5月27日18年今日の糧

輝く「土の宝石」

コリント第二4:6−15

 聖書は私達人間をどのようなものだとつたえているのでしょう。

創世記2章6節では、人間を土塊のように弱く脆い者だと伝えています。

 他方コリント第二4章6節、7節は人が土の器あるのと同時に、それは単なる土の器ではなくて、宝を内に秘め、それによって土の器が光を放つのだといっています。

一体、土の器でありながら、そこに納めるモノによって光り輝くとはどういうことでしょうか。

それは土のランプです。この言葉が書かれた時代、つまり紀元1世紀にパレスチナで庶民が使っていたランプです。それは文字通り素焼きのランプで、実際にオリーブ油を入れて、灯心を差し込んで火を灯すようになっています。素焼きなので油が染み出てきていますが、実用上は何の問題もありません。小さいけれども暖かい火を灯します。

比べて、ギリシアのミケーネ陶器の影響を受けたランプもあります。これは釉薬もかかって美しいミケーネ風の装飾が描かれており、厚みも薄く大きいのにとても軽く、ギリシア文明によって洗練された美しさを持っています。しかし、聖書が言っている「宝を納めた土の器で、それによって光り輝く土の器」と言う場合には、パレスチナの素朴なランプの方がぴったりきます。このような庶民の使っていた土のランプは非常に粗末ですが、それでも電気がなかった彼らの日常生活にとっては欠かせない大事な宝物でした。

またこの素朴な器は、煤で汚れた歌口や、油のしみた本体が、風合いそのものとなって、使えば使うほど良い味になります。ギリシア式ミケーネのランプは絵が美しいので、使うとそれはこの絵を汚し、かえってその美しさを損なうことになりかねません、    

素朴な土の器は、使うほど美しさが増す。時には疵さえも、その疵自体が陶器の風景の一部となることさえあります。それもまた人間の有り様を現しています。

粗末な土の器が、そこに宝を秘めることによって光り輝くことが出来る。この器は、人々の素朴な質素な生活の中で、小さなあかりをもって、彼らの日常を照らし続けました。

 聖書の教えの中心は、土の器こそが美しいのであり、そこにこそ神の美しさがある事を認めたことにあります。私達が見るところ粗末でもろい土の器でも、ランプのように美しく輝くことを神は喜んでくださる方である事を伝えています。

(ひだか協力牧師)

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北星学園大学チャペルクアイヤーの皆さんの素晴らしい歌声が響きました。

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パレスチナで使われていた素焼きのランプ

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by hiraoka-joyful | 2018-05-27 12:58 | トピックス  

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