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7月30日17年今日の糧

今日の賛美礼拝は大麻ベーネ・カルテットの皆様が奉仕されました。

賛美歌アヴェベルムコルプスが、前奏として流れ、

「いつくしみ深き」「主よ 御もとに近づかん」が演奏されました。

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創世記3章20節~4章1節

「ともに生きよ、と主は言われる」

障害者支援施設「神奈川県立津久井やまゆり園」で悲惨で、心痛む出来事

が一年前にありました。大久保兄はそのことを深く心に留め続けたこの一年の間、

自身がキリスト者として願ったとこ、

聖書を読んで大事にしてゆきたいと決心している事を伝えてくださいました。d0224356_14140535.jpg



お昼は皆様と音楽の話しに花が咲きました。

                   

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                 おしゃべりも栄養になります。


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by hiraoka-joyful | 2017-07-30 14:15 | トピックス  

賛美礼拝(7月30日)のおしらせ

明日は賛美礼拝です。

特別賛美に大麻ベーネ・カルテットの皆様が奉仕されます。

また宣教は大久保法幸執事です。ご家族を愛し、イエス・キリストを愛し、自然を愛しておられます。北海道の山と海に精通し、版画、音楽等、様々な活動をしている方です。

                

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さて賛美礼拝の賛美とは何のことでしょう。

なぜ教会では賛美をするのでしょう。

神さまを賛美するのは、私たちの感動をあらわすことです

天地を創造された真実な神がおられる。その神が人々を愛して、大切なひとり子をこの地上に送った。その独り子イエス・キリストが、神の愛が解らずに神から離れた人々に、神の愛を知らせるために働いた。そして人を全ての苦しみから救うために十字架にかかり、死んでくださった。しかし死んで終わるのではなく、三日の後によみがえって天にのぼられた。 そしてイエスを信じる者の住まいを神の国に整えている。

  人がイエス・キリストを信じると、 その人はいままでの「生活」の意味が変わる。神の国に生きる民。日々の生活で神を信じ、人を赦すことを学ぶ。聖書を通して神を愛し、人を愛することを学ぶ民となる。そして、その生活の中でイエスさまがいつもそばにおられることを知る。神さまからの無条件の愛があふれんばかりに備えられていることに気がつく。

その時、私たちは賛美します。神さまをほめたたえます。

その時、誰かが歌う賛美の声が、私たちを慰めます。

その時、賛美によって生きる力が生まれます。

明日、教会でご一緒に賛美しましょう


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by hiraoka-joyful | 2017-07-29 07:10 | 集会案内  

7月23日17年今日の糧

今日の礼拝は

三ツ木芳夫師、三ツ木朋代姉の派遣礼拝でした。

お二人はカナダにあるリッジモンドバプテスト教会にて

8月下旬から日本人集会のお手伝いをされます。

ご夫妻は白石バプテスト教会時代より、協力牧師としても関わってくださいました。現在も様々な形で、平岡ジョイフルチャペルを支えておられます。

宣教は三ツ木芳夫師、証は三ツ木朋代姉でした。

マルコ6章45節から52節の聖書の箇所により、

どのような人生の場面でも、

私たちを心から愛するイエス・キリストが

共にいて下さること。

そのイエスがいつも大きな安心を与えてくださる事を

お伝えいただきました。

また北星学園大学チャペルクワイヤーの皆様による

特別賛美「幸いだ、貧しい人」「喜びに満ちて」の奉仕がありました。

礼拝後はジョイフルガーデンでBBQを楽しみました。

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礼拝後記念写真

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            凄く楽しい BBQ

来週は賛美礼拝です。大麻ベーネ・カルテットの皆さんが奉仕されます。

宣教は大久保法幸執事です


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by hiraoka-joyful | 2017-07-23 13:43 | トピックス  

7月23日17年礼拝のお知らせ

明日の礼拝は

三ツ木芳夫師、三ツ木朋代姉の派遣礼拝です。


お二人はカナダにあるリッジモンドバプテスト教会にて

8月下旬から日本人集会のお手伝いをされます。

宣教は三ツ木芳夫師、証は三ツ木朋代姉です


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また北星学園大学チャペルクワイヤーの皆様の特別賛美もあります。

昼食はBBQを楽しみます。

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            昨年BBQ

どうぞお出かけください



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by hiraoka-joyful | 2017-07-22 15:17 | 集会案内  

7月16日17年今日の糧

理想郷に住む伴侶達

創世記2章15節―23節

 

主なる神は人と向かい合って共に生きるパートナーを造り、人に与えようとします。そして主なる神は、人(アダム)と向き会い、人からもう一人の人を造る決意をします。主なる神は取ります。 人から彼の側面の中から一つを。

その側面には神が与えた対話し応答する性質またへりくだる性質が含有しています。

しかしそのままでは人には片割れがないようになる。その時主なる神はそこを代わりに肉で塞ぎました。驚くことに主なる神は神の肉をそこに与えたのです。眠っている人はそのことを知らないし、その意味も知らない。そしてずっと気づきもしませんでした。しかし私たちはそれが、どのような肉だったかを知っています。人のために鞭打たれ、肉が裂かれ、十字架の上でそのあばらに槍をつき刺された。イエスの言葉を知っているからです。それを聞くとき、最初の人に神が与えた血肉を理解するのです。(マル14:22) 

それから主なる神は、神にとって甚だ善きもの、パーフェクトヒューマンである人を再創造しました。けれどこの再創造にはリスクがありました。イーシュとイシャーが造られるのに、神の血肉が与えられた。なぜなら、神は一人の人を二人の男と女に再創造するリスクを十分承知しておられたからです。人は理解しきれないで、互いを憎む。人は互いを疎んじる。男が女を支配する。女が男に隷属する。女が男を冷遇する。お互いの欲望によって人が結びつく。人はそうなりやすいリスクをいつも抱えています。男と女としてそれぞれに生きる中で、それぞれが関わる中で、人が神の似姿を映し出してゆく。そのために欠くことが出来ない主なる神の事実があります。それはイエス・キリストが自分の命を、取って食べよと人に裂いて与えたことです。

イエス・キリストは男だけのために、女だけのために命を与えたのでもありません。男女で生きる者、男性同士、女性同士で生きる者。そうでない者。子ども。老人。いま孤独に苦しんでいる者。誰かの助けをどうやって見出していいか分からない者。私とあなた。全ての人のためにイエスはその命を与えたのです。ほんとうに、ありがたいことです。私たちはイエス・キリストと共に人として、男として、女として生きて行けるからです。

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冷たいソーメン具が沢山心も体も元気に


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by hiraoka-joyful | 2017-07-16 13:25 | トピックス  

空より高い神の愛


1.(そら)より高い(たかい)(かみ)(あい)

真実(まこと)の神がお父さん

イエス様信じる子ども達

聖霊(せいれい)(かぜ)吹かれてる()



2.海より深い神の愛

真実(まこと)の神がお父さん

イエス様信じる子ども達

慰め(なぐさめ)(ぬし)(とも)にいる

           

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by hiraoka-joyful | 2017-07-09 18:53 | うた | Comments(0)  

7月9日17年今日の糧

神とゆったりしよう

創世記2章1節―3節、4a

神は第7の日に天地創造を完成された。そこに、深い意味が込められています。

 第7の日において、神の創造の作業が完成すること。それは神がそこから離れる、もしくは止めることによって完成されています。神はもはやこれ以上何も付け加えることがないと満足し、創造の業を止められました。けれどそれで神の創造は終わりではありません。本当の完成はその後に来るからです。それはワインの熟成に似ています。ワインは作り手が全ての作業を終え、ワインを樽の中で寝かせることで完成します。

  また神様の安息は、私たちが無意識に行う息継ぎ、息の整えに似ています。例えば被造物全体が一つの有機体、命ある体であると見なすと、息を整えることがとても大切なのが解ります。体が必要としている空気を十分に胚に送り、新鮮な血液が体中に酸素を運ぶ。それだけでなく体が自らを動かす為にだした二酸化炭素を体の外に出す。それを私たちの体は繰り返して行っているのです。ですから息が乱れると体全体が苦しむのです。

  そう考えてみると、神の安息はあってもなくても良いおまけではないと解ります。神は安息する事によって、第七の日を祝福し、聖別されました。そして第7の日があるからこそ、第1番目の日から第6番目の日までが、聖別し、祝福されたのです。

 では7番目の日、神の安息の日においての祝福とはなんでしょう。それはうみ疲れ、絶望し、もう一歩も歩けないもの達への祝福です。産めない、増やせない、満ち足りないもの達は神の祝福から遠いのでしょうか。そうではありません。神は自ら先んじて休み場で憩われました。その場に私たちも行って、息を整えることが出来るのです。なぜなら疲れ果てたあなたの傍らで、全てを投げ出したい私の傍らで、私たちの呼吸に神がそっと合わせてくださるからです。これこそ聖書が伝える第7の日の祝福です。また聖書は神がその日を聖別されているとも伝えています。聖別は安息という事柄においてなされています。神が最後まで徹底的に責任を持ち、愛し、守り、支え続けるからこそ、生きとし生けるものに安息があるのです。

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一週間は日曜日から、日曜日に教会へ

               

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          今日も暑かった。冷たいラーメンGOOD


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by hiraoka-joyful | 2017-07-09 18:45 | トピックス  

7月2日17年今日の糧

天と地の間にあるもの

創世記1章26節―31節

 

唯一の神が自分を我々と表現するのは、天地を創られた神に、語りかけ応答する性質があるからです。それは将棋になぞらえることが出来かもしれません。盤上に全く動きがない時でも、棋士は、何時も頭の中で盤上の駒を動かしています。彼等は何十手も先に何が起きるかを、自分が先手となり、同時に後手となって頭の中で画像を浮かべているのです。それと同様に、神がこの世界を創造された時も、神は語りかけ、応答しながら創造の業を進めたのです。始めの一言、「光あれ」と言われた時には、神の中ではこの宇宙、空、海 大地は出来上がっていました。しかし人間の創造は、神の創造の業の中では全く局面が変わった出来事でした。

 人間の創造は、神の中の計り知れない語りかけと応答によって生み出されたのです。そこから導き出された神の決心は、我々にかたどり、我々に似せて人を造る。ということでした。 ですから神に似せられた人間は、語りかけ応答することができる者として造られました。人間だけが、神との間に「あなたと私」という関係を持つのです。

人を神の似姿に造る。それは、状況次第で悪手となる一手でした。その一手が打たれたことで、神が創造された全てのものが、再び虚しくなる危険性があったのです。実際、これほどの愛を受けて創造された人間ですが、素晴らしい善いものとして生きられない弱さを持っているからです。人間は互いに傷つけ合い、時に殺し合う面を持っています。人間は人を愛することよりも憎む面を持っています。けれど私たちがそのことに絶望するために、この聖書が記されたのではありません。

私たち人間は神の呼びかけを無視する罪の性質を取り入れてしまった。だから、本来神の似姿として与えられた対話や応答する性質も失われてしまいます。それは大変孤独なことです。けれども、その私たちに、「あなたは神の形、似姿だ。神はあなたの近くにいる。」という慰めと喜びを聖書が語っているのです。

あなたの耳にこの神の決心の声が聞こえていますか?

そして創世記のこの言葉を、ことばだけでなく具現したのが、私たちが信じるイエス・キリストです。イエス・キリストは天地を創られた神が打たれた究極の一手です。この地上に静かに置かれた神の愛そのものの方が、創世記のこの言葉をこの地上に実現させてゆくのです。


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    教会にある絵本です。
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  今日の冷やしラーメンは絶品でした


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by hiraoka-joyful | 2017-07-02 13:49 | トピックス