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3月26日17年今日の糧

マタイ26章17節〜30節

日本バプテスト連盟とタイそしてカンボジア

  日高嘉彦協力牧師は2月に訪れた宣教使時代のフィールドタイ国を訪れました。今日は、その時関わったタイのキリスト教会における働きを語って下さいました。
また現在カンボジアに日本バプテスト連盟から派遣されている嶋田宣教師を訪ねた時の様子もうかがいました。

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                     カンボジアの嶋田先生御一家と                
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                 礼拝後は奉仕日でした。焼きそばも作って食べました。

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by hiraoka-joyful | 2017-03-26 13:59 | トピックス  

3月19日17年今日の糧

乙女達は抗議する

マタイ25章1〜12

 

イエス・キリストがいつ来られるのか、キリスト者といえども知りません。だから、私たちはイエス・キリストがいつ来られても、神と人に喜ばれる生き方をしたいとねがっています。そしてイエス・キリストが再び来られた時、「忠実な者だったね」と声をかけてもらえるように願います。

  しかし、私たちはまた私たちの日々の生き様が不完全である事を知っています。そのような私たちはこの物語の賢い乙女よりも寧ろこの愚かな乙女の方に同情し、この物語にやりきれなさを感じるのではないでしょうか。ですから、愚かだと言われている乙女達の言い分も聞いてみましょう。

1)「花婿の到着が、皆が思っていたよりも遅かった」

2)居眠りし、眠っていたのは10人全部だ

3)他の5人が油を分けてくれなかった。

そのことに上手に対処出来なった事が愚かなのでしょうか?いえ娘達の愚かさの背景は、花嫁への友愛や信頼の薄さです。乙女達は誰に相談するべきだったか、それは花嫁です。なぜなら油は花嫁側が用意した油だからです。

もしこの愚かな乙女達に油がなくても、店に買いに走らずに花嫁と共に、他の乙女達が花婿を連れてくるのを持って、花嫁と共に婚礼の部屋に出かけたなら、彼女達も又喜びの時を一緒に過ごせるのです。なぜなら花嫁も花婿もそれを望んでいるのですから。

5人の娘の思慮深さ、賢さの背景は、花嫁の事をとても大切に思い、花婿を連れてくることを第一にしたことです。この花嫁は既に主の元に召されたキリスト者の群れ天に属する教会です。彼等が私たちに託した油、それは約2000年前に召された聖徒達が記した聖書。そして信仰を全うしたキリスト者の歴史、またかつて私たちのすぐ側にいたキリスト者の家族や友人達の姿です。その全てのものが、今を生きる地域教会のキリスト者に指し示していることは、真実なその神は独り子を与えるほどに私たちを愛して、私たちを家族として迎えるかただと言うことです。

 その事実の前に真摯に生きること。真実な神が私たちを召された地域教会で、真摯な教会生活を送ること。それこそイエスが伝える天の国の賢さなのです。そのようなキリスト者の姿は松明のように輝きます。「そこに光がある」とどの人が見て分かるものです。

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抜群の 麺の堅さはプロ級です。


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by hiraoka-joyful | 2017-03-19 13:40 | トピックス  

3月12日17年今日の糧

私たちはロバの子―そしてその母

マタイ2117


イエスの出来事を記録する中で、マタイはわざわざイエスが子ロバを調達されたことは、大きな意味があることを見つけました。


イエスが入場したエルサレム、その都はどのような苦しみの中にいたのか、預言者は伝えます。捕囚から帰還した民が見ていた自分達の祖国は荒れ果てていました。あまりにも絶望的な状況です。それでも預言者は伝えます。救い主は都を再び建てる。都を喜びとすると。


娘シオンと呼ばれている都エルサレム。そこに王はロバに乗って登場します。謙遜で人に仕える王は、私たちのために苦しみを受け、その命も与えた王です。権威に満ち、戦えば必ず勝利をする、ダビデ王国の繁栄を再現する強い実力者ではなく、やがてエルサレムがたどる破滅と破壊の運命を見つめて涙を流す王なのです。そしてマタイによる福音書だけが、このロバが荷物を運ぶロバの子であることを記しています。その意味で子ロバは、私たちが本来は返済すべき負債を一身に背負って十字架への道を歩まれるイエスの苦しみ、その重さを背中に感じながら進んで行きました。それは子ロバにとって単に煩わしい、嫌な苦役だったでしょうか。


いいえそうではありません。この時ロバは杭に繋がれ続けていました。その背中には何の重荷もなかったかもしれません。しかし杭に繋がれ続けているよりも幸いな役割りを、イエスはロバの親子に与えました。


イエスはやがて滅んでゆくエルサレムの運命を知っていました。そのエルサレムを心のよりどころとする人々もまた懸命に生きてきたはずなのに、多くの嘆きと悲しみ苦しみに打ちひしがれる日が訪れることを知っていました。その日が近づいているのに真実な神の愛に立ち返る道を見つけることが出来ない多くの民を知っていました。その人々が再び自分の都を取り戻し、再びそこで喜び笑えるように、イエスは十字架の道を進んでいったのです。そして子ロバはそのイエスの働きを共に担っていったのです。


                      

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 今日、6年前の3月11日から始まった東日本大震災によって起こされた大きな苦しみ悲しみを覚えて、O姉妹に祈りの課題を読んで頂きました。この祈りの課題はそこで、呻きつつその地に生きる人々に少しでも笑顔が戻ってくるために働き続けている東北地方連合の牧師達からの言葉です。

牧師や教会員の皆さんは、避難所から仮設住宅へと移動する人々に関わり、6年間仮設の人々を訪問し続けました。 そして今その地を出て行った人々、復興住宅に入る人、地元に戻る人、これからも彼等が悲しみの中に閉じこもってしまわないように、関わり続けることを決心しておられます。そして、同じくイエス・キリストの呼びかける声を聞いた私たちもまた、彼等に寄り添い共に歩む働きがあります。母ロバはイエス・キリストを背に乗せている子ロバの重さがどれほどかを感じながら、いつでも交代出来るように寄り添って歩んでいます。それが現地にはいなくても、志を同じくする日本中の教会の姿でしょう。


                                                    

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                        つゆだく付き


                           


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by hiraoka-joyful | 2017-03-12 14:08 | トピックス  

3月12日17年今日の糧

私たちはロバの子―そしてその母

マタイ2117


イエスの出来事を記録する中で、マタイはわざわざイエスが子ロバを調達されたことは、大きな意味があることを見つけました。


イエスが入場したエルサレム、その都はどのような苦しみの中にいたのか、預言者は伝えます。捕囚から帰還した民が見ていた自分達の祖国は荒れ果てていました。あまりにも絶望的な状況です。それでも預言者は伝えます。救い主は都を再び建てる。都を喜びとすると。


娘シオンと呼ばれている都エルサレム。そこに王はロバに乗って登場します。謙遜で人に仕える王は、私たちのために苦しみを受け、その命も与えた王です。権威に満ち、戦えば必ず勝利をする、ダビデ王国の繁栄を再現する強い実力者ではなく、やがてエルサレムがたどる破滅と破壊の運命を見つめて涙を流す王なのです。そしてマタイによる福音書だけが、このロバが荷物を運ぶロバの子であることを記しています。その意味で子ロバは、私たちが本来は返済すべき負債を一身に背負って十字架への道を歩まれるイエスの苦しみ、その重さを背中に感じながら進んで行きました。それは子ロバにとって単に煩わしい、嫌な苦役だったでしょうか。


いいえそうではありません。この時ロバは杭に繋がれ続けていました。その背中には何の重荷もなかったかもしれません。しかし杭に繋がれ続けているよりも幸いな役割りを、イエスはロバの親子に与えました。


イエスはやがて滅んでゆくエルサレムの運命を知っていました。そのエルサレムを心のよりどころとする人々もまた懸命に生きてきたはずなのに、多くの嘆きと悲しみ苦しみに打ちひしがれる日が訪れることを知っていました。その日が近づいているのに真実な神の愛に立ち返る道を見つけることが出来ない多くの民を知っていました。その人々が再び自分の都を取り戻し、再びそこで喜び笑えるように、イエスは十字架の道を進んでいったのです。そして子ロバはそのイエスの働きを共に担っていったのです。


                      

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 今日、6年前の3月11日から始まった東日本大震災によって起こされた大きな苦しみ悲しみを覚えて、O姉妹に祈りの課題を読んで頂きました。この祈りの課題はそこで、呻きつつその地に生きる人々に少しでも笑顔が戻ってくるために働き続けている東北地方連合の牧師達からの言葉です。

牧師や教会員の皆さんは、避難所から仮設住宅へと移動する人々に関わり、6年間仮設の人々を訪問し続けました。 そして今その地を出て行った人々、復興住宅に入る人、地元に戻る人、これからも彼等が悲しみの中に閉じこもってしまわないように、関わり続けることを決心しておられます。そして、同じくイエス・キリストの呼びかける声を聞いた私たちもまた、彼等に寄り添い共に歩む働きがあります。母ロバはイエス・キリストを背に乗せている子ロバの重さがどれほどかを感じながら、いつでも交代出来るように寄り添って歩んでいます。それが現地にはいなくても、志を同じくする日本中の教会の姿でしょう。


                                                    

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                        つゆだく付き


                           


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by hiraoka-joyful | 2017-03-12 14:08 | トピックス  

3月5日17年今日の糧

借金を帳消しにする方

マタイ182135

ペトロは赦せない自分をよく知っていました。だからどのくらいだったら赦さなくても良いのかとイエスに聞きたかったのです。

  実はペトロがイエスにこのような質問をしたのは、その前にイエスが弟子達にこう伝えたからです。

18:19 また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。

イエスはここで心を一つにして、と弟子達に語りかけました。共に集まり、共に賛美し、共に祈り、共に感謝を捧げる。それはまさにイエスがその中に居られる礼拝です。イエスはこの大切な事柄を弟子達に伝えます。その時、ペトロの中に、仲間の弟子達と心を一つにするのは難しいという思いが湧き上がったのです。ですからペトロはどのくらいだったら赦さなくても良いのかと、イエスが伝えたかった事とは正反対のことを聞いたのです。その時イエスはたとえ話をしました。イエスは譬の中で、仲間に憐れみを持たないで最後に監獄の役人に引き渡された奴隷のことを伝えています。彼は負債を返すまで拷問をうけるのです。それは仲間を赦しきれないペトロの姿でしょうか。私たちの姿でしょうか。

いいえ、私たちは実際にこの拷問を受けた方が誰だったかをしっています。鞭を打たれ十字架にかかった方が誰だったかを知っています。最後まで人を愛した方が誰だったか。人を赦しきった方が誰だったか。それはイエス・キリストです。この譬の中で、仲間を何度赦せばいいのかという問いの答えは数ではないのです。アガペーの愛で人を愛し、人を赦したイエス・キリストそれが私たちへの答えなのです。

イエスから私たちに委ねられているのは緩めるということです。聖書では鍵を解くとあらわしています。人を赦さず、自分の内に鍵をかけ誰にも心の内を明らかに出来なくなる。それは私たちを孤独にし、虚しくさせます。それを緩めてゆく。その緩めたところにイエス・キリストが入って下さるのです。そして赦しそのもののイエス・キリストが私たちの思いを同じ心へとして下さるのです。


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春を喜ぶちらし寿司


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by hiraoka-joyful | 2017-03-05 13:45 | トピックス