空より高い神の愛


1.(そら)より高い(たかい)(かみ)(あい)

真実(まこと)の神がお父さん

イエス様信じる子ども達

聖霊(せいれい)(かぜ)吹かれてる()



2.海より深い神の愛

真実(まこと)の神がお父さん

イエス様信じる子ども達

慰め(なぐさめ)(ぬし)(とも)にいる

           

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# by hiraoka-joyful | 2017-07-09 18:53 | うた | Comments(0)  

7月9日17年今日の糧

神とゆったりしよう

創世記2章1節―3節、4a

神は第7の日に天地創造を完成された。そこに、深い意味が込められています。

 第7の日において、神の創造の作業が完成すること。それは神がそこから離れる、もしくは止めることによって完成されています。神はもはやこれ以上何も付け加えることがないと満足し、創造の業を止められました。けれどそれで神の創造は終わりではありません。本当の完成はその後に来るからです。それはワインの熟成に似ています。ワインは作り手が全ての作業を終え、ワインを樽の中で寝かせることで完成します。

  また神様の安息は、私たちが無意識に行う息継ぎ、息の整えに似ています。例えば被造物全体が一つの有機体、命ある体であると見なすと、息を整えることがとても大切なのが解ります。体が必要としている空気を十分に胚に送り、新鮮な血液が体中に酸素を運ぶ。それだけでなく体が自らを動かす為にだした二酸化炭素を体の外に出す。それを私たちの体は繰り返して行っているのです。ですから息が乱れると体全体が苦しむのです。

  そう考えてみると、神の安息はあってもなくても良いおまけではないと解ります。神は安息する事によって、第七の日を祝福し、聖別されました。そして第7の日があるからこそ、第1番目の日から第6番目の日までが、聖別し、祝福されたのです。

 では7番目の日、神の安息の日においての祝福とはなんでしょう。それはうみ疲れ、絶望し、もう一歩も歩けないもの達への祝福です。産めない、増やせない、満ち足りないもの達は神の祝福から遠いのでしょうか。そうではありません。神は自ら先んじて休み場で憩われました。その場に私たちも行って、息を整えることが出来るのです。なぜなら疲れ果てたあなたの傍らで、全てを投げ出したい私の傍らで、私たちの呼吸に神がそっと合わせてくださるからです。これこそ聖書が伝える第7の日の祝福です。また聖書は神がその日を聖別されているとも伝えています。聖別は安息という事柄においてなされています。神が最後まで徹底的に責任を持ち、愛し、守り、支え続けるからこそ、生きとし生けるものに安息があるのです。

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一週間は日曜日から、日曜日に教会へ

               

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          今日も暑かった。冷たいラーメンGOOD


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# by hiraoka-joyful | 2017-07-09 18:45 | トピックス  

7月2日17年今日の糧

天と地の間にあるもの

創世記1章26節―31節

 

唯一の神が自分を我々と表現するのは、天地を創られた神に、語りかけ応答する性質があるからです。それは将棋になぞらえることが出来かもしれません。盤上に全く動きがない時でも、棋士は、何時も頭の中で盤上の駒を動かしています。彼等は何十手も先に何が起きるかを、自分が先手となり、同時に後手となって頭の中で画像を浮かべているのです。それと同様に、神がこの世界を創造された時も、神は語りかけ、応答しながら創造の業を進めたのです。始めの一言、「光あれ」と言われた時には、神の中ではこの宇宙、空、海 大地は出来上がっていました。しかし人間の創造は、神の創造の業の中では全く局面が変わった出来事でした。

 人間の創造は、神の中の計り知れない語りかけと応答によって生み出されたのです。そこから導き出された神の決心は、我々にかたどり、我々に似せて人を造る。ということでした。 ですから神に似せられた人間は、語りかけ応答することができる者として造られました。人間だけが、神との間に「あなたと私」という関係を持つのです。

人を神の似姿に造る。それは、状況次第で悪手となる一手でした。その一手が打たれたことで、神が創造された全てのものが、再び虚しくなる危険性があったのです。実際、これほどの愛を受けて創造された人間ですが、素晴らしい善いものとして生きられない弱さを持っているからです。人間は互いに傷つけ合い、時に殺し合う面を持っています。人間は人を愛することよりも憎む面を持っています。けれど私たちがそのことに絶望するために、この聖書が記されたのではありません。

私たち人間は神の呼びかけを無視する罪の性質を取り入れてしまった。だから、本来神の似姿として与えられた対話や応答する性質も失われてしまいます。それは大変孤独なことです。けれども、その私たちに、「あなたは神の形、似姿だ。神はあなたの近くにいる。」という慰めと喜びを聖書が語っているのです。

あなたの耳にこの神の決心の声が聞こえていますか?

そして創世記のこの言葉を、ことばだけでなく具現したのが、私たちが信じるイエス・キリストです。イエス・キリストは天地を創られた神が打たれた究極の一手です。この地上に静かに置かれた神の愛そのものの方が、創世記のこの言葉をこの地上に実現させてゆくのです。


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    教会にある絵本です。
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  今日の冷やしラーメンは絶品でした


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# by hiraoka-joyful | 2017-07-02 13:49 | トピックス  

ジョイフルガーデンの花

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ブドウはまだですね
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                  雨でちょっと倒れてしまいました。      
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                   サクランボも色付きはじめました。

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# by hiraoka-joyful | 2017-06-30 12:12 | トピックス  

6月25日17年今日の糧

祝福のお土産

ローマ152229

パウロの喜びは、イエス・キリストのことを知らなかった人が、パウロの宣教を通してイエス・キリスト出会うことです。彼等がイエス・キリストに出会い、その地域の教会が福音宣教の中核にまで育ったのを見届け、パウロは、新しい福音宣教の場所を求めていました。

パウロが以前伝道してきたところに留まれば、新しい苦労は背負い込まなくてもよいのです。しかし、パウロにとってイエス・キリストの福音をまだ聞いていない人々がいる場所があるのは苦しみでした。だからパウロは勇気を持って新しい場所を目指そうとしました。そしてパウロはスペインへ福音を運んでいくために、ローマ教会が道の駅になることを願っていました。ローマに行って、そこで一息ついてから、ローマの信徒達の祈りに見送られて旅を続けようとしたのです。

しかしパウロはすぐにはローマに行けないことを、この手紙で伝えます。パウロはまずエルサレムへゆく事を最優先にしました。彼を導いてきたのは、イエスが約束した聖霊です。パウロはその愛に促されて働き続けました。聖霊はパウロに2つの使命を与えていました。

1) 異邦人に福音をくまなく伝えること。

2) エルサレムにいる聖徒に奉仕すること。(援助金を持ってゆく)

教会はエルサレムから始まりました。そのとき、人々は自分たちの財産を売って、共同生活をしました。その資金で沢山の貧しい人々を助け、また多くの伝道者を助けたのです。それは財政的に彼らを窮乏状態に陥れてしまったのです。

マケドニアとアカヤのキリスト者達はエルサレム教会を援助する大切さをよく理解していました。援助それはコイノニアです。聖書の他の個所では「交わり」と翻訳されている言葉です。聖書が語っている交わりとは、「腹を割って、言いたいことが言える仲」というような交わりではありません具体的に分け与えることによって共有する交わりなのです。それをパウロはキリストの祝福が充満するという言葉で表しています。パウロはキリストの祝福という土産をもってローマに行きたいと願ったのです。


                       

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       パウロはエルサレムで捕まり、ローマに護送された

                     

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     奉仕日に焼きそばを作って食べました。熊本のスイカ


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# by hiraoka-joyful | 2017-06-25 13:44 | トピックス