1月7日18年新年礼拝今日の糧

神の子とされためでたさ

マルコ1115


真実な神は、イエスを子と呼びました。「神が愛し続ける子、神が喜びを得る子」。と神は宣言します。この聖霊が下った様子は、全ての福音書に記されています。ただしこの時初めてイエスに聖霊が下ったのでもなく、この時初めて神の子と呼ばれたのでもありません。人々の目にはっきり見えたのが、このバプテスマの瞬間でした。青年イエスの姿と鳩のように下ってくる聖霊、天から響く声を一番間近で見て、聞いたのはバプテスマのヨハネです。その時彼は自分が待ち望んでいた人、聖霊で人々にバプテスマを施し、人々を根本から変える力ある方に出会ったことを悟ります。だからこそ当時この国で人々を苦しめ、悪しき事が横行する元凶であったヘロデ王の罪を断罪するのです。

それから聖霊はバプテスマを受けたばかりのイエスをヨルダン川から外に投げるように追い出します。イエスが向かわされたのは荒野でした。そこは人里離れた場所、寂しい所です。それが、バプテスマを受けることによって全ての人と連帯する決意を露わにされたイエスに、まず主なる神がさせたことです。イエスはそこに40日留まりました。この荒野でイエスが経験したのは2つのことです。

1) サタンから誘惑を受ける。 

2) 野獣が共にいて天使達が仕える

愛する我が子を守る神の愛によって、イエスは孤独ではなかったのです。そしてイエスはこの試練を通して、イエス・キリストを信じ神の子とされた者が試練に遭ったとき、荒野のような場所に追いやられた時、どのような事が起きるかを具体的にあらわされました。イエス・キリストを信じる者は誘惑の中に潜む罠に陥らない。イエス・キリストを信じる者は具体的な助けが与えられる。神が造った自然がイエス・キリストを信じる者を慰めることです。

 イエスは神の福音(良い音信)をガリラヤで述べ伝え始めます。

マルコは良い音信についてこう伝えるのです。

良いおとずれは聖書(旧約聖書)から始まる。

良いおとずれは、それを伝える者によって持ち運ばれる。

良いおとずれはイエスそのものであり、イエスがあらわす神の愛そのものです。

それが、ここから、イエスの宣言からスタートしたのです。

イエスが伝えた「悔い改めよ」の命令から始まること。イエスが私たちの場所に来て下さり、イエスが私たちの誘惑と戦って下さり、イエスが私たちを神の大路へ戻してくださる。私たちはそのイエスの力によって悔い改めて生きるのです。神の国は近づいたという宣言は、イエスが私たちの荒野を共に生きてくださり、そこが私たちの神の国となるめでたい音信なのです。

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厚岸産のアサリはひと味違いました。


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by hiraoka-joyful | 2018-01-07 13:44 | トピックス  

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