行いにイエスは幸いだと声をかけ続けておられるのです


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雪の中、主の守り共に、礼拝に


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                   昼食を、みんなの笑顔が、囲んでる


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by hiraoka-joyful | 2016-12-11 14:03 | トピックス