2月11日18年今日の糧

耳が開いて聞こえた福音

マルコ7章31-37

デカポリス地方を通り抜けてガリラヤ湖へ来られたイエスのもとに、人々は「耳が聞こえず舌の回らない人」を連れて来ました。彼は歩くことが出来ましたが、イエスについての証や、イエスが伝えている言葉を聞くことが出来なかったのです。この人の代わりにイエスの言葉を聞いた人がまず神の国の信仰を持って、この人を連れてきました。この人は耳が聞こえないだけでなく、「舌の回らない」人でした。この言葉は、もともとは「言葉に困難がある」という意味です。

この人の苦しみは、耳が聞こえず、そのために口が利けないことでした。彼はイエスのことばを聞くことができません。ですから、イエスはご自分の指を彼の両耳に差し入れました。次に唾をつけてその舌に触れられました。それは単に手を置く事ではありません。もっと時間をかけ、労力を掛け、彼の根幹に触っているのです。そのようにしてイエスは彼の回復を望んだのです。

1)イエスは天を仰いで祈り、そのようなうめきの声を、耳が聞こえず舌の回らないこの人と共に、この人に代って、父なる神様に向かってあげる方です。

2)またイエスは、苦しみの中にある者のうめきをご自分の身に引き受け、自分の祈りにおいて父なる神様に執り成す方です。

3)そしてイエスは共に呻くだけでなく、父なる神の愛を注ぐ方なのです。

イエスは深い息をしてこの父なる神の愛を受け止め、彼にそれを注がれ「エッファタ」と伝えました。すると彼は自分自身を開いて、父なる神の愛を受け入れたのです。

イエスの癒しの業で耳が開いたことによって、これから彼は様々な音や、人の言葉を聞いていくでしょう。しかし彼に向けられる言葉が彼にとって嬉しい言葉だけとは限りません。ですからただ彼の耳が癒されただけなら、そのことは彼への恵にはなりません。イエスが彼の耳を開くと同時に、父なる神の愛を注がれたから、彼の耳が開いたことが彼にとって幸いになったのです。

そして彼の舌も、ただしゃべることが出来たと言うより、父なる神の愛が注がれて正確に語る者になりました。そして後に教会の中で、イエス・キリストがして下さった憐れみの業を証言し、大いに語る人になったのです。ですからこの出来事が福音書に記されているのです。

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          開け

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お菓子はバレンタインのために


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by hiraoka-joyful | 2018-02-11 14:29 | トピックス  

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