I兄弟とのお別れ

イエスの遺言

マルコ1042節から45

  16日早朝、私達平岡ジョイフルチャペルが白石教会であった50年前からのメンバーが天の御国へ旅立たれました。I兄弟は愛娘が10歳の時に我が娘への遺言という一文を記されました。

 このI兄弟の娘さんへの愛に溢れた遺言を読んだとき、私は同時にマルコによる福音書に記されたイエス・キリストの遺言を思い出しました。そしてイエス・キリストがI兄弟に与えた人としての道標を、愛する娘に残されていたと知りました。

 それは兄弟が、このイエス・キリストの言葉の中に最上級の愛が詰まっていることを知っていたからです。この言葉はイエス・キリストが自らの死が近づいていることを予告した後に、イエスが愛した人々に語りました。イエスは彼らが、イエス・キリストを通して神の愛を受け止める事を望み見ていたのです。イエスはこの事をイエス・キリストを信じる者へ伝えました。私達一人一人が担う自分の生活の場がここにあらわされているのです。

10:43 しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、

10:44 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。

それは、自分が敬遠してしまっている身近な人を、イエスが示された愛によって愛することかもしれません。また自分の隣人や家族に仕えてゆくことかもしれません。形はどうであれイエスに従うこと時、私達は自分勝手に生きる姿勢が崩され、時には命をすり減らす出来事に耐えてゆくからです。

そのことはまず、イエス・キリスト自身が身をもって行ってくださった事です。私たちはイエスの後ろを、自分が愛する者のために仕えて生きて始めて、神の愛がどれほど大きいか知るのです。 でも時には、どれほど人に仕えても報われないことがあります。それでも私たちが気落ちしないように、疲れ果てしまわないように、イエスが私たちを励まし続けてくださることを経験します。

 ですからこのキリストの言葉に促されるようにしたためたI兄弟の遺言の中には、このキリストの愛に出会ったI兄弟ご自身が、この遺言で伝えた事をまず率先して行ってゆく覚悟が秘められていました。その姿を通して、娘さんに仕えて生きる事の喜びや、愛に出会ってほしい願いが溢れています。

 病床生活において、様々な痛みを、忍耐をもって受け、イエス・キリストと共に歩んでこられた兄弟は、イエス・キリストの愛を完全に受け止め、平安の中に生きておられました。私達はこの兄弟に出会えた日々を心より感謝します。(牧師)

         

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  ひまわりが好きな方でした。


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# by hiraoka-joyful | 2018-02-18 16:08 | トピックス  

2月18日18年今日の糧

詩編23

羊飼いの神~タイの教会を訪れて

今日の宣教は日髙嘉彦協力牧師でした。

130日から213日まで

タイ聖書神学校や、タイの教会を訪ねてゆかれた

証と同時に、詩編23編から宣教して下さいました。

 

 パレスティナ世界では、貧しく社会の底辺を生きていた羊飼い

しかし、羊を慈しむことにかけては右に出る者はない。そのような

羊飼いとして、神が私達と共に生きて下さる。その様な告白の中で

記された詩です。

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学生さんと

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大きなハス

               

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古い家
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川辺での食事学生と
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教会のランチはこちら


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# by hiraoka-joyful | 2018-02-18 15:59 | トピックス  

2月11日18年今日の糧

耳が開いて聞こえた福音

マルコ7章31-37

デカポリス地方を通り抜けてガリラヤ湖へ来られたイエスのもとに、人々は「耳が聞こえず舌の回らない人」を連れて来ました。彼は歩くことが出来ましたが、イエスについての証や、イエスが伝えている言葉を聞くことが出来なかったのです。この人の代わりにイエスの言葉を聞いた人がまず神の国の信仰を持って、この人を連れてきました。この人は耳が聞こえないだけでなく、「舌の回らない」人でした。この言葉は、もともとは「言葉に困難がある」という意味です。

この人の苦しみは、耳が聞こえず、そのために口が利けないことでした。彼はイエスのことばを聞くことができません。ですから、イエスはご自分の指を彼の両耳に差し入れました。次に唾をつけてその舌に触れられました。それは単に手を置く事ではありません。もっと時間をかけ、労力を掛け、彼の根幹に触っているのです。そのようにしてイエスは彼の回復を望んだのです。

1)イエスは天を仰いで祈り、そのようなうめきの声を、耳が聞こえず舌の回らないこの人と共に、この人に代って、父なる神様に向かってあげる方です。

2)またイエスは、苦しみの中にある者のうめきをご自分の身に引き受け、自分の祈りにおいて父なる神様に執り成す方です。

3)そしてイエスは共に呻くだけでなく、父なる神の愛を注ぐ方なのです。

イエスは深い息をしてこの父なる神の愛を受け止め、彼にそれを注がれ「エッファタ」と伝えました。すると彼は自分自身を開いて、父なる神の愛を受け入れたのです。

イエスの癒しの業で耳が開いたことによって、これから彼は様々な音や、人の言葉を聞いていくでしょう。しかし彼に向けられる言葉が彼にとって嬉しい言葉だけとは限りません。ですからただ彼の耳が癒されただけなら、そのことは彼への恵にはなりません。イエスが彼の耳を開くと同時に、父なる神の愛を注がれたから、彼の耳が開いたことが彼にとって幸いになったのです。

そして彼の舌も、ただしゃべることが出来たと言うより、父なる神の愛が注がれて正確に語る者になりました。そして後に教会の中で、イエス・キリストがして下さった憐れみの業を証言し、大いに語る人になったのです。ですからこの出来事が福音書に記されているのです。

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          開け

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お菓子はバレンタインのために


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# by hiraoka-joyful | 2018-02-11 14:29 | トピックス  

2月4日18年今日の糧

豚よ。ありがとう。

マルコ5章1節~20節

4章35節で、イエスは「向こう岸に渡ろう」と弟子達を促しました。そして弟子達は湖の上で驚くべき経験をします。それは、神の国の良き音信の種を弟子達に植え込むための経験でした。それからイエスは向こう岸で一人の神を知らない人間の救いが、神の国では最優先順位だということを弟子達に見せたのです。イエスが岸に着くと汚れた霊にどっぷり浸かった人間が墓場から出てきました。この時先に彼に出会ったのはイエスでした。

この人は

1)様々な墓場を住まいとしていた。

2)いくつもの鎖や、枷で縛られても、彼はそれを引きちぎった。

3)「昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた」。

彼は、本来の彼の上に汚れた霊を重ねていました。もはや村の人も町の人も、彼の家族にも本来の彼の姿は見えません。ただイエスだけが彼を見つけ出したのです。

そしてこの霊は、彼とイエスとの係わりを失わせ、彼を救いから、希望から遠ざけることを望んでいました。同時に霊達は、イエスの力を見抜き、草を食んでいた二千匹の豚の中に遣わすように願った。その結果、豚は霊達と共に湖に落ちて死んだ。

 これはイエスが起こしたことではない。イエスは霊達が豚の中に入るのを阻止しなかっただけ。霊達は彼等のやり方で落とし前をつけた。イエスにとってそのやり方は大きな問題ではなかった。ただ一人の人がレギオンという霊達から解放され、自分を取り戻すことが最も大切だった。

 一人の人が、イエスに救われイエスを礼拝する。それを見た者達はそのことに関心を持たなかった。自分達の村や町に面倒なことがおきないように、村人はイエスに出て行くように願った。

でもたったひとり、イエスを慕った人がいた。それが汚れた霊に憑かれていた人でした。彼はイエスと一緒に行きたいと願いました。

 そんな人にイエスは彼に彼しか出来ない大事な使命を与えました。自分に起こったことは、真実な神の憐れみでした。自分を見たら、真実な神の憐れみがどれほど強いか解る。これを家族や、村や町に伝えてゆく事。これがこの人の使命でした。彼はその通り行った。こうしてこの人は最初の宣教師になった。それはローマ人が建てた十の町に神の憐れみを伝える事でした。

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豚は全部で約200トンでした。
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              ケーキも美味しかったです


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# by hiraoka-joyful | 2018-02-04 13:27 | トピックス  

1月28日18年今日の糧

嵐の中で信頼する

マルコ4章35-41節

大人達への問題

Q1イエスはなぜ舟に乗っていたのか

Q2舟の中で何をしていたのか 魚を捕っていたわけではない。

Q3イエスは何時間舟に乗ったままだっただろうか。

A1群衆に押しつぶされないため

A2神の国を伝える

A3 朝から夕方までほぼ乗りっぱなしだった。


この日イエスは朝から揺れる小舟にのって、岸にいる群衆に神の国のことを語りました。弟子達はその神の国の譬を間近で聞き、特別な講義をイエスから受けていました。福音書によると彼等が願う神の国と、イエスが語っている神の国は大きな違いがありました。ですからイエスが伝える神の国を実際に体験するため、イエスは敢えて弟子らと夕方の湖に出て行ったのです。その日1日かけてイエスが伝えた神の国のことについて、弟子達の耳に残った5つの譬話しがある。この5つの譬によってイエスがどうしても伝えたかった事は、二つの事でした。

 1)人間の側では神の国について聞く姿勢が一番大切

 2)神の側では、神の国を始め、育て、広げるのは、真実な神の働きによる。

イエスの弟子シモン、アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネの4人は、ガリラヤ湖で漁をしていた人々です。舟を漕ぐことも、ガリラヤ湖の気候も、誰よりも良く知っていました。特に夕方の突風のことは、幼い頃から知っていたこと。ですから忌々しい気持ちになったでしょう。  

イエスは、船の舵を取る場所を枕にして眠っていました。だから舟の扱いに長けた者がその場所を代わらなければならないと弟子らは慌てます。そして彼等はイエスを起こし、このままだとイエスも自分達も溺れる、滅びるぞと脅します。彼等は、何かの奇跡を期待してイエスを起こしたと言うより、自分達がよく知っているガリラヤ湖の嵐、突風にどのように自分達の力で立ち向かうかを考えていたでしょう。しかしイエスは起こされながら叱りつけます。

すると風と湖は大きな凪になった(ピタッと止まった)

次に、怖がっているその態度は、信仰を持っていないからだとイエスは弟子達を叱った。

イエスはこの奇跡を通して弟子達に、神の国の良き音信について実地訓練をさせ、弟子達に神の国の種を植え込みました。そして弟子達は、イエスによって彼等が植え込まれた神の国を、福音書を通してキリスト者の群れ教会へ伝えて行ったのです。

1)神の国では、イエスが共にいる舟(教会)は沈まない、滅びない。

2)神の国では、イエスは信仰者が乗る舟(教会)の舵取りをする場所にいる。

3)神の国では、イエスが自分達の経験や頑張りでは乗り越えられない嵐を静めてくれる。

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高橋洋子姉妹(バラのおうち文庫,札幌YWCA)による絵本朗読

               

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   大好きな鮭ご飯



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# by hiraoka-joyful | 2018-01-28 13:16 | トピックス