12月9日18年今日の糧

喜びと希望に向かって

~プリスキラとアキラ~

使徒言行録1824節から28

今日アドべント第二主日の礼拝宣教は、三ツ木芳夫師でした。

三ツ木さんとお連れ合いの朋代さんは昨年大きな決心をして

カナダのバンクバーにあるリッチモンドバプテスト教会のお手伝いのためにカナダでの生活を始められました。

リッチモンドバプテスト教会は英語や中国語の集会がありますが、カナダ在住の日本人のために日本語で聖書を読む時間も持っています。お二人はその集会に集っておられる様々な事情を抱えた方達に寄り添う決心をしてカナダに行かれました。

 お二人は札幌に家族もおられ、自宅もあります。カナダでの生活は何にせよ一から始めなければならないし、不自由な事も多いのです。しかしその日々の中にいつも共にいてくださるイエス・キリストを信頼して過ごしておられます。そんなお二人の姿に、集会に集う方々は励まされているのです。

 今日は使徒言行録に出てくる夫婦プリスキラとアキラの事を通して語って下さいました。

使徒 18:24 さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。

18:25 彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。

18:26 このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。

プリスキラとアキラ夫婦は、当時の有名な伝道者アポロに、彼が最も知らなければならない、イエス・キリストの恵について正確に語っています。伝道者ではない、けれど人をもてなし聖書の事を語る者になる。そのような生き方を、お二人は晩年の生き方として選び取りました。そしてそのことがお二人に、喜びと希望を見つめる生活を与えているのです。

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カナダ リッチモンドの地図
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蜜柑リンゴパンもありました。


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# by hiraoka-joyful | 2018-12-09 14:00 | トピックス | Comments(0)  

12月2日18年今日の糧

イエス・キリストは近づいてくる

マタイ 281620

 

弟子たちは、復活したイエスに会いました。いえ、そこにいた方を見つめたのです。イエスの他の復活の場面でもそうですが、復活したイエスの姿は弟子達が良く見知った姿とは異なっていたようです。ですから山の上に立っていたその人をよく目をこらして見たのです。するとその目に、この方はイエスだとはっきり解る証拠が映ります。この場面には記してありません。しかし他の復活のイエスとの出会いの場面には記されています。それはイエスの体に残っている十字架刑の時についた傷でした。その傷を見て弟子達はイエスだと知るのです。

イエス様だ!それが解った時、弟子たちは、まずイエスにひれ伏します

私たちにとって、イエスに出会い、イエスにひれ伏す山は、私達が礼拝を守るこの教会です。教会こそ、まず週の初めにイエスが私達に出会うために待っておられる場所なのです。イエスが指示した場所なのです。私たちは毎週日曜日に、なぜ遠くから、近くから教会へ礼拝するために来ているのでしょう。それはイエスがここに来るように指し示しておられるからです。私達はここで、過ぎた一週間、私達を愛し、私達のために血を流し、悪から救い出されたイエス・キリストをまず見つめるのです。私達が行くべき道を間違わないように教えてくださったイエスを見つめるのです。その時に内から湧き上がる、もったいなさ、ありがたさ、うれしさ、それらを携えて礼拝しているのです。そのような私達にイエスは近づき語ります。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」

これは、イエスが何故人の赤ん坊の姿になって生まれたか、

私達が待ち望んでいるクリスマスの答えです。

マタイ1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

 イエスの誕生から青年までイエスが成長された30年間の日々も、イエスが弟子達を教えられた3年半の日々も、イエスの十字架での死も、イエスの復活も、全てはこの約束「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」ことの成就のためでした。

 疑い、惑い、憂い、悩み、ついには罪を犯してしまうような弟子達と、そして私達と、世が終わるまでとことん付き合って毎日毎日見捨てずに一緒にいるために、イエスは生まれてこられたのです。

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今日は世界祈祷週間のアプローチがありました。
写真はインド プリ幼稚園を訪問した皆さん
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 暖かい具沢山のお蕎麦と、台湾のケーキ


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# by hiraoka-joyful | 2018-12-02 13:37 | トピックス | Comments(0)  

11月25日18年の糧

「麗しい衣をあなたも着ましょう。」

マタイ626-34

もしも神様があらわれて「1つだけ、なんでも望みをかなえてあげる」と言われたら、皆さまは何を求めますか?健康、お金、家族の幸福、色々でしょうね。今日の聖書に出てきた名前、ソロモン王は、今から約3000年前のイエスラエルの国の王です。ソロモンはイスラエルの国を統一したダビデ王の息子でした。一国の王座にのぼったソロモンは神に何を望んだのでしょうか。

  ソロモン王は国を治めるために、誰よりも賢くありたいと知恵を神に望みました。それは素晴らしいことです。しかしそれほどのソロモンの願いもイスラエルの国が繁栄し続ける力にはなりませんでした。なぜならソロモン王はソロモンを愛しておられる真実な神ご自身を求めなかったからです。ですから残念なことにソロモン王はこの後次第に神から離れ、自分の知恵に頼って他の国と交流します。そして次第にイスラエルの国は力を失い、二つに分かれやがて滅んでゆきました。

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            ソロモンの裁判

イエスはソロモンの名前を出すことで、聖書が伝えるもう一つの知恵を明らかにしたのです。

それはイエス・キリストの知恵です。

ソロモンから約1000年後に、イエス・キリストがこう教えています。「野の花を見なさい。栄華をきわめたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」

イエスの知恵は

1)「私たちは私たちを慈しんでおられる神ご自身をまず求めればよい。」と教えています。

2)またイエスの知恵は、私達一人一人に命を与えておられるのは、主なる神であって、その命を人間はけして自由に出来ないことを教えています。

 野の花を見なさいと言われたイエス・キリストは、自然界を教訓にして、自然のままありのままを受け入れなさいと言っておられるのではないのです。野の花が神に許され、麗しい衣を着せられているように、イエス・キリストの命を受け継ぐキリスト者には、一人一人に相応しい麗しい衣が用意されている。

 本当に幸せだったと言える人生がある。と約束しているのです。そしてその衣とは、私達を愛し抜いてくださったイエス・キリストです。

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牧師は家族の追悼礼拝のため不在でした。
執事による宣教朗読が行われました。
今週の歩みの中に主イエスの恵と平安を見つけて行きましょう。

         

 


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# by hiraoka-joyful | 2018-11-26 17:00 | トピックス  

11月18日18年今日の糧

「教会学校と紙芝居」

~紙芝居、四方山話~

マタイ1810

「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。」

紙芝居が娯楽としてだけではなく、教育の道具、今で言う視聴覚教材として注目されたのは昭和の初期でした。そしてその「教育紙芝居」の普及に大きな貢献したのが、日本のキリスト教会でした。紙芝居の研究書を読むと、必ずと言って良いほど登場するのが、今井よね(1897-1968)という女性です。この方は三重県の津生まれで、富山や東京で学校の教諭をしましたが、賀川豊彦との出会いによりキリスト者となり、アメリカ・フィラデルフィアで神学を学び帰国します。当時、街頭紙芝居が盛になりはじめたころで、日曜学校や教会の伝道に携わっていた今井は、子供たちから紙芝居の話しを聞き、実際にそれを見に行きます。すると子ども達が食いるように紙芝居を眺めているのを見て、紙芝居を日曜学校の教材として用いようと考えます。そして1933年(昭和8年)年に設立したのが「紙芝居刊行会」でした。最初に出版した紙芝居が『クリスマス物語』で、今井よねが脚本を書き、板倉康夫が画を描きました。これが日本で最初の印刷紙芝居といわれます。それまで、紙芝居は皆手書きでした。今井よねは紙芝居を使って日曜学校でまた街頭でも演じ、それが日本中の教会に広がっていきました。今でも、大概の教会には聖書紙芝居(福音紙芝居)があります。また今でもキリスト教視聴覚センターでは紙芝居を印刷販売しています。このように日曜学校・教会学校と紙芝居は切っても切れない関係となったのはこの時代からです。

マタイ810の箇所はイエス様がどんなに小さいもの達に寄り添い、小さい者の目線で語りかけておられたかを知ることの出来る箇所です。人の目には小さいと見られている者も、神の前では等しく貴く大事なものだということを教えています。貧しい時代の日本では、子どもは軽んじられがちだったのですが、子ども達に真剣に向き会い、子ども達に福音を伝えるために紙芝居をつくる会社を思いついた今井よねや私たちの先輩のキリスト者の姿に、私達も学びたいと思います。(日高嘉彦協力牧師)

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古くて新しい庶民芸術 紙芝居
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# by hiraoka-joyful | 2018-11-18 13:32 | トピックス  

11月11日18年今日の糧

貧しい者へのよいしらせ

イザヤ書6114

皆さんは自分が貧しいと思ったことがありますか?私達が良く口にするお金がないという言葉は、決して生活に困窮し、自分の尊厳さえも売り飛ばしてしまうような貧しさではありません。

聖書で言う貧しい者は、打ち砕かれ、差し迫った窮乏にある人々を意味します。 隣人との力関係で相手の顔色をうかがい、機嫌を取りながら生きる人達です。ですから、どの時代でも、どのような社会にも、どのような生活を送る人の中にも、身を縮こまらせて浅い息をしながら生きる貧しい人POOR PIOPLE がいるのです。

その人々へ、解放の福音を、「身体を伸ばし十分息しなさい」と語るように、預言者達は召されたのでした。

~何のために

1)その人々を癒すためです。=この言葉は包帯を巻くという意味があります。身を縮こませて生きる人は、自分で身体をゆがませているうちに、身体全体が痛んでいる状態が普通になってしまうことがあります。それと同じように自分を卑下し身を縮こませ、いつも心が傷ついている人に、預言者はしっかりと神の言葉でテーピングをして、その人々が本来の自分を取り戻す手助けをするのです。

2)その人々を釈放するためです=これは目を開かせるという意味がある言葉です~奴隷や囚人は本来の名まえを取り上げられます。名前がない人は、自分の将来を思い描くことが出来ません。預言者はその様な人々に、神の言葉を語ります。一人一人は、神にとって大事な人だから、主なる神が必ずあなたの現状を打ち壊し、あなたに未来を見せ、解放させると、彼等が希望を見る手助けをするのです。

またこの箇所には平岡ジョイフルチャペルに語られているような言葉があります。

賛美の外套を  弱った霊 の代わりに 

外套 それは平岡ジョイフルチャペルの由来です。聖書はこの教会は賛美の場所だというのです。 自分達が生きる日々の中で、憂い歎き、暗い心になって息も絶え絶えになって、出るのはため息ばかりになっても、この場所に来た者は神への感謝の歌を歌えるようにされてゆくと伝えています。

 そして実際、この礼拝の場所はここを愛する兄弟姉妹によって、整えられ祈られている場所です。大切な私達の外套です。神の一方的な憐れみによって、本来他者を思いやる気持ちなど持てない欲張りなもの達が、イエス・キリストに変えられて、自らの外套を半分にして、それを与えてゆく。その様な人々が集まる場所です。

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暖かい麺の嬉しい季節になりました。


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# by hiraoka-joyful | 2018-11-11 13:43 | トピックス