1月21日18年今日の糧

一番大事なのは命

マルコ316

イエスも安息日の礼拝に出席します。 そしてそこで神の国について語りました。 この日会堂に、片手の萎えた人がいました。そこに集まっていた人々は、イエスがこの人を見てどうするかに注目していました。なぜ注目していたか、それはこの頃イエスの弟子のグループで安息日の掟をきちんと守っていない、という批判が高まってきていたからです。イエスが安息日にこの人を癒して、掟破りをするかどうか見ていたのです。実はこの片手が萎えた人は、たまたまその会堂に居合わせたのではなくイエスを、待っていたという記事が、聖書に関した言い伝えをまとめた本に残っています。

ナザレ人 福音書

私は手をつかって働いて生活の糧を得ている石工でした。イエスよ、私の健康が回復し

卑しく食物を請わないでいいようにして下さい。

この人が切実に訴えている言葉を聞いていた人々は、イエスが掟を破るかどうか悪意を持って見つめていました。この人は、既に自分の尊厳が失われかけていると感じていました。この人がそれをイエスに訴えていたからこそ、イエスはこの人に安息日が終わるまで、数時間待てとは言わなかったのです。イエスは人々に安息日の大切な意味を伝えます。

1) 安息日は良きことをする日として与えられた。

2) 安息日は命のために与えられた。

イエスは片手の萎えた人に「手を伸ばしなさい」と宣言します。すると彼の手は元どおりになった。癒しの奇跡が行われたのです。このことによってイエスは、沈黙している彼らに、イエスが行う善を、命を救う働きを、はっきりと見せたのです。

本来なら、そこにいる人々はこのことを喜ぶはずです。しかしイエスを憎む者達は可笑しな行動をおこします。それは、以前は憎んでいた者達と手を組んで、イエスを殺害しようと企てたことです。今、彼等の敵は安息日にもかかわらず、片手が萎えた人を癒したイエスに代わりました。彼等にとってイエスは自分達の信条を脅かす者で、抹殺すべき敵に見立てたのです。安息日、彼らは礼拝の場から出て行きます。しかしイエスは、彼等の悪巧みを阻止しません。むしろ彼等がたくらんだ死を甘んじて受け、十字架の上で血を流しました。これこそがイエスによってあらわされたダイナマイトのような神の愛です。この愛で、人間の尊厳を失いかけていると感じていたこの片手の萎えた人を、礼拝の中心に立たせ、癒します。

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        餅いりそば暖まりました。


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by hiraoka-joyful | 2018-01-21 13:36 | トピックス  

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