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4月24日16年今日の糧

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コヘレトの言葉3:1-11「全てのことには時(カイロス)がある」


「時は金なり」という諺を引くまでもなく、時を見極め、また時を支配することが、私たちの人生の成功、失敗を決める鍵だと考えられています。いわば、私たちが時を操り、時を支配しているというのが、私たちの常識です。
しかしユダヤの賢人は、「あなたが時を支配しているのではなく、時があなたを支配しているのだ」と伝えています。
「生まるるに時があり、死ぬるに時があり、
  植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、(中略)
  愛するに時があり、憎むに時があり、
  戦うに時があり、和らぐに時がある。」
日本語の「時」という言葉は、「紐を解く」と言った言葉から来ているそうですが、時というものはどんなに深い憎しみも、悲しみも少しずつ和らげる不思議な力があります。同時に人生の年月を重ねてくると、どうにもならない時というものがあることを、人は経験します。それは思いもかけない場面に来るし、人間にはままならないものです。しかし、この聖書の知者が知者たるゆえんは、単に定められた時があるということに気がついた事以上に、まさにその時を定めている方に目を注いだことにあります。時というものが運命や宿命などと言うものではなくて、私たちを作られた方によって、私たちのために最善に定められているのだというのです。だから時を定めておられる方に目を注ぎ、その方に全幅の信頼を寄せていこうというのです。
神は私たちを作り、私たちを導き、そしてご自身の御子をすら惜しまずに与えて下さった愛の神だからです。

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by hiraoka-joyful | 2016-04-24 15:13 | トピックス  

4月17日16年今日の糧

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ここが私たちの真の嗣業
ペトロの手紙Ⅰ2章5節

あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。

平岡ジョイフルチャペルが白石の地より里塚の地に移転してここで伝道を開始して25年となります。私たちはここで、イエス・キリストを信じ、真実な神にゆるされた群れとして、毎週の礼拝や祈祷会、その他の集会を守ることが出来ています。その大いなる喜びの中で、教会に集う者たちは、平岡ジョイフルチャペルの要石にイエス・キリストがなっておられる、この信仰をもって歩んできました。毎週私たちが手にする週報の表に記されているTHE JOYFUL CHAPELの横にあるマークはそれを表しています。またジョイフルという名前は、ただいたずらに喜んでいるわけではありません。そこにはまずイエス・キリストに救われた喜び、そして私たちが置かれている場所から、真の喜び=イエス・キリストの福音を持ち運ぶ願いが込められています。そして日本の教会ではあまり使われないチャペル。この語の由来は、次の故事にちなんでいます。「兵士マルティヌスは兵役についていたときに、自分の外套を半分に切って、貧しい者に与えた。その夜、夢にイエス・キリストが現れ、目覚めると半分に切ったはずの外套は元通りになっていた。」この「小さな外套」を意味する言葉が、チャペルです。ここに集う者たちが、真実な神に与えられた愛を人々に分け与えていくために、この場所から派遣されていく。そのような信仰のあらわれです。
 イエス・キリストが私たちを下支えし、時宜にかなった具体的な助けを与えて下さる。そこに希望をおいて、今年度も歩み続けましょう。
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by hiraoka-joyful | 2016-04-17 12:18 | トピックス  

2016年総会のお知らせ

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2016年度 教会総会のお知らせ


4月17日は、平岡ジョイフルチャペルの2016年度の総会があります。
総会は教会の大切な取り決めをする場です。
そして何を大切にしてこの年度を歩むのかを、確認する場です。
また主題聖句、新年度の目標を掲げ、聖霊が与える信仰と愛の賜物をどのように献げていくかビジョンを語り合う場です。

2016年総会日時
2016年4月17日(日) 午後1時より 教会2階
内容  2015年度の活動報告、決算報告 など
    2016年度の活動計画、会計予算 など

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by hiraoka-joyful | 2016-04-15 17:25 | トピックス  

4月10日16年今日の糧

神の恵みの執事として
ペトロⅠ4章7節~11節



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創世記を読むと、人間は神が創造した世界の善い管理人でした。しかし人は神の領域まで手を伸ばし神の国を追われました。しかしここから神の救済の歴史は始まっています。
その中心はイエス・キリストの十字架と復活です。それからの「教会の時代」は最期のピリオドとなります。この終わりの時代にキリスト者が備えるべき事を、ペトロは述べています。
1)冷静に、目を覚まして祈る
2)愛することを大切にする(箴言10:12)
3)互いに仕えもてなし合う(マルコ6:37、42、43 )

この備えが出来た者は神の恵の善き執事として再び働くようになります。それは賜物を用いることです。賜物、カリスマという言葉ですが。人より優れた能力、それによって人の上にたつ力を指す言葉として知られています。しかし本来は神の恵み(カリス)によって与えられるものです。だからそれを惜しみなく用いなさいとペトロは促しています。持っている賜物を他者に供給してゆくと、神はその業を喜び、そこに賜物が増やされてゆくと、ペトロは励ましています。
(マタイ25:35 、36)
 賜物とは特別なことではありません。与えられている能力、与えられている生活の場、それぞれの事情、それらすべてのことが神様からの賜物です。高慢にならず謙遜に、与えられた場所で与えられた奉仕に励む人。その人が神の恵みの執事です。それはすべての事において、神がイエス・キリストを通して栄光を受けられるためなのです。


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by hiraoka-joyful | 2016-04-10 14:13 | トピックス  

4月3日16年今日の糧

過ぎ去った時、今、待ち望む時
ペトロⅠ4章1~6節


ペトロはもう一度キリスト者の苦難の意味を伝えます。苦難はキリスト者を守る盾となり、キリスト者が罪と戦う鉾となることを、ペトロは記しているのです。それはいったいどういう事でしょう。
キリスト者は2種類の苦難を知っています。
キリスト者であろうがなかろうが経験すること。またキリストに従う中で受ける苦難です。 それには外側と内側からの苦難があります。
外)キリスト者がその群れである教会の外から受ける苦しみです。
内)さらに、キリスト者の群れ教会の中にある争いです。
イエス・キリストを愛している者はその苦難を通してキリストの十字架を近く覚えます。その時キリスト者が受ける苦難はただの苦難に終わらず、イエスの十字架をさらに思い起こす神の恵みの事柄となります。
ペトロは、この手紙を受け取る人々がかつてどのような生き方をしていたか、よく知っていました。彼らは奴隷の身分で未来に希望が持てないので、刹那的に生きていたのです。ペトロは、そのような生き方はもう十分と伝えています。
イエス・キリストに救われたわたしたちは今、聖霊の中でその一部として生きていることを、ペトロはしっかりと伝えています。私達は聖霊の中で生かされている。私達の苦難さえも、堅固な盾と鋭い鉾に変えて下さる真実な神の働きの中で、今日を生きているのです。

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    新しい学校 学年 善い日々を 

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by hiraoka-joyful | 2016-04-03 15:23 | トピックス