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ジョイフルガーデンにあった物置小屋を

皆で撤去しました。
執事がたY兄、S兄、H兄、Sさん、牧師が1時間半ほどで、取り壊しました。
それは、9月中旬から予定している壁と屋根のペンキ塗りのためです。

小屋からは色々なものが出てきました。(虫も)
無事に終わって感謝しました。写真は途中です。実際は地面が見えています。
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by hiraoka-joyful | 2016-08-28 17:43 | トピックス  

8月28日16年今日の糧

光の子は時を知る

テサロニケ手紙?5章1−5節

パウロがテサロニケのクリスチャンに知ってほしかったのは、教会に連なる信仰者たちは、暗闇の中にいないということです。

あなたがたは昼の子、光の子なのだから、夜が明けること、朝が来ることを恐れる必要はない、とパウロは語っています。イエス・キリストの再臨は、夜が明けて朝が来るようなことであり、光の子はそれを恐れるのではなく待ち望むことができるのです。

私たちはイエスの救いの働きによって、光そのものに変えられた人々の集まりです。静かに自分の内側を見つめてみましょう。そこにあるのは恐ろしいまでの闇ですか?それともイエスが与えたちいさな希望の灯火ですか?

けれど私たちの現実には、嵐が吹き付け、暗闇が襲いかかりそうになるような体験がしばしばあります。

また偽りの平和安全を唱える者から、お前達のちいさな光など何の役にもたたないと嘲られ吹き消されそうになることも感じます。そのたびに私たちの光は揺らぎ、キリスト者として証し続けることが不安になることもあります。それでもこの3つのものが私たちの内なる光を守っています

=イエス・キリストが与えた聖霊

=イエス・キリストが備えた教会(兄弟姉妹)

=イエス・キリストが伝えた希望(約束)

  だから真の平和シャロームのために、イエス・キリストがなさったように、そっとこの世界に仕え働くのです。

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by hiraoka-joyful | 2016-08-28 17:36 | トピックス  

8月21日16年今日の糧

待ちわびて会いに行く

テサロニケ手紙?4章13−18節 

死は、私たちの人生を最も具体的に、また最も強烈に脅かすものです。そして私たちの誰もが必ずそれを経験しなければならない、最も確実なことです。イエス・キリストを信じて生きる者の生活は、その死に目を塞ぎ、見ないようにするところに成り立ちません。その死をしっかり見据えつつ、なおそこで神の恵みの中を喜んで生きる生活です。

パウロが伝えている再臨=福音の完成(希望の完成)は私たちがジャンプして手を伸ばして漸く空中に出かけていって再臨のイエスに出会うということではない。むしろ待ちわびて会いに来るのは、イエス・キリストの方です。先週お伝えした、待ちわびて出迎えた父の姿、それが再臨のイエスのすがたです。その日を迎えるために、助け手である聖霊の神が、今は私達と共にいて下さるのです。

そのような中で私たちは、「イエスが死んで復活されたと信じる。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出す。」という信仰の言葉によってお互いに励まし合います。それは「気合いだ」と叫んで叱咤激励するのではありません。いたずらに悲しみを薄めるのでもありません。私たちの苦しみもため息も、嘆きも呻きも涙もイエス・キリストが受け止める。私たちがズタボロになっていてもイエスが出迎えて抱擁し接吻する。この希望をもって慰め合うのです。

 

イエス様が用意してる場所
BY A&S
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by hiraoka-joyful | 2016-08-21 14:36 | トピックス  

8月14日16年今日の糧

お父さんは待っていた。

ルカ福音書15章11〜32節


ある人に、2人の息子がいて、弟は、自分が将来貰うはずの財産を先に分けてもらい、 未知の楽しみを求めて家を飛び出します。でも、お金を使い果たしてしまい、 そこで初めて、窮屈に感じていたお父さんのところにいることが、 実は幸せだったのだと気づきます。 親子の縁を切られる覚悟で、家に帰ると、なんとお父さんは、 過去の恩知らずな態度をとがめもせずに、大喜びでその息子を迎え入れるのです。   この譬がつたえている事は、

1、 父なる神はどのように神から離れた人でも子として迎えたい。

身上を食いつぶしてぼろ切れのようになって来たこの男も父から息子と呼ばれています。また、父の態度に我慢ならないと拒否した男も子よと呼びかけられています。

子を見出しその家に迎えるために、父なる神は待ち、出て行き、宥め、赦す方なのです。

2、父なる神は、共にいつづけようとする方。

「お前はいつもわたしと一緒にいる」という言葉に、 もうひとつのメッセージが込められているのを読み落としてはなりません。 このたとえ話をしてくださったイエス・キリストは、「神さまはいつも共にいてくださる」インマヌエルのメッセージを携えて私たちのもとに来た方だからです。このたとえ話を聞く人々に、「神は共にいる、この神が共にいることが、人が助け合い、お互いの尊厳を認めて生きる基礎になる。」とイエスはえがいているのです。


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by hiraoka-joyful | 2016-08-14 13:34 | トピックス  

8月7日16年今日の糧

クリスチャンの品格

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by hiraoka-joyful | 2016-08-07 18:54 | トピックス