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4月30日17年今日の糧

2017-4-30礼拝にて

今日の礼拝は賛美礼拝でした。またSさんが証をして下さいました。

Sさんは北海道に嫁いで来て十数年、2人の娘さんの母として忙しくしながらも

生活を美しくする工夫をされている方です。

お連れ合いも以前このブログで紹介しました。探してみますか?

(ヒント、ギター)

宣教はY執事でした。信仰による義は個人の行いによるのではない。イエス・キリストによって

良いものへと承認された人々が造り上げる共同の礼拝であり、神の働きへの参加だと伝えて下さいました。

執事の50有余年の信仰の歩みもそのような日々です。

PC知識もさることながら教会の営繕も、

あっという間に解決する頼もしい方です。ご夫妻でいつも

礼拝を守り、教会の奉仕をされています。

北海道を離れた方にとっても、故郷の親戚のような(ザ・北海道)

な方達です。

                   

ようやく桜が咲いてきました
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                          とろろそばです   



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by hiraoka-joyful | 2017-04-30 13:52 | トピックス  

4月23日17年今日の糧

神の恵みの中に植えられた教会

詩編1篇1節~3節

今日は2016年度の歩みをふり返り、また2017年度の指針を決める大切な総会の日でした。2016年度の歩みの中でまず一番に感謝したことは、週ごとの礼拝が守られ続けたことです。週の半ばに行われる祈祷会は、ジョイフルチャペルの原動力とも言える時間ですが、朝の祈祷会では詩編を読み継いでいます。 詩編を読むようになって3年が過ぎました。なぜ詩編を読むように導かれたか?それは祈りの課題を読む前に、詩編を通して祈る姿勢を教わるためでした。祈祷会で祈られる祈りの課題は様々ですが、昨年度も実に多くの教会の働きのための祈り、個人の課題のための祈りが聞き届けられ実現しました。

 その圧倒的事実に励まされて、今年度の聖句を聖句の表題とも言われている1篇から選びました。

 幸福だ(アシュレー) その人は 

詩編の巻物を開いた瞬間に、この感嘆詞が聞こえてきます。

それは真実な神が私たちを祝福するという宣言です。災いからの守りや救いが幸で、神が与えてくださる恵みが福です。

この視点こそ、詩編の最初で宣言されているアシュレーなのです。

最初のアシュレーは免れている幸いです。それは大変具体的な幸いです。

「悪き者の助言」に「歩まない」

「罪人の道」に「立たない」

「あざける者の座」に「座らない」

この3つの幸いが、2節では積極的に神が与えてくださる恵を受け取ってゆく福へと繋がってゆきます。

神の指針トーラーをまず神から与えられた、思いがけない慶福=めでたいほどの喜びだと、嬉しがって積極的に読み、聞き、関心を抱く者こそがアシュレーです。

その人は

1)流れのほとりに植えられた木のような人生を送ります。

2)することはすべて、成功する(貫く)人生を送ります。

私達は折角植えられたよい祝福の場所、この平岡ジョイフルチャペルの集いと、その一人一人を2017年度も大切にしましょう。


              

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                   手作りパンは美味しいです。


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by hiraoka-joyful | 2017-04-23 14:47 | トピックス  

4月23日17年今日の糧

神の恵みの中に植えられた教会

詩編1篇1節~3節

今日は2016年度の歩みをふり返り、また2017年度の指針を決める大切な総会の日でした。2016年度の歩みの中でまず一番に感謝したことは、週ごとの礼拝が守られ続けたことです。週の半ばに行われる祈祷会は、ジョイフルチャペルの原動力とも言える時間ですが、朝の祈祷会では詩編を読み継いでいます。 詩編を読むようになって3年が過ぎました。なぜ詩編を読むように導かれたか?それは祈りの課題を読む前に、詩編を通して祈る姿勢を教わるためでした。祈祷会で祈られる祈りの課題は様々ですが、昨年度も実に多くの教会の働きのための祈り、個人の課題のための祈りが聞き届けられ実現しました。

 その圧倒的事実に励まされて、今年度の聖句を聖句の表題とも言われている1篇から選びました。

 幸福だ(アシュレー) その人は 

詩編の巻物を開いた瞬間に、この感嘆詞が聞こえてきます。

それは真実な神が私たちを祝福するという宣言です。災いからの守りや救いが幸で、神が与えてくださる恵みが福です。

この視点こそ、詩編の最初で宣言されているアシュレーなのです。

最初のアシュレーは免れている幸いです。それは大変具体的な幸いです。

「悪き者の助言」に「歩まない」

「罪人の道」に「立たない」

「あざける者の座」に「座らない」

この3つの幸いが、2節では積極的に神が与えてくださる恵を受け取ってゆく福へと繋がってゆきます。

神の指針トーラーをまず神から与えられた、思いがけない慶福=めでたいほどの喜びだと、嬉しがって積極的に読み、聞き、関心を抱く者こそがアシュレーです。

その人は

1)流れのほとりに植えられた木のような人生を送ります。

2)することはすべて、成功する(貫く)人生を送ります。

私達は折角植えられたよい祝福の場所、この平岡ジョイフルチャペルの集いと、その一人一人を2017年度も大切にしましょう。


              

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                   手作りパンは美味しいです。


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by hiraoka-joyful | 2017-04-23 14:47 | トピックス  

4月16日17年イースター今日の糧

平安の中でおはよう

マタイ28章1~10節  

 

ふたりのマリアが墓を見に来ています。ふたりは、イエスが十字架につけられているのを見ました。彼女たちは、イエスが墓に葬られるのを見ました。彼女たちはイエスのそばにいること以外に生きる方法を知りませんでした。そのことの故に、彼女たちがイエスの復活の最初の証人となるのです。彼女たちはまだ薄暗い中墓へゆきます。愛する先生を失って、これからどのように生きたらよいかわからず、暗い中、自分たちの足元に目をやりながら、彼女たちは墓の中に収めてあるイエスの亡骸の側にいることを求めたのです。

しかしその時、主の天使は石をわきにころがしました。人間が知恵を尽くし工夫した事を、その使いはいとも簡単に取り除けました。 恐れる彼女達に御使いは、イエスの出来事を伝えています。

1) イエスが十字架につけられたことを伝えています。

2)イエスが墓の中におられないことを話しています。

これをしっかりと見つめよと、主の使いは伝えているのです。これが福音=善い知らせです。

御使いは、女たちがこれから生きてゆく方向を伝えています。それは墓から出て行って、イエスを失って彼女達と同様、言えそれ以上に気落ちしている弟子たちのもとに行く事です。 また、彼女達も共にガリラヤに行って、イエスに出会うことです。その場所で彼らはよみがえられたイエス・キリストと共に、今度は迷いなく神の国の働きを担ってゆくのです。

彼女達は急いで墓から出て、弟子達が隠れている場所までかなりの距離を走ったのです。良い知らせを告げる者の足はなんと美しいか。彼女達は本当に美しかったでしょう。

この女性達に彼女達が一番会いたかった人が声をかけます。喜べという言葉です。「めでたいね」とイエスが挨拶されたのです。恐れながらも大いに喜んで走ってゆく女性達を、嬉しがってイエスがガリラヤに行く前に彼女達に会いに来たのです。

イエス・キリストの言葉を聞く私たちもイエス出会い続けます。その姿を見続けます。私たちは福音書であらわされたイエスの言葉の中に、イエスを見つけます。イエスを信じる教会の皆さんの中に起きる出来事の中にイエスを見つけます。

               

   

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        イースターおめでとうございます


 


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by hiraoka-joyful | 2017-04-16 13:09 | トピックス  

4月16日17年イースター今日の糧

平安の中でおはよう

マタイ28章1~10節  

 

ふたりのマリアが墓を見に来ています。ふたりは、イエスが十字架につけられているのを見ました。彼女たちは、イエスが墓に葬られるのを見ました。彼女たちはイエスのそばにいること以外に生きる方法を知りませんでした。そのことの故に、彼女たちがイエスの復活の最初の証人となるのです。彼女たちはまだ薄暗い中墓へゆきます。愛する先生を失って、これからどのように生きたらよいかわからず、暗い中、自分たちの足元に目をやりながら、彼女たちは墓の中に収めてあるイエスの亡骸の側にいることを求めたのです。

しかしその時、主の天使は石をわきにころがしました。人間が知恵を尽くし工夫した事を、その使いはいとも簡単に取り除けました。 恐れる彼女達に御使いは、イエスの出来事を伝えています。

1) イエスが十字架につけられたことを伝えています。

2)イエスが墓の中におられないことを話しています。

これをしっかりと見つめよと、主の使いは伝えているのです。これが福音=善い知らせです。

御使いは、女たちがこれから生きてゆく方向を伝えています。それは墓から出て行って、イエスを失って彼女達と同様、言えそれ以上に気落ちしている弟子たちのもとに行く事です。 また、彼女達も共にガリラヤに行って、イエスに出会うことです。その場所で彼らはよみがえられたイエス・キリストと共に、今度は迷いなく神の国の働きを担ってゆくのです。

彼女達は急いで墓から出て、弟子達が隠れている場所までかなりの距離を走ったのです。良い知らせを告げる者の足はなんと美しいか。彼女達は本当に美しかったでしょう。

この女性達に彼女達が一番会いたかった人が声をかけます。喜べという言葉です。「めでたいね」とイエスが挨拶されたのです。恐れながらも大いに喜んで走ってゆく女性達を、嬉しがってイエスがガリラヤに行く前に彼女達に会いに来たのです。

イエス・キリストの言葉を聞く私たちもイエス出会い続けます。その姿を見続けます。私たちは福音書であらわされたイエスの言葉の中に、イエスを見つけます。イエスを信じる教会の皆さんの中に起きる出来事の中にイエスを見つけます。

               

   

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        イースターおめでとうございます


 


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by hiraoka-joyful | 2017-04-16 13:09 | トピックス  

イースターの喜び

イースターの喜び

1.イースター来た イースター来た どこに来た

ペテロに来た ヨハネに来た 我らに来た


2.笑顔咲く 笑顔咲く どこで咲く

山で咲く 里で咲く 我らに咲く


3.賛美歌う 賛美歌う いつ歌う

この日歌う 明日も歌う イエス様と

             春が来たのメロディーで

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4月16日はイースターです。教会でお祝いしましょう。

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by hiraoka-joyful | 2017-04-11 13:44 | うた  

4月9日17年今日の糧

最後まで父を呼ぶ子

マタイ27章45節~50節


神の子が父なる神から断絶されることは、この世のいかなる苦しみにも比べられないほどの苦痛でした。信頼している者に拒絶されるほど、さみしいことはありません。イエスも又一番愛し信頼する父なる神の顔を見失い、悲痛な叫びを上げるのです。それは本来罪ある人間が味わい続けてきた真実な神との断絶でした。

イエスが十字架で発した叫びは、虐げられた正しい人の叫び、善が敗北し、悪が勝利する絶望の叫びです。愛する者に拒絶された者の叫びです。けれどそれは、神自身がすべての人のうめき苦しみを担った叫びでもあります。イエス・キリストの大きな叫びはどこまでも届いてゆきました。その声を聴く者は、自分だけが孤独に苦しんでいるのではないことに気づきます。

そして神が私たちの苦しみを知って、イエス・キリストを通して共に叫ばれている事実に驚くのです。イエス・キリストは私たちの代わりに神に捨てられて、その絶望を私たちの代わりに味わい尽くしてくださった。そのうえでなお今自分から離れようとする父なる神へわが神と呼びかけます。イエスはこの真実な信仰を、このイエスの声を聴く私たち一人一人に渡してくださったのです。

そして神殿の垂れ幕が裂かれたこの時、真実な神はイエス・キリストの十字架の死を通して、すべての人の父となることを選ばれたのです。
 ですから、私たち一人一人は、罪を赦されて神の前に出て礼拝をする者となったのです。本来なら自分の事だけを愛して、他者の痛みに鈍感な者であった者が、喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く者とされたのです。そしてともに礼拝をささげる友を喜ぶ群れとなったのです。キリスト者にある友を見出すことで、世界が開かれるものとなったのです。

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今週はピリ辛丼でした

                     来週はイースターの卵があります。


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by hiraoka-joyful | 2017-04-09 13:18 | トピックス  

4月2日17年今日の糧

イエスの祈りの中で

マタイ26章36節~46節

イエスは父なる神から渡された杯を飲み干すことに苦しみます。それは父と離れる杯です。日本で言うならば水杯です。愛するもの達が今生の別れをする時、飲み干す杯です。

イエスはなぜその杯から飲んだのか?

神から離れた~神との親密な交わりから離れた。それが人の罪です。その私たちを真実な神の元に子として戻すために、イエスは自分が代わりに別れの杯を飲んだのです。イエスは父なる神を愛し抜いているにもかかわらず その父の元を離れねばならないのです。そしてその魂は死ぬほど苦しみます。

「おとうさん、おとうさん」と。弟子達はそのイエスの呻くような祈りの言葉を聞いていたでしょう。いいえこの祈りに包まれていました。 そうやって弟子たちは眠っていました。イエスの苦しみをしっかりと見つめていることが、彼らは全く出来ませんでした。

イエスの願いに弟子達は何一つ応えていません。しかし彼らは、イエスのそば近くにいることで、イエスが真実な神に「おとうさん」と語りかけた祈りに包まれているのです。彼らを包んだ祈りの言葉はやがて、イエスの十字架と復活の出来事を経て、弟子達や教会につながる人々の口に生まれてくるのです。

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そしていよいよ、時が来ます。イエスは彼らに

あなた方は起きよ(命) 

私たちは行こう  

見よ わたしを裏切っている者が 近づいた

と声を掛けます。そこにもはや悲しみにくれる様子はありません。地面にはいつくばるように呻いていたイエスは、しっかりと立ち、イエスを裏切る者の方向へ向かって行くのです。 このイエスの声によって、弟子はハッキリと目覚めます。そしてイエス・キリストの苦難の証人として、その姿を見つめてゆきます。それは、イエスが完全に仕える者となられた姿です。彼らはそこに神の国は到来することを見つめ続けます。そして私達にも福音書を通して証し続けているのです。

 

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うどんも蕎麦もつゆだく具沢山


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by hiraoka-joyful | 2017-04-02 13:34 | トピックス