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6月28日15年今日の糧

ダビデが見た救い主
マルコ12章35-37節


「キリストはダビデの子」と律法学者は主張していた。
またダビデ王の再来とイスラエルの再興を伝え民衆を指導していた。
「キリスト」は神様が遣わす救い主だ。かれらはダビデの子孫にキリストが
生まれると信じていた。(イザヤ書11章1-2節)
ダビデはイスラエル王国の土台を築く王だった。
救い主キリストの預言。ダビデの子孫
「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで/その根からひとつの若枝が育ちその上に主の霊がとどまる」。

しかしイエスは、それは間違ったキリスト信仰だと伝える。
詩編110編1節「イスラエルの神アドナイが、私のご主人様にこう告げた」
1)キリストはダビデの子ではない。
2)キリストはダビデの主である。

けれど 律法学者はイエスを認めず憎む。
彼らは自分にとって都合の良い救い主を求めていた。
ダビデの子キリスト=力強い政治的な指導者。それに対し
イエス=子ロバに乗る、平和の主。けれど民衆や学者が認める姿ではない。
このように救い主を判断することは、人間の根本にある罪。
1)救い主を自分の経験や知恵で捉える。
2)救い主像を自分の価値判断で描く。

ダビデは真の救い主を見る。
聖書はダビデの罪に満ちた生涯を伝える。(マタイ1:6 )
ダビデの家系に入り、イエスは人間の罪の歴史を引き受けた
ダビデ自身が聖霊を受けて救い主を告白している。
ダビデが見つめた救い主。
救い主を望む人々のために十字架へと進んで行く方。(ローマ1:3、4 )

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by hiraoka-joyful | 2015-06-28 13:12 | トピックス  

6月21日15年父の日今日の糧

神の国からとおくない
マルコ12章28-34節

イエスの復活をめぐる答えを聞いて
律法学者 (ファリサイ派、民衆の指導者)が
一つの問いをイエスに聞いた
律法の中心は何か?
イスラエルの掟 600以上ある。彼らは掟こそ 民衆の規範と考えていた
第一の掟は何か 常に議論がなされていた。
この真剣な問いに、イエスは向きあった。
イエスの答えは申命記6:4、5。を基にしている。       
「シェマーの祈り」と言われ日々唱えられていた。
「聞け」~神からの語りかけと応答。
イエスは唯一の神を愛する ことが
律法の要、神の民の生活の中心と答えた。
神との間に他の何者も割り込めない。「愛」がある。
神からの働きかけがある。
神を愛する神に愛される平安を生きる。

続いて第二の掟 をイエスは答える。
レビ記19:18 イエスは2つの掟を融合する
ここにイエスの福音がある。
神を愛することの具現化。―それがイエス 。
神の愛は、人と人の間に広がりを持つ。
イエスがあらわす隣人への愛。
自分を殺すものを赦す愛だ。

律法学者の言葉をきいてイエスは神の国から遠くない(そこに入っていない)と言う
①神が声をかけた「あなた」が欠けるから
②第2の掟を宗教儀式、犠牲の一つとしているから
しかし人が埋められない神の国との距離をイエスが縮め、埋める。
「神の国から遠くない」―招きの言葉
イエスが招く神の国では          
掟の働きは必要ない。
神の恵みと慈しみが働く場所。
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by hiraoka-joyful | 2015-06-21 13:55 | トピックス  

6月14日15年今日の糧

生きている者の神
マルコ12章18-27節

イエスは十字架を前に様々な議論を仕掛けられた。
VS 祭司長、律法学者、長老~「権威」
VS ファリサイ派、ヘロデ派~「税金」
VS サドカイ派~「復活」
イエスの答えの中に弟子への大事な教えがある。

サドカイ派の信仰的基盤モーセ五書のみ。
「復活はない」と主張。
イエスも復活を語っていた。(マルコ10:32,33 )
サドカイ派が持ち出した論点は
申命記25:5以下を引き合いに、死者の復活とモーセの教えは矛盾するとした。
結婚についての掟。極端な例を上げ、イエスを貶めようとする。
復活はこの世の人生の延長か?

しかしイエスは復活をそのように捉えない。
聖書が示す神の力は人の生き方を変え、 人と神との新しい関係を作ってゆく
イエスは出エジプト記、モーセに神が出会う記事を引き合いに出す。
そこに神の宣言があった。「わたしはアブラハムの神、イサクの神、
ヤコブの神である」だから「神は生きている者の神」なのだ。
このように神が名前を呼んでいる者は神の命に今も生かされている者だ。
復活とはアーメンの神が全能の力で実現する、神の愛の具現だ。

イエスは私たちの復活の先駆けとなった。
①生きている者の神が死を打ち破る。
②永遠の命と新しい体をイエスに与える。
だからイエス・キリストの教会 は
復活の命に希望を持って生きる民、
今も歴史の中で生き続ける民。
神が覚悟をもって真実に関わる民。となったのだ

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by hiraoka-joyful | 2015-06-14 14:10 | トピックス  

6月7日15年今日の糧

ルツ記1章19-22節
ルツ記の季節


これは、過ぎ越しの祭りと、五旬節に挟まれた、大麦刈りと小麦刈りの収穫の季節に起こった、二人の女性が神の憐れみの中で希望を得た物語。
士師の時代、飢饉がベツレヘムを襲い、エリメレクは妻と二人の息子を連れて、ベツレヘムからモアブに移り住んだ。エリメレクはやがて死んだ。妻のナオミは息子たち二人にモアブの女を嫁に迎えさせたが、二人の息子も死んだ。ナオミは孤独の中で、かすかな希望を聞く。イスラエルから飢饉が去り、再び豊かにされたとの知らせであった。 
ナオミは故郷で死ぬことを願い、ベツレヘムに戻ることを決心した。長男嫁のオルパはナオミの言葉に従い去っていったが、ルツは離れようとしなかった。そこにあるのは主の憐れみ=ヘセドに対する信仰だった。「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神」、それはルツの信仰告白である。けれどナオミは同郷の女たちに言う「私の名前はナオミ=快いではなく、マラ=苦いです。主が私を打たれたからです」と。ナオミは異郷の地で夫と息子を亡くした。ナオミはこの現実を主の御手による裁きと受け止めた。しかし、主の憐れみはすでに、ルツの信仰を通して開かれていた。ルツはやがてエリメレクの親族ボアズの妻となり、オベドを生む。このオベドからエッサイが、エッサイからダビデが生まれる。
神の憐れみはナオミの思いを超えて大きく、力強くナオミの人
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生を何倍にも豊かなものにした。

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by hiraoka-joyful | 2015-06-07 16:02 | トピックス