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5月28日17年今日の糧

接ぎ木された枝が実るとき

ローマ111924

ローマに住むキリスト者達はユダヤ人キリスト者のように旧約聖書の知識もありません。また他の教会のように明確な指導者もいませんでした。パウロの言葉で言えば、まるで野生のオリーブの樹のようでした。

 彼等は自分達の罪深さによって行き詰まり、そこで神を求めイエス・キリストを信じたのです。ですからローマにいる多くのキリスト者はイエスの歴史的背景も神の契約もよく分からなかったのです。そんな彼等にパウロは懇切丁寧にこの手紙を書いたのです。

そしてパウロが最も伝えたかったのは、ユダヤ人=イスラエルと異邦人は互いを活かし合い、互いに神の救いに預かるため存在することです。

イエス・キリストを受け入れることは真実な神が関わり続けた、ユダヤ人=イスラエルの背景や歴史、彼等が大切にしてきた文化を全て捨てる事ではありません。むしろ長年かけて神が慈しんだオリーブの樹である彼等と神との契約の上にイエス・キリストによる新しい契約が接ぎ木されたのです。そしてこの新しく育ってゆくイエス・キリストの幹だけが実を結んでゆくのです。独自の文化を保つことで、離散してもなおユダヤ人で在り続けた人々も、神の新しい契約であるイエス・キリストを受け入れるとき、その幹に繋がってゆく希望をパウロは持っているのです。

イエスを救い主と信じた異邦人キリスト者にパウロがきつく戒めていることは

1)高ぶるな

2)神を畏れよ

3)神の慈愛に留まれということです。

慈しみはクリストテース=親切という言葉で、クリスチャンという言葉と音が似ています。パウロ達の時代クリスチャンは親切でいつくしみ深いと語呂合わせのように言われていたのです。かれらは他者の側に立って、思いやり深く親切に生きる人々でした。異邦人キリスト者は自分達の富を用いてパウロ達を助け、また貧しいユダヤ人キリスト者を助けました。けれどやがて教会の中で民族的な対立が起き、異邦人キリスト者社会は広がり、権力を持ち始め、諸国に散らされていた小さなユダヤ人コミュニティを目の敵にし始めます。イエス・キリストが十字架に架かったのは自分の罪のためなのに、それを民族の問題にすり替えます。それがヨーロッパにおいて長いユダヤ人迫害につながり、やがてナチスによるユダヤ人大虐殺にも繋がったのです。

 第2次世界大戦後、キリスト教会ではこの歴史への悔い改めが始まりました。そして今ユダヤ人迫害の先鋒を切っていたカトリック教会は彼等との対話を始めているのです。

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今イスラエルに植えられてるオリーブの木

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                キャベツが良い彩りです。


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by hiraoka-joyful | 2017-05-28 13:27 | トピックス  

5月21日17年今日の糧

鳥・魚・動物・植物と待っている希望

ローマ81825

聖書が伝える苦しみ

苦しみとは、この世界を創造された神が人に定めた賜物=プレゼントです。

そのプレゼントは大きく3つあります。

 それは

1.苦しんで子どもを産むこと。

2.額に汗して働くこと。

3.死んで土に帰ることです。その中には病や老いも入っています。

人がなんとかもう神を求め、自分達からその声に応えるように、

真実な神は、人間に定めを与えたのです。そして人が神を思うこのきっかけが、より強いものになるため、神は苦難をちりばめたのです。

同時に神が創った被造物全体もうめき苦しんでいると聖書は伝えます。

被造物全体は最初に神に造られた善いものとしての姿を保てない。

人間の手によって被造物が神であるかのように祭られる。

自分達の役割りを知る被造物を虚しくさせている。

ある人には全く聞こえないその音が、パウロの耳には届いていました。パウロはそこにこそ希望を聞いたのです。


そしてパウロはもう一つの呻きの声言い換えればもう一つの希望の声を聞いています。それは、神に叛いて土塊に帰るだけの虚しい存在になった人のために、十字架で呻き苦しんでくださったイエス・キリストの声ですこのイエスの呻きに、人間よりも速く深く反応しているのが全ての被造物です。私たち一人一人のために呻き苦しんでくださっているイエス・キリストがいるから、この世界全体の苦しみは虚しくならない、それは新しい世界を生む苦しみの呻きだとパウロは聞き取っているのです。


私たちは、この世の人生を、肉体の弱さや欠けの中でうめき苦しみつつ生きています。けれど同時に神に向かって「おとうさん助けて」と祈ることが既に許されています。その祈りの中で、欠けだらけの自分の人生にも神が父として私たちに関わっている確信を見つけるのです。そこに私たちは神と人が喜び合いながら生きる小さな神の国の現実を見つけるのです。その小さな神の国の現実あるから、私たちがまだ目にすることが叶わない神の国の完成を、全ての被造物と共に待ち望むことが出来るのです。

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様々な具が入ったあんかけ丼です。


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by hiraoka-joyful | 2017-05-21 13:36 | トピックス  

イエス様の学校

イエス様の学校


詞  R  作曲 中田喜直


イエス様の学校は 教会よ


そっとたずねて みてごらん


そっとたずねて みてごらん


  みんなで 礼拝 しているよ



イエス様の学校の みなさんは


だれが生徒か 先生か


だれが生徒か 先生か


  みんなで 聖書に 学んでる



イエス様の学校は うれしいよ


聖霊ながれて つーいつい


聖霊ながれて つーいつい


  みんなが 一緒に 歩んでる


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by hiraoka-joyful | 2017-05-14 15:42 | うた  

5月14日17年今日の糧

バプテスマを受けよう

ローマ6章1-5

バプテスマにおいてだけが、イエス・キリストが成してくださった恵の業、十字架の死と葬り、甦りを私たちが追体験する時、場となります。

イエス・キリストと共に

水の中に沈められた時。=古い罪の生活に死んだ

水の中から現れたとき甦った。=新しい(フレッシュな)命を受けた

バプテスマは、私たちの過去を覆い、将来を変える。そして神の命へと向かわせます。

神は、バプテスマを授けられた一人一人を、キリストの十字架の死にあずかって罪に対して死んだ者として見ています。

本来バプテスマは全身を水に浸されるという仕方で行っていました。バプテスマを授かるとは、私たちがイエス・キリストにすっかり浸され、キリストと一つになることです。それは接ぎ木をするというイメージです。丁度イエスが自分を指してブドウの樹だと表現していますが、私たちはそのブドウの樹に接ぎ木される苗です。ブドウの樹であるイエス・キリストに繋がる全世界の25億人のキリスト者は、イエス・キリストと同じ芽吹きをし、同じ葉を付け、同じ実を実らせます。バプテスマによって、水の中でイエス・キリストの死を体験したものとして植えられたからです。イエスの十字架の死と同じ姿で植えられた苗木である私たちは、復活したイエス・キリストと同じ姿の木へと育っていくのです。バプテスマはその成長への出発点です。 私たちはもはや奴隷のように誰かに指図されて生きること、また明日の希望もなく生きることを止めます。自由な者としてイエス・キリストの助けによって自分の人生を切り開き歩むのです。

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母の日のごちそうです。

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by hiraoka-joyful | 2017-05-14 15:34 | トピックス  

5月7日17年今日の糧

恵によっておとがめなしとなる

ローマ51521

神の国の支配の中で、イエスの命が、土に帰るしかない人を活かすようになります。イエス・キリストを信じる事によってただしいと認められた者は永遠の命、真実な神へと繋がる命を与えられるのです。

もはやいたずらに死を恐れる者ではなく、神が呼ばれるその瞬間まで、活き活きと与えられた地上での命を使い切って、真実な神の元に帰るのです。これは奇跡のような恵です。そしてこの恵によって、今も神が善い人だと認めて下さる多くの人が、この世界に生み出され続けています。

世界全体で言えば74億の中で、25億ほどの人がこのイエスと共に歩むことを選び続けています。この事実をパウロが伝えているのです。25億のキリストの民は死への恐れから解放されて、神が与えて下さった人生を喜んで神と共に生きています。またそれぞれの人生において自分のなすべきこと、神が導く業を、勇気をもって行なっていく者達です。

もしキリストの民である私たちが様々な失敗をしたとしても、足を踏み外すことがあったとしても、

アダムの子孫である私たちと共に生きることを選び取られたイエス・キリストが、踏み外した足の下で、私たちの足が深みにはまらないように支え、強くその足の向きを変え、再び神の国の王道を歩むものとして下さるのです。

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主の晩餐式で頂くパンとブドウ酒は、イエスを自分の人生の救い主だと受け入れ、告白したことで、キリストの民とされた者たちが、キリストの十字架による罪の赦しを新たに体全体で受け、神の霊を新たに吹き込まれて生かされ、キリストの民としてもう一度この世界へと遣わされていくための25億の人と食べている命の食卓です。

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今日は礼拝で主の晩餐を頂き、昼食は2色スパゲティを頂きました。


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by hiraoka-joyful | 2017-05-07 13:43 | トピックス