11月19日17年今日の糧

1119日の礼拝では

大久保執事が宣教のご奉仕をされました。

また佐藤根恵姉が江別太キリスト村の証をして下さいました。

キリスト村については三浦綾子著「愛の鬼才」に詳しく記されています。

開墾のために入植された方々はすでに天の御国へ帰ってゆかれ、現在

その村があったことを知るかたも僅かです。けれど、イエス・キリストの愛によって仕えあう共同体を目指した、信仰の思いは、私たちの心を強く打ちます。

 そのような愛にある共同体があったことを、恵さんは風化させたくなく、記念碑を守っています。そして自宅敷地に祈りの家を置き、そこを訪ねて来られる方達、どなたでも祈る場所を開いておられます。

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賛美する恵さんと大久保さん

              

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  キリスト村の記念碑

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 ユカタンは西村製菓


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# by hiraoka-joyful | 2017-11-20 10:59 | トピックス  

ジョイフルチャペルと子ども達

私たちは地域のお子様やお母さん達の

憩いの場として、幼い子ども達が楽しく遊び、

お母さん方がホッとおしゃべりする時間

4金曜親子ジョイフルクラブを行っています。

また毎日曜日の子ども向け聖書の学びを

しています。

お子様がたの健やかで幸いな成長を願い

教会においでになったお子さんのために

毎週祈っています。

12月はクリスマス関連の礼拝です。

1210日 北星学園チャペルクワイヤー

      クリスマス特別賛美

1224日 クリスマス礼拝

      イブ礼拝

128日 高橋洋子氏(バラの文庫)

     による絵本朗読、絵本指導

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12日子ども祝福礼拝の様子
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# by hiraoka-joyful | 2017-11-15 05:46 | 集会案内  

11月12日17年今日の糧

君をおんぶする神

イザヤ4614

私たちを背負う神は、大きな安心を与える神です。

主なる神は、自分に頼る者が持つ苦悩をご自身の問題として背負う。そのように預言者は語っています。

神は背負い、救い出すと宣言しています。救い出すことは背負うことと同じです。

神はその人を、その人が背負っている重荷と一緒に自分が背負うのです。

 原文より。

あなた達は聞け(命 男複)わたしに 家よ ヤコブの そして全ての 残りの者よ 家の イスラエルの 負われている者達(受、分)

から 胎(男・単) 担われている者達(受、分)から 子宮(男・単)

そして〜まで 老年(女性・単) わたしは(ANI) それ(彼=男・単〜胎、子宮)そして〜まで 白髪 わたしが(ANI) わたしが背負う

わたしが(ANI) わたしが造った そしてわたしが(ANI)わたしが担う そしてわたしが(ANI)わたしが背負う そしてわたしが救う

「わたし」と繰り返される言葉は、主なる神のただならぬ決意を表しています。

今日の宣教を準備しているとき、私は以前経験した事によって、一つの示唆を受けました。

15年前、タイでの洪水の日、学校のクラブバスが立ち往生して数時間止まってしまいました。娘がそのバスに乗っていました。そのままでは食事も出来ず、トイレにも行けません。車は使えないので、歩いて迎えに行ったのです。

娘は小学校3年、ギリギリ背負うことは出来ました。だから少し迷ったが、決心してバスが止まっているところを目指しました。停電で通りは暗く、歩道も穴があって危ない。娘は自分のランドセルを背負い、私はその娘を背負い、渋滞している車の間を進みました。しかしそれも彼女がしっかり背中にしがみついていたから出来たこと。歩いたら15分の道だから出来たことでした。

それが長い距離ではどうでしょう。彼女はわたしの背中にしがみつくことが出来ずに、わたしも重さに耐えかねて、彼女は水の中に落ちてしまったでしょう。

ここで主なる神は、「わたしは胎・子宮だ」と宣言しています。

その神の姿は私たちの想像を超えています。つまり神が背負う時、

まるで主なる神の背に子宮のような安全な場所があって、

その中に私たちを避難させて、主なる神と一体となって運んで行くのだ。と言われているのです。

これが主なる神が私たちの人生に関わる、関わりかたです。

このかたに信頼しないのはもったいないです。子ども時代だけでなく、私たちの人生全ての場面において、主なる神は信頼する者を裏切らない方なのです。

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      心づくしの食事を頂きました。


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# by hiraoka-joyful | 2017-11-12 13:44 | トピックス  

11月5日17年今日の糧

神の言葉を聞く晩秋

イザヤ4018

捕囚の終わりを告げる言葉です。本来なら民が、求め続けてきた解放のはずでした。しかし民の心が動かない、それをひしひしと実感している一人の預言者が、主なる神に訴えます。

40:6 呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。

40:8 草は枯れ、花はしぼむ

神はもはやいないと絶望し、神の愛に執着しない者達を再び神の愛に目覚めさせるのは容易ではありません。「呼びかけよ」と神の言葉を聞いたのは、捕囚の地で、民が希望を失わない様に語り続けた預言者です。彼もまた主なる神が側におられる事など、実感がなかったかもしれません。けれど預言者として立てられている者の使命として、語り続けていました。そして彼は、年を老い自分の命が草のように弱く、脆いと気づきます。主なる神から託されたはずの、自分の内にある民への愛が野の花の様にはかないと気づきます。けれど8節の後半で預言者の言葉はこのように変わります。

しかしわたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。

この預言者の中にどのような変化があったか、8節の前半の言葉と後半の言葉の間にはなにも書かれていません。ただ一つ言える事は「草は枯れ、花はしぼむ。」の言葉が繰り返されたのは、主なる神の呼びかけと福音の言葉が、彼の耳に、彼の心に繰り返し届いたからです。ですから、主なる神に語るように強いられた預言者は言葉を語り続けました。その長い過程のなかで、長い問いかけと応答の中で民に語るうちに、彼の目に民の変化が見えてきました。忍耐強く働かれる神の姿が見えてきました。そして預言の通り、ペルシア帝国のキュロス王は占領民に一定の自治を許し、宗教や文化に寛容な政策をとります。これがユダヤ人の解放令と神殿再建の許可です。ここではキュロスの政治的手腕が歴史上には際立っています。けれども、その前に民の心に変化が起こらず、エルサレムに帰還して神殿を再開したいという願いで一致していないならば、王はいたずらに奴隷を解放しなかったでしょう。預言者が堅い民の心に、愛の心を持って神の言葉を語り続けるとき、民草に過ぎなかった人々がもう一度、主なる神の言葉に信頼して進む丈良夫(ますらお)に変えられて行くことを預言者は知ったのです。そうして神の言葉は成就することを経験したのです。

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草は枯れ花は萎む

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  タップリつゆだく牛(ご飯多め)


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# by hiraoka-joyful | 2017-11-05 16:51 | トピックス  

2017年子ども祝福礼拝のお知らせ 

11月12日の礼拝は、子ども祝福礼拝です。
お子さん達の健やかな成長を皆で感謝し、共に祈ります。
お出でをお待ちしています。

 なお明日5日の礼拝では、主の晩餐式があります。



 

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# by hiraoka-joyful | 2017-11-04 15:02 | 集会案内