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夏のジョイフルガーデン

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夏のジョイフルガーデンは、花も実もあります。
サクランボウは日曜日に収穫かな?
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by hiraoka-joyful | 2016-06-28 19:35 | トピックス  

6月24日16年今日の糧

善い音信を語り続ける喜び
テサロニケ手紙Ⅰ2章1-5節


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真実な神は、 私たちの外面ではなく心の中を吟味し、秤や物差しの検査をするように試し、テストします。もし秤や物差しの大きさがまちまちならば、社会は混乱します。秤や、物差しで最も大切なのは、正しくあるということです。
 イエス・キリストの福音を委ねるとき、真実な神が選ぶ基準もその一点だけです。福音に混ぜ物をせず、自分の恣意を入れずにまっすぐに語るのです。神の独り子、イエス・キリストが、人の全ての罪を背負って十字架にかかって死んで下さり、罪を赦して下さったこと。そして父なる神がイエスを復活させ、死に勝利する新しい命の恵みをイエス・キリストを信じるすべての人に与えること。このことをまっすぐ語るものが神に福音を委ねられます。大人や子ども、教会生活の長さ短さ、社会的地位、男女、そのどれも神の条件ではありません。ただ福音を、神が与えた善き音信をそのまま語るものが、神に喜ばれるのです。そのように語られた福音は聞く人々の中にまことの慰め、励まし、勧めとなります。人に喜ばれるためではなく、神に喜んでいただくために聖書の言葉が語られる時に、その言葉は、聞くものを本当に慰め、励まし、勧めを与える「善い音信」になるのです。今ここにもパウロの時代2000年ほど前から、善き音信のバトンが真実な伝道者たちによって次々に渡されながら、届けられているのです。


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by hiraoka-joyful | 2016-06-26 15:45 | トピックス  

6月19日16年今日の糧

「竜よ、主を讃えよ」
-訳あり怪獣の居場所― 
詩編148編7節



詩編148篇は天地そこにある全てのものが主を賛美せよと
唱えられています。
ハレルヤ(=ヤハウェを讃えよ)
1-6節 天において主を賛美せよ
     御使、主の万軍、日、月、輝く星、天の天・・・
7-12節 地において主を賛美せよ
     火や雹、雪・・・、植物、動物、鳥・・・、人間
13-14節 天地において
ハレルヤ

その中で注目すべきは148篇7節です。
「海に住む竜よ、深淵よ」‎
   →‎(原文)竜たちよ、深淵よ=タニニーム(怪獣、海獣、大蛇、竜)よ、深淵よ。 
この怪獣のことは創造のはじめから記され、神はこれを見て、「良い」とされました。
創世記1章21節(第五日目)
怪獣は忌み嫌われるものと捉えがちです。 しかしこの詩編では、そんな怪獣さえも、自分を創造してくださった方として、主なる神への賛美に招かれています。この詩編が今私たちに伝える事は、真実な神はどんな子どもも大人も愛していることです。たとえ私たちの内に自分すらも理解できない不可思議や、受け入れ難さ、暗い深淵を抱えていても、真実な神はその全てを知り愛しています。ですから、神の独り子イエス・キリストを私たちのために与え、その愛を伝えました。私たちがどのように訳ありの部分を持とうとも、そのままでこの真実な神を賛美する者として下さったのです。


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by hiraoka-joyful | 2016-06-19 17:43 | トピックス  

6月12日16年今日の糧

評判のクリスチャン
テサロニケ手紙Ⅰ1章6ー10節



テサロニケのクリスチャン達は、マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となりました。私たちは人々の模範になる人は、特別な人だと教わってきました。ものすごく立派な人が模範的と考えています。
けれどパウロがテサロニケの人々の中に見ているクリスチャンのタイプは、イエスのタイプです。
イエス・キリストの愛と恵みが教会の中に形をなしていました。イエスの福音の出来事が彼らの内に起っており、その福音によって生かされている人々の姿がそこにあったのです。
イエスは議論や整合性を問う前に、そこに苦しむ病人がいれば、安息日でも人を癒しました。イエスの教えを聞くものには、たとえ社会の中で忌み嫌われる者でも、彼らの友となりました。そのイエスのタイプにテサロニケのクリスチャン達は倣っていたのです。
しかもこのタイプは、2000年前のギリシャに存在しただけではありません。今も、聖書の言葉が語られる時、私たちの思いや理屈を打ち破って心が揺り動かされることが起き続けているのです。だからこそ私たちも、苦しみの中にあっても、聖霊による喜びをもって神の言葉を受け入れたいという願いを与えられ続けているのです。小さな働きでも、教会の友のために仕え、自分の周りの人々が喜ぶ事を願うのです。テサロニケの人々に起った福音の出来事は、私たちにも起っているのです。

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by hiraoka-joyful | 2016-06-12 14:25 | トピックス  

ジョイフルガーデン

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平岡ジョイフルチャペルは
住居部分を ジョイフルハウス
庭を    ジョイフルガーデンと呼んでいます。
折々に花が咲いていますが、今はライラックです。
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by hiraoka-joyful | 2016-06-06 11:28 | トピックス  

6月5日16年今日の糧

恵みと平和があなた方に
テサロニケⅠ1章1節―5節

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命がある有機体キリストの教会に流れているのは神の恵みと神の平和です
1)父なる神が、その独り子イエス・キリストのもとに私たちを呼びだした。
2)キリストの十字架による罪の赦しと、復活による新しい命を私たちに与えた。
3)キリストによって私たちにも、神を「天の父」と呼ぶことを許した。
4)私たちを神の家族とした。
この一つ一つの出来事は、人間の側の功績ではなく全く相応しくない者に与えられる神の恩恵(カリス)です。
神の恩恵は具体的な出来事を次々にキリスト者の中に起こしてゆくのです。特にそれは福音が語られる場、人のあいだでハッキリと顕れます。
なによりも神の恩恵が顕れるところには平和(シャローム)が生まれます。聖書でいう平和は自分だけが安寧、家内安全に過ごすということではありません。
傷んでいる、苦しんでいる人々がいたら何とかその欠けを補うように小さな力でもそこに手を差し伸べること。
また自分が弱っているときには心を開いて神に愛を託されている人々に救いを求めることです。
お互いが、真実な神から恵みを受けているのです。それに相応しい自分だからではなく、全く値しないのに、イエス・キリストに救われて、大きな恵みの中に置かれていることを私たちが覚えるならば、たとえ見も知らぬ他人でも、あるいは敵同士の立場に置かれても、平和がそこに生まれます。
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by hiraoka-joyful | 2016-06-05 19:11 | トピックス