5月6日18年今日の糧

イエスを刻みこむ食事

コリント第一の手紙11章23節―26節

主の晩餐が制定されたのは、主イエスが十字架に「引き渡される当日」のことでした。イエスの言葉によって、ひとかけらのパンが特別な意味を持つものとなりました。私たちがいただくイエス・キリストの体、それは、私たちのために十字架にかけられ、引き裂かれた体です。当時献げられた感謝の祈りは、このような言葉で始まりました。

「主よ、あなたは祝福に満ちた方です。この食べ物を食す者を祝して下さい。」

このように肉体の養い、栄養であるパンが、現実にキリストによる救いという魂の養い、栄養になるのです。主の晩餐式において私たちに与えられるのは、具体的な恵みです。

この晩餐式はキリストを考える機会ではありません。イエス・キリストにおいて与えられる祝福を信仰者が感謝して受け取る現実的な手段です。

 また主の晩餐式は新しい契約の場です。かつて神が与えた契約は本当に素晴らしい完全なものでしたが、神と契約を結んだのは奴隷だった民でした。彼等は不完全で、それを受け止めきれませんでした。ですから神は奴隷だった民の本質を、驚くべき方法で一新されたのです。それが「わたしの血によって立てられる」ものだとイエスが言われた新しい契約です。

奴隷と結ばれた契約においては、動物が人間の罪を背負って殺されました。けれど新しい契約では、神の独り子イエスが私たちの罪を全て背負って十字架にかかり、血を流して死んだのです。血は命を保つもの、命を運ぶものです。体の隅々にまで行き渡り、体の全てを繋いでいるのです。イエスはその血を飲めと言いました。勿論、主の晩さんに最初に預かった弟子達が、イエスの十字架の下で、流れる血を手ですくって飲めという事ではありません。なぜなら弟子達はその姿を怖がって、遠巻きにするしかなかったからです。イエスの十字架に躓いたからです。

イエスはそれを全てご存知で、血の代わりに滋養がある晩餐のブドウ汁を与えたのです。またそのことを記念しなさいと言われています。 それは、ただ古いノートを開いて、古い知識を確認する行為ではありません。思い起こす者が、それを今も現実に追体験する事柄です。

イエスが与えた杯を飲むことが、どれほど私達の生涯を滋味豊かにして行くか、日々の生活の中で体験するのです。

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過越の食事の中で、主の晩餐が与えられた
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by hiraoka-joyful | 2018-05-06 13:29 | トピックス  

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