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9月17日17年今日の糧

主なる神の選抜試験

士師記7章1節〜8節

夜明けまで、緊張のあまり眠れなかったギデオンに、主なる神は兵士をどのように戦いに臨ませるかを伝えます。それは、とんでもないような命令でした。

その時のギデオンの気持ちはどうだったでしょうか。彼は神から与えられた使命を成し遂げようと、命がけで働いてきました。ギデオンは一生懸命に計画を立て、工夫して努力して、なんとかやり抜こうとしてきたのです。その計画をよりによって主なる神が無茶苦茶にしてしまいました。ギデオンには、これまでの努力が水の泡に感じたでしょう。

私たち人間は、何かを成し遂げる時に人数や資金が多ければ多いほど良いと考えがちです。けれども、神はむしろ少ないところから、大きなことを行なわれる方法を取られます。

この選抜試験に合格したのは僅か三百人でした。彼等は片手で周囲をうかがいながら水を飲む、用心深い者達です。用心深さは、自分の弱い部分を解ることから生まれます。そのような弱さを知るものこそ、主なる神が共に働いて下さらなければ戦いに勝てないことを知る精鋭達となったのです。主なる神は三万二千人を三百人に減少させました。そして、彼らを通して御自分が主であることを現されるのです。 主なる神は彼等を通して自分を現します。 奴隷の民をエジプトから導き出された神であること、苦しんでいる小さき者、弱き者を決して軽んじられない方であることを、現されるのです。その人々のために働く神であることを明らかにします。

そして兵士だけでなく、主なる神は彼等がミディアン人に立ち向かう時の武器も用意させます。それは槍や、盾、弓、刀、軍馬ではありません。兵士達が受け取ったのは、食糧を入れる壺と 角笛でした。それがミディアン人に対抗する武器でした。この戦いはイスラエルが、自分達を慈しみ守って下さる主なる神を体験する訓練です。聖書を先まで読み進むとミディアン人戦いにイスラエルの民が完全に勝った事が記されています。

 

 私たちが日々苦しめられている事、それは一人一人違います。けれど主なる神によって与えられる勇気をもって問題を見つめる時、その問題を解決する筋目が必ず見えてきます。それが、この戦いの記事が伝えることです。だから私たちは、聖書からいのちの言葉を受け止めます。(食糧を入れる壺) 主なる神への応答を賛美と祈りの中で(角笛)を行うのです。

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大根の酢漬けも美味しかった


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by hiraoka-joyful | 2017-09-17 13:12 | トピックス  

9月10日17年今日の糧

主なる神はここにいる

士師記6章11節〜18節

聖書の民イスラエルは主なる神の憐れみによって救い出されたことを忘れました。そして互いの間における憐れみをも忘れたのです。しかし、主なる神は忍耐強い教師です。主なる神は厳しい方法で彼等を教え直します。もう一度弱く、踏みにじられる立場に彼らを置かれたのです。

  遊牧民であるミディアン人や、同じく遊牧民であるアマレク人が大挙して襲来し、食べ物を奪い去り、イスラエルの土地を荒らしました。そのようにして、イスラエルは貧しく弱くなっていきました。こうして神は新しい世代に、神を信頼する訓練として試練を与え、学ばせます。それはこの言葉から始まります。「イスラエルの人々は主に助けを求めて叫んだ」(6:6)。

 主は彼らを救うために、その時一人名もない人を選ばれました。速やかに人知れず、神の業は行われました。その人こそギデオンです。

彼は、主なる神に不満を持つ者でした。彼は自分の小さいことを知り、劣等感がある人でした。勇者とはほど遠い若者です。しかし神は敢えてこの青年を選びました。それはなぜでしょう。

神がギデオンという人を選んだ理由はただ一つです。

それは、彼を通して、主なる神は共にいてくださる方だという真実を、聖書の民が学ぶためです。また主なる神は、彼が勇士として立ってゆく事を確信するために、ずっと待っていました。

 ギデオンは主の前に、ひとつの印を願います。そしてそのために捧げものを取りに戻ります。それを取りに帰る時、主なる神は「あなたが帰って来るまでここにいる(座っている)と約束されます。これこそ私たちが週ごとに行う礼拝の雛形と言えます。

主なる神に派遣された私たちが自分の生活の場に戻ってゆく。そこは時に強い者が弱い者を虐げ、神の愛や、神の平和を否定する世界です。そこで、私たちはいろいろな問題にぶつかります。時に主なる神の助けを見つけ出します。時に、助けを見出せずがっかりします。

 ギデオンのように神がいるなら印をくれと、願う私たちです。そのような私たちが、戻ってくるのを主なる神は待っているのです。感謝を携えここに戻って来る者。苦しみ重荷を背負ったままで、ここに戻って来る者。疑い迷いながらも、ここに戻ってくる者。全ての方に主なる神は伝えます。

「あなたが帰って来るまでここに座っている」

私たちを待っている方がいる。それは本当にありがたい事です。ハレルヤ


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賛美をする日高ルツ宣教師

               

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      秋の味覚でしょうか


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by hiraoka-joyful | 2017-09-10 13:53 | トピックス  

9月10日の礼拝お知らせ

910日礼拝

日高ルツさんによる 

特別賛美と証があります。

日高ルツさんは、ドイツの聖書学院やタイのバプテスト神学校で教え

この6月まで北京のドイツ大使館にある教会で教会音楽スタッフとして働いていました。

10月に行われる宗教改革500年記念集会に、ドイツ大使館教会から派遣されます。

現在は休暇を取り日本の教会で賛美と証の奉仕をしています。

その歌声は、聞く人の心を揺さぶります

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どうぞお出かけ下さい。

なお宣教は、日?龍子牧師が致します。


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by hiraoka-joyful | 2017-09-06 21:24 | 集会案内  

9月3日17年今日の糧

唐様で書く3代目

士師記2章6〜12節、18

聖書の民イスラエルがカナンに移住したとき、荒野をさ迷った40年の間に、主なる神を信じる信仰の基本的な礼拝様式、祭儀や慣習、教えは整えられていました。

しかしそれは完成してはいませんでした。彼等には、カナンの地で数世紀をかけてその地に定着しようと命がけで戦い過ごした日々がありました。それが士師の時代です。その時代イスラエルの民には分裂や堕落がありました。また外敵の宗教と融合させるカナンの人々からの圧力がありました。それでも、主なる神が共におられることを知る経験を積み、イスラエルの信仰が堅固になって来た奇跡のような日々でした。それは今から3300年程前の事です。

 ヨシュアの時代はカナンの地に住んでいた他の民族との争い、土地の争奪戦をしていた時代でした。そのように移住して行ったカナンの土地で、彼等はさすらいの半遊牧民族から土地に定住してゆく農耕民族へと変化してゆきます。

 その転換期に、自分達を導いてくださる神に信頼し、40年間真実な神を求め、神の言葉を頂き礼拝していたイスラエルの民に変化が起きます。民がカナンの地に定住し、収穫が与えられるようになりました。その中で純粋に無垢な気持ちで神を信じ歩んでいた荒野での気持ちが失われてしまいます。

士師記では、イスラエルの各部族が自力で周辺の先住者と戦い、苦労して定住地を獲得しなければならなかったと記しています。とりわけ周辺地域をあてがわれた弱小部族にとってそれは過酷でした。ですからイスラエルの民には収穫や土地こそが大事になりました。主なる神よりも土地の神、豊饒の神に心が引かれるようになったのです。

それゆえ、神は新しい世代に、神を信頼する訓練として試練を与え、学ばせます。このことは神の愛による教育的配慮であり、神の民としての成長に必要だったと聖書は伝えます。

民一人一人が、主なる神に出会ってゆく。それを手助けするのが、主なる神によって起こされた士師でした。それは12名の個性豊かな人々です。

中には眉をひそめたくなるような無法者もいます。けれども全ての士師に言える事は、主なる神がその人々を起こされ、彼等の生涯と共に働かれたことです。その目的はたった一つです。悪にながされ、真実な神をないがしろにする聖書の民に試練を与え、民が再び主なる神に目を向けるためです。

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皆で楽しく食べました。


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by hiraoka-joyful | 2017-09-03 13:52 | トピックス