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2月26日17年今日の糧

嵐の中の安心

マタイ1422節〜33

 弟子たちの舟は一晩中、逆風に悩まされ、漕ぎ悩んでいました。彼等の苦しみを祈りの中で受け止めたイエスは、弟子達のところへ行きます。イエスは湖の上を歩くほどに、彼等の元へ急いでいます。

しかしそのようなイエスを弟子達は喜ぶ事が出来ませんでした。狼狽や恐怖がイエス・キリストを幻影だと思わせました。イエスはそんな弟子達に「わたしだ」と語りかけます。これは真実な神が慈しみと憐れみを持って人間に近づくときの名前です。その慈しみは、「勇気を出せ」という言葉に現れています。

イエスの声を聞いたペトロが、それに反応します。イエスの言葉に応答するペテロは弟子の代表、そして教会に集う者の代表ともいえます。けれど風を見て恐ろしくなり、沈み始めます。その時ペトロの内側から、小さいけれど本当に輝く信仰が現れます。それはイエスに訴えたペトロの必死の願いです 

主よ

救え 

我を

 イエスはすぐに手を伸ばしてペトロの身体を掴みます。そして「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われます。私たちが陥りがちなことは、疑うことです。私たちはイエスを見ながら、この世の現実も見ている者だからです。それが多くのキリスト者の信仰です。しかしこの信仰は疑いで揺らめいてはいるが信仰の輝きを保たれています。それは自分の弱さを隠さないで「主よ、私を救え」と叫ぶことに現れてくるのです。

イエスはペトロと共に舟に乗り込みました。するとあれほど弟子達を悩ませていた風が静まります。

弟子達はその時イエスを礼拝しました。波にもてあそばれ、風に翻弄されていた小さな舟が、礼拝をする場所に変わりました。私たちの信仰の歩みの中で、イエスは「勇気を出せ。わたしだ。恐れることはない」と語りかけています。 だからこそ週ごとに私たちは、感謝と喜びを携えて、この場で礼拝するのです。

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        今日は礼拝後奉仕日でした。

           焼きそばが一段と美味しかった。


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by hiraoka-joyful | 2017-02-26 13:20 | トピックス  

宮城県を訪ねて

東日本大震災から6

先週、牧師は宮城県で行われた全国牧師研修会に出席しました。(2月13−15日)

そして東松島で、復興の様子や6年前に何があったかをガイドさんからうかがいました。

またこれまで何度か訪ねた石巻市に出かけました。跡地の盛り土工事は少しずつ進んでいますが、人々の家々があった場所にはもはや生活の痕跡もありません。けれどこの場所とあの悲しみを私たちは忘れることはできないでしょう。

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石巻市

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                  旧野蒜駅跡


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by hiraoka-joyful | 2017-02-19 17:55 | トピックス  

2月19日の礼拝案内

19日礼拝のお知らせ

219日の礼拝は斎藤執事がメッセージです。

小学生の頃お友達に連れられて教会へ、

今は小学生2名のお父さんです。礼拝では私たちの賛美を

いつもリードしてくださいます。(お子さんと)

職場では高齢者に寄り添って、仕事をされています。

そんな斎藤執事が見つけた宝物は何でしょう。

メッセージで語ってくださいます。

         

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なお牧師はリビングホープ教会で宣教です。

           


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by hiraoka-joyful | 2017-02-12 18:21 | 集会案内  

2月12日17年今日の糧

神の国が来ているのに

マタイ12章22節〜28節(2月12日)

 当時のイスラエルの民は、他国から長く支配され続け困窮していました。そのような環境で富む者への憎しみ、支配者側にいる者への憎しみ、貧しい者、病の者を排除する傾向がありました。社会にそぐわず、悪霊が憑いているとレッテルを貼られたものは会堂の外、町の外に追いやられていました。そのような者は家族から追い払われました。役立たない者も嫌われました。また年老いた両親ですら、軽んじられていました。

イエスが行っているのは、人々を癒すこと、貧しい者に福音を伝えること、罪人や重税人の友になること、悪霊を追い出すこと、そして立ち直った人々を再びその家族や社会に帰すことでした。それは人々の中に起きている亀裂を繋いで一致させてゆく業です。ファリサイ人はそのイエスの業に罰点をつけたのです。

 しかしイエスははっきりと言います。イエスの業は神の息吹によるものだと。私達の内に巣くう思い通りにならない他者や社会を裁かせる力。思いとかけ離れた自分や家族を裁かせる力。それこそが、私達を内輪もめさせる悪霊の力です。

しかし神の息吹=聖霊は悪霊が働く人々の苦しみ目指してかけだして行き、それを追い出すのです。それは私達が頑張って自分の満足度を上げることとは全く異なった出来事です。

神の息吹が私達のもとに来るとき、どのような状況にいても「あなたはわたしの愛する子」だと語りかける父なる神の声を、私達の耳に聞かせます。また共に私達の十字架を担って下さるイエス・キリストの姿を見させます。そして愚痴や恨み言、それさも言えず苦しみにゆがんでいた唇が、父なる神への感謝と賛美で溢れるのです。

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3色(ミートソースたらこ、ボンゴレ)


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by hiraoka-joyful | 2017-02-12 13:55 | トピックス  

2月5日17年今日の糧

イエスに躓かないで

マタイ112節〜6節

イエスの言葉を聞いたとき、バプテスマのヨハネはイザヤ書の言葉を思い出したでしょう。ヨハネもまた聖書に精通し、聖書の言葉に導かれて救い主が来られるのを待ち続けていたのですから。

  ヨハネはその後、そのまま獄中生活を送ります。しかしその後の日々は、彼にとって全く違うものでした。身体は投獄されていても、その魂は彼に命を与えた真の神を見つめていたからです。そして真の救い主イエスを信じます。その時から彼の恐れは消え去ります。ヨハネが、ヘロデ王の手によって斬首されるとき、彼は恨み言一つ口にしていません。むしろほふり場に引かれてゆくイエス・キリストが歩む十字架の道を整える役目を、バプテスマのヨハネは全うしたのです。

11:6 わたしにつまずかない人は幸いである。」ヨハネは獄中にいる。しかし父なる神が与える希望に生きる。その身体は権力者ヘロデに囚われていても、彼の命は父なる神の元にある。だからこそヨハネは平安なのだとイエスは解っておられました。だからイエスは「幸いだ マカリオス」と口にするのです。多くの人は貧しい者となって、人々に仕え続けたイエスの姿に躓いた。十字架のイエスに躓いた。けれどヨハネはそうでない。彼は生涯かけて待ち続けた救い主を知った。そしてそれが、彼の幸いなのです。

                  

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美しい生き方はなかなか出来ない。

しかし希望を持って死と向き合う者として

イエス様は私達を導いてくださる。

それが私達を美しく生かす。

                      

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        甘辛くて美味しい。リンゴも出ました。 


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by hiraoka-joyful | 2017-02-05 13:36 | トピックス