<   2015年 12月 ( 6 )   > この月の画像一覧

 

12月27日15年今日の糧

ガリラヤに向かって
マルコ16章1~8節



イエスは十字架の上で死に墓に葬られた。
人として生まれ、人として死んだ。
そして完全に神の愛を表し、最後まで仕えた。そのイエスの姿を見つめてきた者たちがいた。それは、イエスについてきた女性たちだ。
その一人マグダラのマリアは、7つの悪霊に取りつかれた人と言われ、孤独と混沌をもっていた。彼女たちはイエスを通し、真実な神の愛に出会った

そのイエスの死が悲しみと絶望をもたらした。そんな女性たちの上に曙の光が照らしている。 (マラキ3:20)女性たちはただ墓のことを思っていた。自分たちの内側、悲しみと絶望を見つめていた。しかし復活の朝、義の太陽が、彼女たちに働きかけ続ける。そこで彼女たちは見る。墓の内側から、石が動かされ、転がされていたのを。そこには神の栄光の中で復活を証言する者だけがいた。
 探し続けるイエスは
 ナザレ人 十字架につけられてしまった
彼はよみがえらされた(受、過)
いない ここに(今、現在)
この福音は、接した人々に変化をもたらす。
マルコの福音書の終わりは未完だ。なぜなら、真実な福音の言葉が種となり、信じる者の遣わされるガリラヤで、命を輝かし続けから。
2年2か月かけてマルコによる福音書を読んできました。

d0224356_1356387.jpg

来る2016年あなたも私もイエス・キリストと共に行こう。
イエスの恵みを確認しよう。
感謝の賛美をささげよう。
ハレルヤ。
d0224356_13572061.jpg

[PR]

by hiraoka-joyful | 2015-12-27 14:01 | トピックス  

12月24日クリスマスイブ礼拝

喜びのしるしは飼い葉おけの中に
ルカ2章8-19節

 
d0224356_22163568.jpg

 マリアとヨセフは誰もいない家畜小屋でイエス様の誕生を用意しました。マリアは、中学生くらいの年齢でしたが、家畜小屋といっても実際には洞窟の入り口に柵をつけただけという、寒さと動物臭に包まれた不衛生な場所で、初めてのお産をむかえなければならなかったのです。
そしてイエス様は、産着がわりの粗末な布にくるまれて、飼い葉桶(かいばおけ)に寝かされたのでした。この飼い葉桶も絵本にでてくるような木製のものではなく、ワラくらいは敷いたでしょうけれど、長方形の岩に穴をあけただけの固くて冷たいものです。
 最初にイエス様の誕生を知らされた方たちはだれでしょう。
野宿していた羊飼いたち、外国から来た博士たち、彼らを一言でいうならアウトローです。イスラエルの歴史や宗教的権威、住民登録の対象者でもなかったのです。
けれどイエス・キリストは彼らの主として、まず彼らから礼拝を受けました。
キリストの教会に集う者たちが、イエス・キリストの生涯を振り返り、イエスにまつわる証言を集めました。するとその誕生から、まさにイエスは仕えるものとして生まれた事実に出会ってゆくのです。
貧しい大工の夫婦の子として生まれた。
飼い葉おけを最初の宿とした。
そのことにキリスト者は驚き感謝して、この物語を伝えたのです。

d0224356_22191840.png

[PR]

by hiraoka-joyful | 2015-12-24 22:23 | トピックス  

12月20日15年今日の糧


イエス・キリストと向かう冒険
ルカ2章1-7節



d0224356_13315886.jpg


R牧師はタイで夫と共に17年間宣教師をしていました。そこで出会った忘れられないクリスマスの話をします。
  始まりは、1987年のバーツ安による経済危機で、多くの会社の倒産、失業者が出た時です。わずかばかりのお金のために、泥棒や人殺しをするものが出るほど、人の心がすさんでいました。教会でも外国からの支援が少なくなり、厳しい状況に陥っていました。しかしタイのキリスト者たちは教会がこのような時にこそ社会に貢献できることはないかといって考え、皆で祈り、半年をかけて準備し、大きなクリスマスの合同プロジェクトを行いました。12月25日の晩に、首都バンコクの最も大きな公園を借りて、教会ごとに屋台を作って3万食の食事を無料で振る舞いました。また野外ステージで証や賛美の集会が行われました。主題は「受けるよりは与える方が幸いである」で、そこには近隣の児童福祉の子どもたちが招かれ、一人ずつプレゼントが渡されました。
 タイは仏教国であり、12月は国王誕生日がありますから、それまでイエス・キリストの誕生を祝うクリスマスは知られていませんでした。しかしこのチャレンジを契機に、タイでもクリスマスのことが広く知られます。今では教会主催のテレビ番組クリスマス特集も放映されるようになったのです。
 このように私たちの人生と共に歩むイエス・キリストに励まされる日々には、新しい出来事、出会いがあるのです。


d0224356_13302378.jpg

H学園チャペルクワイヤ―の皆様の特別賛美がありました。
d0224356_13305923.jpg

[PR]

by hiraoka-joyful | 2015-12-20 13:38 | トピックス  

2015年クリスマス礼拝ご案内

2015年クリスマス礼拝、イブ礼拝は以下の通りです。お誘いあわせの上、皆でイエス・キリストのご降誕を感謝しましょう。
  
  
  12月20日(日) 10時30分~ クリスマス礼拝
           特別賛美  北星学園大学チャペルクワイヤ―
  12月24日(木) 19時30分~ イブ礼拝
  12月25日(金) 10時30分~ ジョイフル親子クリスマス
d0224356_1524466.jpg

[PR]

by hiraoka-joyful | 2015-12-13 15:25 | 集会案内  

12月13日15年今日の糧

喜びを分かち合う人々
ルカ1章39-45節
 

マリアが天の使いより「受胎告知」を聞いた時、ザカリアの妻エリサベト、彼女は不妊の女だったが懐妊六か月目となっていた。天の使いはこの出来事を、マリアに起こった出来事のしるしとして、マリアに伝えた。
それを聞いてマリアは「ユダの町」アリン・カリムにいるエリサベトのもとに急いだ。これは無謀ともいえる旅だった。しかしマリアは救い主イエスの母となる使命を与えられ、信仰をもって受け止めたから旅に出た。
エリサベトはマリアにとって信仰の先輩、母としての先輩であり、マリアはそれを確認しに行った。

マリアのシャロームが伝わった時、胎内の子ヨハネは喜び、エリサベトは聖霊に満たされた。そして宣言する
女の中で最も祝福されたもの(女)
(そして)
胎内の実 が 祝福されたもの(男)
マリアと胎内の実が持ち運んでいる祝福は相互に、共に祝福を分ちあうと。
これは、イエス・キリストとキリスト教会の祝福をあらわすひな形だ。

エリサベトはさらに宣言する。
それで  幸福だ  信じ続けた人(女) 
 このことを 
それは
 成就 する
語られたことは   彼女に 主から 
この宣言は双方のマリアの信仰、エリサベトの信仰のゆえに、
二人共、「幸いな者」となることだ。
私たちも教会に繋がっている中で、それを見出す。
お互いの信仰から幸福を受け取る。
d0224356_14363068.jpg
d0224356_14392718.jpg

[PR]

by hiraoka-joyful | 2015-12-13 14:43 | トピックス  

12月6日15年今日の糧

平和へと導く人
ルカ1章76-79節
 

バプテスマのヨハネが生まれたとき、
彼は 預言者と呼ばれた人と父ザカリヤに認識されていた。ヨハネは後に、神に召され 荒野にあらわれる。そして人々に悔い改めのバプテスマをさずけ、神の国の福音を語り続けた。このヨハネの誕生もまたクリスマスの物語だ。
彼の使命は「主に先立ってゆく者」としてイエス・キリストの道備えをした。
(イザヤ40章1―3 )
彼が人々に植え付けようとした救いの知識は、体験して得る知識となる。神の愛を拒否し続ける、ゆがんだ罪を断ち切るために、誰もが知らなければならない方イエス・キリストを見よと指し示すこと、それがヨハネの使命だった。
この救いは神自身の内臓が揺り動かされるほどの憐みから生まれた。
それによって私たちが体感する救いは、
1)現実の困難さから具体的に解放されること。
2)もっと深く自分の罪に目が開かれること。
自分の罪に目が開かれて、そこから私たちを赦すと宣言する神の真実、
アーメンに出会う。

クリスマスは神の憐みから光が来る出来事。(マラキ3:20 )
1)暗黒にさす光
2)荒野に萌えだす緑
これがイエス・キリストの誕生です。
この神の憐みの光によって
1)自分が暗闇と死の陰に座していることが見えてくる。(詩編107編10-12)
2)我らの歩みを平和の道に導く
神の平和~シャローム。
嵐の中にあっても動かされないもの。神を「アバ父」と信頼する。
d0224356_13453845.jpg
d0224356_1346272.jpg

[PR]

by hiraoka-joyful | 2015-12-06 13:46 | トピックス