9月10日の礼拝お知らせ

910日礼拝

日高ルツさんによる 

特別賛美と証があります。

日高ルツさんは、ドイツの聖書学院やタイのバプテスト神学校で教え

この6月まで北京のドイツ大使館にある教会で教会音楽スタッフとして働いていました。

10月に行われる宗教改革500年記念集会に、ドイツ大使館教会から派遣されます。

現在は休暇を取り日本の教会で賛美と証の奉仕をしています。

その歌声は、聞く人の心を揺さぶります

d0224356_21210610.jpg


どうぞお出かけ下さい。

なお宣教は、日?龍子牧師が致します。


[PR]

# by hiraoka-joyful | 2017-09-06 21:24 | 集会案内  

9月3日17年今日の糧

唐様で書く3代目

士師記2章6〜12節、18

聖書の民イスラエルがカナンに移住したとき、荒野をさ迷った40年の間に、主なる神を信じる信仰の基本的な礼拝様式、祭儀や慣習、教えは整えられていました。

しかしそれは完成してはいませんでした。彼等には、カナンの地で数世紀をかけてその地に定着しようと命がけで戦い過ごした日々がありました。それが士師の時代です。その時代イスラエルの民には分裂や堕落がありました。また外敵の宗教と融合させるカナンの人々からの圧力がありました。それでも、主なる神が共におられることを知る経験を積み、イスラエルの信仰が堅固になって来た奇跡のような日々でした。それは今から3300年程前の事です。

 ヨシュアの時代はカナンの地に住んでいた他の民族との争い、土地の争奪戦をしていた時代でした。そのように移住して行ったカナンの土地で、彼等はさすらいの半遊牧民族から土地に定住してゆく農耕民族へと変化してゆきます。

 その転換期に、自分達を導いてくださる神に信頼し、40年間真実な神を求め、神の言葉を頂き礼拝していたイスラエルの民に変化が起きます。民がカナンの地に定住し、収穫が与えられるようになりました。その中で純粋に無垢な気持ちで神を信じ歩んでいた荒野での気持ちが失われてしまいます。

士師記では、イスラエルの各部族が自力で周辺の先住者と戦い、苦労して定住地を獲得しなければならなかったと記しています。とりわけ周辺地域をあてがわれた弱小部族にとってそれは過酷でした。ですからイスラエルの民には収穫や土地こそが大事になりました。主なる神よりも土地の神、豊饒の神に心が引かれるようになったのです。

それゆえ、神は新しい世代に、神を信頼する訓練として試練を与え、学ばせます。このことは神の愛による教育的配慮であり、神の民としての成長に必要だったと聖書は伝えます。

民一人一人が、主なる神に出会ってゆく。それを手助けするのが、主なる神によって起こされた士師でした。それは12名の個性豊かな人々です。

中には眉をひそめたくなるような無法者もいます。けれども全ての士師に言える事は、主なる神がその人々を起こされ、彼等の生涯と共に働かれたことです。その目的はたった一つです。悪にながされ、真実な神をないがしろにする聖書の民に試練を与え、民が再び主なる神に目を向けるためです。

d0224356_13422678.jpg


d0224356_13431193.jpg
皆で楽しく食べました。


[PR]

# by hiraoka-joyful | 2017-09-03 13:52 | トピックス  

8月27日17年今日の糧

バベルの塔はどこに立つ

創世記1118

バベルとはバビロン帝国のことです。人々はそこに、塔のある町を築こうとした。この物語にはそのような歴史的背景があります。帝国は権力を集中して、武力を持って他国に侵略しその土地の人々を奴隷化しました。また自分達の言語を押しつけました。そのような大帝国の権威の象徴となるのが、天にまで届く高い塔です。

主なる神はここに、人間の弱さを見たのです。それは、権力の虜になって行く弱さです。愚かにもレンガやアスファルトのような、さほど強くない建築資材で全く耐久性のない塔と作ろうとする無謀な計画。その計画に他者を巻き込むために、言語を支配し、名まえを支配しながら、それが友だと主張する自分勝手。それが人間の弱さです。

その歴史の中で一番被害を被ってきたのは、大帝国の権力を守るために、利用し尽くされる名もなき民です。しかし、多くの人は崩壊の瞬間まで、そのことがわかりません。それを知るのは主なる神です。主なる神は人の弱さを見つめ、こちらの側に降りて下さる方です。

世界の諸民族が、それぞれの言語、氏族、民族に従って増え広がっていく、そこには、主なる神の祝福があります。しかし、その様な祝福が私たち人には解りません。神の裁きをいつも畏れているのです。強大にならなければ、滅びると考えます。多様性を認めず、画一的なろうとします。ここに人の危うさがあるのです。

この物語では、人は所詮わかり合えず、同じ目的を失ったらバラバラになり、孤独を味わう事を伝えているのでしょうか。いいえそうではありません。神は人に新しい祝福を用意したからです。真実な神が、人を滅ばさないと誓った。神は自分の誓いの故に、自分の独り子、神の子イエス・キリストを、この弱い私たちのために与えて下さった。これが祝福なのです。イエス・キリストが十字架で苦しみつつ死に、復活の命に生きて下さった。これが私たちへの祝福です。なぜならイエス・キリストを信じる人は新しい地で生きる者となります。イエス・キリストを信じる人は新しいつながりを持ちます。 そして新しい言葉を語り出すのです。

 フィリピ2章11節

2:11すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。

この言葉で、人と人は真の友として、家族としての関係を取り戻します。

d0224356_13212681.jpg
神の平和を思い、鳥の歌が演奏されました

d0224356_13154801.jpg
       冷たいラーメンが、元気をくれました


[PR]

# by hiraoka-joyful | 2017-08-27 13:25 | トピックス  

8月20日17年今日の糧

洪水の後に起きたこと

創世記918節〜28


ノアには、その労苦、苦しみからもたらせられる混乱、不安、煮詰まり感を、落ち着かせ楽にし、人に慰めをもたらす者となるという期待がかけられていました。そして洪水後、ノアは土の人となり、ぶどう畑を作りました。ぶどう酒を得たことは、神様の大きな祝福でした。人間は顔に汗して働き、食物を得なければなりません。しかしその中にも楽しみを見出し、労働の実りを味わう事が出来るようになったのです。

 さて洪水後ノアはすぐに祭壇を築き、自分達家族を救った神を礼拝しました。しかし豊かになったノアは、ブドウ酒を息子達には分け与えず自分だけで楽しんで酔い潰れていました。その時間息子達は、下着で働いていたのです。それは、今まで一家の長としてノアが見せてきたものとは違ったノアの姿でした。それを見たハムは兄弟達に告げ口します

ハムの態度に自分に対する不遜を感じ取ったノアは、激怒しました。聖書は彼のことを小さい息子と言っています。成熟していないのです。だから父が自分の家族の事をどれほど苦労して守ってくれたかを忘れ、父の醜態をあげつらいました。そしてそれを知ったノアの態度も、父のそれではありません。彼はこの息子に奴隷の奴隷になれと呪いをかけます。聖書は洪水の前後、沈黙を守り神の言葉に答えたノアの態度を記しています。しかしここでノアは雄弁です。しかも自分の息子に対して呪うことに、差別することに雄弁なのです。この場面に神の言葉はありません。

そしてノアの家族がこの事件の後、対立する民族同士なったなら、その晩年に安息はなかったかもしれません。
 この話はイスラエルの敵は神様に呪われた者達だと言うことをあらわしていると読みがちです。でもそうでしょうか。主なる神はここで諸民族を呪っていません。民族間の争いや対立、呪いは、人間から生じたものです。親子でも、兄弟でも、夫婦でも、近しい隣人でも、同僚でも、本来親しく生きるはずの者達に、無礼を働き、尊厳を傷つけ憎しみ合う。ここに人間の罪の本質があります。 

その様な罪を持つ人間のために、真実な神が行ったこと。それは人を呪う代わりに、罪のない独り子、イエス・キリストを十字架につけることでした。このイエスの十字架の前に、これほどの神の愛の前に、私たちの間にある憎しみや、人を呪う言葉が消えてゆくのです
d0224356_13241438.jpg
ノアの息子達(セム・ハム・ヤフェト)が世界中の民族へ広がる
d0224356_13240094.jpg
          お昼はタイのグリーンカレーでした。
                 

[PR]

# by hiraoka-joyful | 2017-08-20 13:30 | トピックス  

Z兄弟のバプテスマ式

8月13日 A・Z兄弟がバプテスマ式の恵にあずかりました。
今86歳です。今日は娘さんもお祝いに来て下さいました。

先週信仰告白をなさいました。その告白と今日の写真を掲載します。



信仰告白

わたしは60年ほど前、函館の教会に行く機会がありました。そのときお墓に入るならキリスト教の墓に入りたいと思いました。

それから、仕事も忙しくそのまま年月が過ぎました。しかし2年前に妻が亡くなりました。妻は、生前聖書を読んでいました。妻の納骨のことを考え始めたとき、若い時に考えた事を思い出しました。そして勇気を出して、4月にこの教会にやって来ました。それから毎週礼拝に来ています。

ここにひかれたのは、イエス・キリストがわたしを愛し、連れてきてくれたと信じています。

わたしはイエス様と一緒に、皆さんと仲良くこれからも礼拝に来たいと願っています。いろいろ勉強して、神様とイエス様のことを、わたしがこれから少しずつ知ってゆけますように祈ってください。

AZ 2017年8月6日

d0224356_15153440.jpg
                    
d0224356_15160107.jpg

                 


[PR]

# by hiraoka-joyful | 2017-08-13 15:18 | トピックス