人気ブログランキング |

5月26日19年今日の糧

「マルコ福音書のイエス (1)

マルコ福音書 114節    三上 章師

「初め」

 もとはアルケーという言葉.「はじまり はじまり」の意.映画開始のブザーのようなもの。ブーと鳴ると、これから映画がはじまる!と,胸がときめいたものだ。アルケーというのは、これからすばらしいことがはじまりますよ、という合図。そのすばらしいことが語られ始まる。

 「福音」

 ト・エウアンゲリオンという言葉

イエスの伝記としてのマルコ福音書全体をさす.この福音書をつくった人は,これをト・エウアンゲリオンと呼んだ.トはエウアンゲリオンという中性名詞に冠せられた定冠詞.日本語では,福音.エウアンゲリオンは,本来,重要な知らせを運んできた伝令に対する報酬.福音はその根底に,何かいいもの,何かためになるものという意味がある.

 「イエス・キリスト」

 イエス・キリストという個人名です。ただし,キリストの元の言葉,クリストスは,「親切な人」を含意するクレーストスという名詞と発音が似ている.クレーストスは,広く世間に使われていた人名であり、たとえば、当時ソクラテス・クレーストスという名前の人がいた。

当時の人々が,イエス・キリストという名前を聞いたとき,イエスース・クレーストスという風に聞き取った可能性が高い.何か親切そうな名前の人だな,という印象は,受けたであろう.

 「神の子」

 長い間聖書は手書きで写されてきた(写本)。そして紀元4世紀の有力な写本には、現代の聖書に記されている「神の子」はない。

単に「イエス・キリストの福音」では物足りない後世の写本家たちが、「神の子イエス・キリストの福音」と書き換えた可能性が高い。

  

イエスを指し示した「洗礼者ヨハネ」

 通称「釜ヶ崎」で就労支援の活動をしている本田哲郎さん(ローマ・カトリック神父)が訳した,『小さくされた人々のための福音─四福音書および使徒言行録─』(新世社,2001年)によると,「洗礼者ヨハネ」は「沈めの式のヨハネ」となっている。バプティスマは,低いところからより低いところへと流れる水の水面下に全身を沈めて,「低いところから見直させる」民間儀式である。

 「悔改め=メタノイア」

 本田さんは、これを「低みから見直す」と訳す。メタノイアは、視点の転換を意味する。

新しい視点から自分を振り返り、社会を見直す。

そして自分と人,自分と社会の関わり方を見つめ直す。

ここに大きな自己変革への可能性が開かれる。

d0224356_15310304.jpg
  バプテスマを受けた青年イエス

               

d0224356_15311365.jpg
  ジョイフル名物鮭ご飯


# by hiraoka-joyful | 2019-05-26 15:33 | トピックス  

5月19日19年今日の糧

宣教題 「信仰」の原点

聖書箇所 ガラテヤ信徒への手紙第4411節  大久保法幸執事

はじめに

この手紙、基調は嘆きと怒りに貫かれているが、同時に父の子に対するような愛情に裏打ちされている。それは「ユダヤ主義者」が信仰をまどわし、「異邦人がキリスト者になるためにはまずユダヤ人になり、ユダヤ教の律法を守らなければならない」と教えていた。パウロはその状況を正す使命に燃えていたのです。

1.「神を知る」ということを勘違いしない

ガラテヤ人たちは異教の教えと儀式の奴隷になっていました。パウロが目を離したスキに「ニセ教師」が入り込み「逆戻り」して古い慣習を守ることが神を知る事と教えていた。

これは、現在日本人である私たちもよく耳傾けなければならない事柄です。

ひとつは、「占いブーム」とか、スピリチュアル系とか神ならぬ「神」にすがる、または「たよるべきものが分からない、知らない」状況。

もうひとつは、「真面目な信徒」が陥りやすい、自由であるべき信仰の世界で形式や慣習、独自の仲間ルールなどが優先してしまう状況。

2.むしろ「神に知られている」

この「知る」という言葉は、単に「知識を持っている」というだけではなく、「体験的に知っている」という意味で使われています。私たちは、キリストを信じた時、聖霊が与えられました。それは、父、子、聖霊の三位一体の神様がいつも私たちの内にいてくださるということです。けれども、私たちが神様を知る以上に神様の方で私たちを知っていてくださるというのです。
 

3.モーセ以前にアブラハム

アブラハム契約は根源的約束で次の三つ内容①国土獲得、②子孫繁栄、③万民祝福です。

それから四百三十年後に、アブラハムの子孫であるイスラエル民族にモーセを通して神様の律法が与えられました。その律法というのは、人が誰一人として律法を完全に守ることのできない罪人であることを気づかせ、自分が無力で、罪の中に捕らわれていること、神様に救っていただく必要があること、そのために救い主が必要であることが分かるようになるものです。

4.結び

 私たちのすべてを知って愛してくださる父なる神がいます。幼稚な教えから贖い出してくださるイエス様がいます。私たちは自由に「アバ父よ」と叫ぶことのできる神の子とされています。その保証として、聖霊が信じる一人一人に与えられているのです。
 ですから、無価値な幼稚な教えに逆戻りせず、栄光の天を目指して前に向かって進む者とされていきましょう。

d0224356_14321184.jpg
アブラハムの信仰を私たちは受け継いでいる

d0224356_14322353.jpg
これが200円で食べられるところは、、ナイでしょう


# by hiraoka-joyful | 2019-05-19 14:36 | トピックス  

5月12日19年今日の糧


神の子(相続人)になる方法

ガラテア3章26~29節


パウロが「神の子」だと呼びかけている教会の人たちは神童や天才のようなものすごく優れた人なのでしょうか。

そうではありません。

 この言葉を書いたパウロは、ガラテア教会の人たちが全く聡明ではなく、真理をねじ曲げて都合よく解釈し、どれほど素晴らしい福音の恵みに預かっても無駄になるほど愚か者だと言っているのです。

  しかし、どれほど愚かで、物わかりが悪いキリスト者でもたった一つの真実によって、皆神の子にされている。そのことをパウロは伝えています。キリスト者が、イエス=キリスとの父である、天の父の相続人になるために、たった一つの真実を受け入れる。

まことの神の子イエス=キリストが、煮ても焼いても食えない愚か者のために十字架の苦しみを受けたこと。

滅びの中に落ちるむなしい者を救い出すために復活の命に生きたこと。

それを感謝して信じる事

それだけでキリスト者は相続人として神の子となるのです。

 では、それはいつからでしょう。

 イエス=キリストを信じる者は、明確な行いを持って自分の信仰を表すその時があります。

 それが、バプテスマです。

 それはキリストの方向性へ私たちを動かす出来事です。

この言葉は今まで担保として相手方の支配下にあったものが、借金が帳消しにされたことで、傷のない資産になるという意味を持っています。

イエス=キリストにあるバプテスマは、自分の生き方を帳消しにして、ただ0から出発する出来事ではありません。今までの自分の生き方がそっくりそのままキリストにあるプラスに変わる出来事なのです。

パウロはその出来事を

バプテスマされた(受)と言っています。

バプテスマは受けることです。

イエス=キリストを受けることです。

そうしてイエス=キリストが広げた大きなテントのような衣の下に、


私たちは覆われたのです

そして私たちが着させられたイエス=キリストの覆いは、個々が着るものではありません。

キリストが覆われる中では、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もない。その覆いの中にいる者はキリスト・イエスにあって、一つのテントの下で守られる家族です。

それは、アブラハムが神からいただいた祝福の約束を、バプテスマされた私たちが受け継ぐことです。

アブラハムから連綿と続く「神の家族になる祝福」。
この祝福を私たちは受け継いだのです。
d0224356_06310863.jpg
5月6日に献堂式があった苫小牧バプテスト教会  

d0224356_06312666.jpg
  沢山の思いやりがこもった食事です。


# by hiraoka-joyful | 2019-05-13 06:39 | トピックス  

5月5日19年今日の糧


雅歌86-7

「パネェ愛。マジ神」 日髙嘉彦協力牧師

雅歌は一組の若い男女による対話ないしは独り言で構成されます。男性の方は「若者」、女性の方は「おとめ」と呼ばれますが、これ以外に「おとめたち」あるいは「合唱」と呼ばれる女性の友達がたまに顔を出し、二人の噂をしたり、はやし立てたりします。実際の所ヘブライ語の聖書には「若者」とか「おとめ」とか書いてあるわけではなく、後の聖書学者が推測して入れた言葉です。他方、祭司も預言者も天使も神も一切登場しないユニークな書物です。雅歌はこの二人の恋愛歌で、ストレートな性的な表現も出てきます。主人公はおとめで、彼女は恋人への自分の愛は死にも負けないし、陰府にも勝るといいます。愛の同義語である「熱情」と言う言葉ですが、「ねたみ」という意味も持っています。愛という言葉では収まりきれない熱情、つまり時には愛するがゆえに苦痛を伴うような激烈な意志がこの語に込められています。このようにおとめの愛は、人間の領域を超えて、神の領域にまで近づいていきます。

6節最後の行と7節の前半(ab節)で乙女は自分の愛を「火」に例えます。この火も、普通の火ではありません。

    c. 火花を散らして燃える炎

  . 大水も愛を消すことができない。

    洪水もそれを押し流すことはできない。

6aは原文では「その(愛の)炎は火の炎、」と「すさまじい炎」の二つの句から出来ています。そして後半の「すさまじい」という言葉ですが、ヘブライ語では「ヤー」でして、これは神の名「ヤハウェ」の事です。つまりおとめは自分の恋人に対する愛は「マジやばい炎」、「神!」なのです。雅歌には神が登場しないのですが、強いてあげれば、この女性のこの「神」が唯一の例外です。

雅歌を読むと、このおとめの愛は、当時の社会常識や通念、価値観を根本からひっくり返す革命的で破天荒なものだったかが分かります。雅歌は、愛すらも損得ではかろうとする世知辛いこの世の中にあっても、「パネェ愛。マジ神」があることを、今も私たちに伝えています。

d0224356_19275097.jpg
d0224356_19280978.jpg
シャガール雅歌
d0224356_19451541.jpg



# by hiraoka-joyful | 2019-05-05 19:49 | トピックス  

4月28日19年今日の糧

ガラテア1章1節ー10節

伝統と文化~視点の違い

横矢宗紀執事

この手紙を書いたパウロは、ダマスコへの途上で復活したイエス様と出会い、異邦人に福音を伝える使徒として任命されました。そのパウロの使徒としての権威は、使徒たちの中でもリーダー的な役割を果たしていたペテロ、ヨハネ、ヤコブによっても認定されました。 ところが、ガラテヤの諸教会の中に、パウロを使徒として認めようとしない人たちが出てきました。つまり、「パウロの語る福音はまがいものだ」「それは神様から託された福音ではない」という批判の声が起きました。
 そこで、パウロは、この手紙の最初に、「私は、イエス・キリストと父なる神によって、まことの福音を語る使徒の権威を与えられたのだ」と強調しています。ガラテヤというのは、今のトルコの中央部に当たる地域です(下記地図)。そこには、パウロが福音を伝えることによって生み出されていった教会がいくつかあったので、   パウロが書く手紙は、各教会に順番に回し読みされていったのでしょう。

d0224356_13260558.jpg

それは、パウロが去った後、このガラテヤの諸教会に、パウロが語ってきたのとは違うことを教える人たちが入り込んできたためです。そして、教会の人々がその教えになびく状況が生じました。
 6節でパウロは、「キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています」と語っています。
 パウロは、「ほかの福音」と言っています。 当時の教会のメンバーには、異邦人だけでなく、移住してきたユダヤ人もたくさんいました。ユダヤ人たちは、紀元前数世紀から世界各地に移住を始め、それぞれの地域にユダヤ教の会堂を造っていきました。 パウロたちは、異邦人に福音を伝えるために各地を回りましたが、それぞれの場所にあるユダヤ教の会堂に行ってユダヤ人にもイエス様を伝えていきました。その結果、多くのユダヤ人がイエス・キリストを信じ、教会のメンバーになっていきました。しかし、ユダヤ人たちは、自分たちが神から選ばれた選民であるという意識を持っていました。そして、ユダヤの伝統をしっかりと守って生活していたのです。

 「ほかの福音」とは、この伝統をキリスト者は重んじるべきだと主張する考えでした。パウロは、それは間違だ。

イエス=キリストがなしてくださった事が福音のすべてであり、それにどのような考えも付け加えてはならないと、訴えたのです。

            

d0224356_13255369.jpg
パンやバームクーヘンも美味しそうです。


# by hiraoka-joyful | 2019-04-28 13:31 | トピックス