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5月31日15年今日の糧

返すものは何?
マルコ12章13-17節

ファリサイ派とヘロデ派 がイエスを陥れるために
祭司長、律法学者、長老達から送られる。
ファリサイ派=厳格な律法遵守を誇りとする。ローマの体制を苦々しく思う。
ヘロデ派=ヘロデ・アンティパスの取り巻き。国の権威によって支えられる。
相反した立場にあったが、イエスを受け入れない者達が手を組んだ。
イエスを追いつめる問い
ローマ皇帝に税金=人頭税を納めることは律法に適っているか。
税金~ローマ帝国の支配や権力の象徴。
納めるとの答え ~ユダヤ人への裏切り
納めるなとの答え ~ローマへの反逆。
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しかしイエスは見事な答えする。
「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に納めよ(返せ)」

「神のもの」とは何か
詩編24:1、2 
世界の全ては神によって創られた~神のもの 
創世記1:27「神はご自分にかたどって人を創造された」
人は神の似姿を刻まれた神のもの。
「皇帝のものは皇帝」にとは
イエスが伝えた事
①社会の様々な制度、その中で役割を負って責任を果していく生活がある。
②信仰生活と社会生活を一つのものとする。

神を信頼し人に仕えたイエスの生涯がそれをあらわす。
①父なる神に徹頭徹尾従う歩み。
②世の不条理の下で苦しみを受け、
その世を愛しつくした歩み。~十字架
神様の救いのみ業、神の恵みの力
世の権力や支配を超える。 
その歩み、仕える生き方を教会は受け継いでいる。
①神のものである
②社会に生かされている一員
祈りの課題の中に。信仰生活の中に。


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by hiraoka-joyful | 2015-05-31 13:40 | トピックス  

5月24日15年ペンテコステ今日の糧

一つからの広がり
使徒行伝2章41-47節


伝道し、成長する教会の姿が記されている。
ペトロが語るイエス・キリストの福音に聖霊が働き、収穫が行われた。
①聖霊が降って教会が誕生した。
②教会の伝道によって、キリスト者が加えられた。
最初の教会の人々は「一つになって」いた。それは力強い伝道の基盤
イエスが教えてきた神の国を伝える福音が聖霊の助けによって、弟子達に明らかになる。
この福音を弟子たちは教え続けた。
教え、証言の中心は、イエスの十字架と復活。

また生まれた教会は分かち合っていた。(コイノニア)
①主の晩餐式のパンと杯を。     
これはイエスが、キリスト者に与えた新しい命のしるしだ。
②祈りを
それは、一つの体をつないでゆくもの。
全ての祈りはイエスの名によって神に届く。
互いが祈りによって喜びと、苦しみを共有する。
この祈りによる聖霊の働きの中で、教会は真実なる神の業に遭遇する。
敬虔なおそれをもって、教会は神に向き合う。
③お互いを支える具体的な働きを
互いを自分のように愛する愛ゆえに、足りない物を補いあった。
イエス・キリストとの交わりに生きる。

このように聖霊によって生まれた教会は
毎日、ひたすらに、聖霊によって喜んで集う。
真心=混じりけのない心で、弱さ、苦しさ、希望を分かち合い祈る。
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そこから、社会へイエス・キリストのように仕えるために出てゆく。
仕える中で、イエス・キリストを信じる民がおこされる。
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by hiraoka-joyful | 2015-05-24 14:32 | トピックス  

5月17日15年今日の糧

今日の礼拝はY執事の宣教でした。今日はケニアから学びに来られているAさんのお別れ会もありました。
牧師は東京の花小金井教会へ出席しました。

詩篇1編 1-3
豊かな水のほとりの幸福
 幸と福
幸せになるのは誰かをこの詩は歌っています。
むかし北海道に幸福駅と言うのがありました。実は聖書の幸いは、幸福と言う意味に近いのです。
幸と福はどちらも良い言葉ですが、少しだけ意味が違っています。

漢字辞典で「福」と言う字を引くと、左側の「示す」偏は、神様を祭る棚、つまり祭壇のことで、右側の作りは酒壺を表すのだそうです。これは御神酒(おみき)のことで、転じて「神が与える幸い」という意味になったそうです。

それに対して「幸」という字は「手かせ」を表す象形文字で、つかまって手錠をされたのだけれども、死刑にならないよりはましだ、だから良かったという意味です。
災いからの守りや救いが幸で、神が与えてくださる恵みが福です。
聖書ではその幸福が神の言葉を大切にする人に与えられると言っています。この詩の水路のそば、そこは木にとって一番良い場所です。誰でも自分の人生の歩みに置いて、よい地点に根を張りたいと考えます。幸福に生きたいと考えます。そのポイントから外れないようにしたいと願って努力します。けれど、何かの事情で少しでもそこから外れてしまうと、私たちの心はあっという間に不安や不満で満たされてゆきます。
しかし私たちの一番良い場所が、
主の言葉を愛して、味わい、私たちの生涯の中であらわそうとする。その場所にあるとどうでしょうか?
聖書を読み、味わえば味わうほど、
私たちの生涯の中で神の言葉が実現した恵みと神の守りを数えれば数えるほど、私たちの心に、感謝、嬉しい、喜びが生まれるのです。
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by hiraoka-joyful | 2015-05-17 21:45 | トピックス  

5月10日15年母の日今日の糧

葡萄園の息子
マルコ12章1-12節


イエスは論争の中で、たとえ話 をする。
12章 ~十字架は2日後に迫っている。
イエスは何を伝えたいのか?
イエスが語ったのは葡萄園のはなし。
ぶどう園~ぶどう酒を造る
ぶどう園の主人は施設を整えた。(比イザヤ5:1,2,7 )
この預言の背景は神が愛したイスラエルの歴史
ではこのたとえ話の農夫たちは?
神が愛したイスラエルの民
主人は収穫の取り分を要求したが、農夫たちは主人の要求を拒否する。
主人の僕達を殺し続ける。
そこで主人=真実な神は
「愛するagaphton息子」を遣わす。(比マルコ1:11)
しかし息子もまた殺される。~ここまでは救いがない話。
このたとえは詩編118:22,23節で結ばれる。
神の慈しみを歌う詩。
民が悔い改めた時、真実な神の恵みと慈しみが彼らを導く約束。
「真実な神に礼拝する祈りの家」へ
隅の親石とは、
建物全体を支える土台の石
アーチの頂点に置かれる石
①イエスの十字架は避けられない。
②十字架こそ、真実の神の救い。
     
今キリストの教会は、葡萄園を与えられた者たちだ。
収穫のために何の功もない者だった者たちが。
イエス・キリストが開いた恵みによって真実の礼拝へ招かれた。
真実な礼拝を行う民として、私たちは
神を人生の主として受け入れて、
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賛美し、祈り、日々神の恵みを味わう。
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by hiraoka-joyful | 2015-05-10 13:50 | トピックス  

5月3日15年今日の糧

天からのバプテスマ
マルコ11章27-33節

イエスはなぜ十字架につけられたのか?明確になってゆく。
祭司長  政治・宗教の権威、
律法学者 文化の権威 
長老   経済の権威
彼らはこぞってイエスを問い詰める。
①ガリラヤの教師=イエスは誰の弟子なのか?
②神殿での宮清めは何の権威に基づくか?
なぜなら人間の社会における権威は
制度の中で正式に認められて初めて得られるから。

その問いに対しイエスは問い返す
「ヨハネの権威はどこから」
それは、ヨハネが行った悔い改めのバプテスマについての質問。
悔い改めこそ、神が人に開いた窓。
イエスもまたバプテスマを受けた。(マル1:9-11)

その答えを出すために祭司長、律法学者は議論する。
かれらは群衆を気にしていた。なぜなら群衆の信仰心こそ神殿維持に欠かせないから。
群衆のバプテスマのヨハネ像は「預言者」=天からの権威ととらえている。
だから答えを出せない。~イエスとの対話の拒否

イエスの問いが明らかにする事
①権威には人からと神からのものがある。
まず従うべき権威は神からのもの。
②祭司長や律法学者がたよっている権威
~神からのものではない。
真実な神の権威を本当に見つめる時、
人間は、その前で悔い改め、神に自らを明け渡したいと願う。

イエス・キリストの歩みは神の権威に従う歩みだった。
十字架に向かう歩みだった。
神の権威は命をかけて私たちを愛する恵み。
わたしたちはそれを発見する信仰の歩みをしている。
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by hiraoka-joyful | 2015-05-03 13:38 | トピックス