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8月30日14年今日の糧

創世記1章31節
「人間、良いもの悪いもの?」

神(かみ)さまが1日に二度も「見て、良し」とされたのは、だい何日目でしょうか?
こたえー 「3日目」(創1:9-12)
1:10 神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。
 神はこれを見て、良しとされた。
1:12 地は草を芽生えさせ、それぞれの
種を持つ草と、それぞれの種を持 つ実をつける木を芽生(えさせた。 神はこれを見て、良しとされた。

神さまが一度も「見て、良し」とされな かったのは、だい何日目でしょうか? 
こたえ 「2日目」(創1:6-8)
6 神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」 
7 神は大空を造り、大空 の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。
8 神は大空を天と呼ばれた。
 夕べがあり、朝があった。 第二の日である。
「空と海の創造」(第2日目)=大空による水の分割
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 第6日目における「良かった」
1:24 神は言われた。
「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」
そのようになった。1:25 神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。 神はこれを見て、良しとされた。その後人が造られた。

水を分けた時と人間の創造の時 良しのことばはなかった。
なぜならどちらも神の目から見て 良い方向への働きと、悪しき方向への働きの可能性を秘めているからだ。例えば分けられた水は時に自然災害をもたらす。
また人間も善も悪も選びとる存在だ。
人は、その生きざまや有りようによって、良しとされるかどうかが問われ続けるのです。
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by hiraoka-joyful | 2014-08-31 15:01 | トピックス  

8月24日14年今日の糧

人の中から出てくるもの
マルコ7章14-23
まず、清いものと汚れたものを規定しているのは
旧約聖書のレビ記にある掟です。
ここでは神に喜ばれる聖いものと取り除くべき穢れたものとを区別 する。
穢れとは宗教的問題。衛生の問題ではない。
ではイエスの新しい原則は何か?
「外から人の体に入るもの」それは食べ物だ。
命が命を養い身体を通って、残りかすは排出される。
最後に自然界に帰る。それは命のサイクルを持ち、清いものだ

それに対し悪い思いと行いは、
私たちの心の中から生まれて来る。 ここにそのリストがある。
複数形
~みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪悪意=邪悪
人の中から何度でも首をもたげるもの。
単数形
~詐欺=たくらみ、好色=移り気、ねたみ=悪い目、悪口=神への冒涜、傲慢、
無分別=無知 これが悪しき思いの根源。
無知によって人は、神と人との本来の関係を壊している。
神は自分の手で人を創造した。(創世紀2:7 )
人には二面性がある。つまり造り主なる神を知っている者と神を否定する者。
私たちを愛する神を知らない心が悪(穢れ)を生みだす。
そして人と自分と人を位置づけする「悪い目」を持つ。
この目が「ねたみ」や「傲慢」となる。
また人間関係の中に起こる様々な問題を引き起こす。
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しかしイエスは神からの一方的恵み=福音をつたえる。(マルコ1章15節)
恵みの元に身を置いて生きる時、「良い目」で人を見る者へと変わる
神様の恵みの中に生かされている自分自身を見つめる目。
他の人に与えられている神の恵みを感謝する目。
神の恵み、神の愛を知る時
私たちは別のリストに生きるものとなる。 (コロサイ3:12-14)
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by hiraoka-joyful | 2014-08-24 14:38 | トピックス  

8月17日14年今日の糧

昔の人は言いました
マルコ7章1-13

エルサレムから来たファリサイ派と律法学者がイエスを非難する
彼らは律法を研究し、厳格に守る具体的な教えを与える教師達。
イエスの教えと活動を律法に適ったものか検証するために来た。

彼らの批判は何か
イエスの弟子たちが正しく宗教行為をしていない。
つまり宗教者としてふさわしくないということ。
彼らの考えの中心は宗教や信仰というものは、
人が神の前に正しく清くあるためのものだ。
しかし、彼らが大事にする「昔の人の言い伝え」は
旧約聖書の律法 そのものではない。
後から人間がつけ加えた教え。
掟がどんどん拡大解釈されたものだ。
それに対しイエスの掟は愛の掟だ。 
(マルコ12:29-31 )
 
イエスは言い伝えを守らない弟子を責めない。
なぜなら、イエスの弟子達は自分の判断で行動する自由な集団だから。
欠点のある弟子を、イエスは彼らが神の掟に生きる者となるように導いていた。
イエスが大切にしたことは、主なる神様を本当に信じ、信頼して依り頼み
自分を神様に委ねて従っていくことだ。

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イエスは、ファリサイ人と律法学者を偽善者と言う。
偽善者=ヒュポクリトス=役割を演じるとの意味がある
自分を目立たせるために、勝手な指揮をする合唱指揮者を指す
社会の中で人からの評価、誉れを求めることに重点を置く。

当時の社会でその一例がある。
「神への供え物」の言い伝えのために十戒の第五の戒め「父と母を敬え」
をないがしろにするように導く指導者たちがいた。それは大きな偽善の罪だ。
その偽善からの解放、 つまり人の評価を気にする思いからの解放は
神のもとに来て、神を信頼する。神のものとして礼拝を捧げることだ。(ロマ12:1 )

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by hiraoka-joyful | 2014-08-17 16:38 | トピックス  

M兄とのお別れの会8月14日14年

私たちの教会のメンバー、M兄が主の元に召されました。13日、前夜会(お別れ会)、14日告別式がありました。M兄が信仰の生涯を全うされたことを、皆で覚えました。
    M兄の 愛した聖書箇所詩篇100編です。
100:1 【賛歌。感謝のために。】全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。
100:2 喜び祝い、主に仕え/喜び歌って御前に進み出よ。
100:3 知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民/主に養われる羊の群れ。
100:4 感謝の歌をうたって主の門に進み/賛美の歌をうたって主の庭に入れ。感謝をささげ、御名をたたえよ。
100:5 主は恵み深く、慈しみはとこしえに/主の真実は代々に及ぶ。
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            M兄が愛用した手品道具
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by hiraoka-joyful | 2014-08-14 17:47 | トピックス  

8月10日14年今日の糧

イエスのもとに
マルコ6章53-56

弟子達の挫折と疲労
ゲネサレトに着岸した弟子たちの状況は 
①向かい風に疲れ果てた。
②今まで見たこともないイエスにとまどう。
③舟を操れなかった悔しさがあった

そこに群衆が押し寄せる
それはイエスの評判が高くなっていたから
①数々の癒しの出来事によって
②弟子すらも力ある業をする。(マルコ6:12、13 )ことで
③パンと魚の奇跡が人々を引きつけた。

ゲネサレトの環境は
カペナウムの南、人々が密集し 肥沃な平地だった。
自然に恵まれた、多くの特産品がある地方都市。
ゲネサレトの人々は
家族愛、隣人愛が豊だった。
なぜならイエスを信頼する。 苦しむ者のために労するから。
比)マル2:3-5四人の男が中風の人を運んで来た。
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触れた者は皆いやされた。
「ゾーエー」=「癒された」と「救われた」という二つの意味。 
神の愛、神の栄光が顕れるある一点=信仰に起こる。
比)マルコ5章21-34
イエスの元に来ることは、
信仰と、神の国の命を宿す種です。
イエスが行う癒しの目的は何か
①「イエスは父なる神から遣わされた真の救い主」 だと知らせる。 (ヨハネ5:36 )
②イエスに近づかせる。(ヨハネ3:2)
③信仰の欠けた人々のために、奇跡はない。(マルコ6:5、6)

弟子達のイエス像はどのようなものだったか
奇跡を行うイエスをスーパーマンのようにとらえた。
それはイエスの中に幻の像を見ていた。
けれどイエスの十字架の姿に絶望した。
イエスを知らないと全否定した。
そしてイエスの元から去っていった。

復活の後に
イエスは本来の姿を弟子たちにをあらわし、救いの業を委託する。
イエスの本質は究極の愛。小さな信仰を喜ぶ神だ。
委託された使徒たちの働き①ペテロの場合(使徒 5:15、16 )
②パウロの場合。(使徒19:11、12 )
教会への委託
神の愛を完全に受け止める者に、 もはや「奇跡の証」は必要ない。( 一コリ13:8
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by hiraoka-joyful | 2014-08-10 14:12 | トピックス  

8月3日14年今日の糧

湖を歩く人
マルコ6章45-52
この話はパンの出来事のすぐ後に起こる
イエスは弟子たちを無理やり舟に乗せた。
また群衆を解散させた。
 なぜか   ①弟子を群衆から離す
 群衆はイエスを王にしようとし、イエスはそれを嫌った。
       ②独りで祈る~山で祈るイエス 
今回は舟の中にイエスはいない。比)4章35節以下 は共に舟に乗った。
イエスと弟子の間は、湖によって隔てられている。
この時弟子らは 逆風と9時間以上格闘している。

イエスは何を祈っていたか?
イエスは陸地で弟子のために祈る。
それは鷲が雛を守るような神の姿。(申命記32:10-12 )

その後イエスは歩いて湖を渡り弟子に近づく。
すぐに舟に乗りこまず、通り過ぎ、彼らに認識させた。
①イエスが傍らを歩いていることを。
②イエスは通り過ぎて、自分の民を救う神であることを。
(出エジプト12:13 )
湖を歩くイエスを弟子たちはイエスを幽霊だと思った。
なぜならイエスに信頼していなかったから。  
弟子を愛してそばにいるイエスを、自分を害するものと見てしまう。
それが私たちの的はずれの罪だ。

イエスは恐れる弟子に声をかける。
「安心しなさい。」
=「勇気を持って進め」という励まし。
「わたしだ」
=「EGO,AEMIわたしはある」という宣言。
共にいる神、神は神として存在する。
( 出エジプト3:14  神の名)
Qあなたは勇気(ゆうき)を持ってやってみようと思うことがありますか?
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by hiraoka-joyful | 2014-08-03 15:09 | トピックス