6月10日18年今日の糧

あなたの良心に私を委ねます

?コリント4章1−5節

私達は落胆〜LOSEHEART〜していない

 どれほど苦しい働きでも、個々が担う務めには神の憐れみがその苦しみの下にある。

この下を支え続ける憐れみがあるから、神の力に依り頼みつつ務めを果たし、そこから深い感謝が生まれてくるのです。パウロは落胆しない=心を失わないキリスト者達の生き方をさらに記しています。

キリスト者が仕えているそれぞれの場においての生き方です。

1. 社会の中で

悪巧みをしない。

2.教会の中で

神の言葉を欺いて扱わない

福音を伝えるのに細工は必要ありません。ただ手段は必要です。

それが、パウロが伝えている人々の良心に自分達を推薦すること。委ねてゆく事です。

 人々の良心は、神が人を創られた時に、神の似姿を映す者となるために神の息、聖霊の息吹の中で生まれた心です。聖霊がキリスト者の中に働いて、キリスト者が社会の中で真っ直ぐに生きるとき、教会の中で神の言葉を真っ直ぐに語る時、キリスト者の生き様を見つめる者、彼等が語る福音の言葉を聞く者の心の琴線が震え始めるのです。応答し始めるのです。それが人々の良心に自分を推薦することです。

 なぜその様な事が出来るでしょうか?それは、私達の全てが父なる神の見守りの中にあるからです。

聖書に記されているキリスト者の生き様を見て下さい、私達に福音を伝えて下さった方々の姿を想い出して下さい。彼等も又私達の良心に自分を委ね、推薦してくださったでしょう。だからこそ私達の心が反応したのではないですか?

そしてパウロは反論します。

1)自分達の語っている福音の言葉はなまくらではない。

2)福音の言葉を受け取った側に問題がある〜そこに覆いが掛けられている。

3)本来救われているはずの人々が、まるで滅びの道をたどっているようにふるまっている。

では誰がその覆いをかけたのでしょう。

またその覆いとは何でしょう。

それは他でもない、この素晴らしい福音の光を既に預かっている者達です。私達自身が、時に「この世の神」となって福音の光が届かないようにしているのです。ですからパウロは自分の意見やアイデアが、イエス・キリストを伝えるために邪魔になるなら、寧ろ主イエス・キリストを伝えるために、教会に集う者達のために私達は奴隷になると決意します。それは自分達のために、真っ先に仕えて下さったイエス・キリストのゆえの決意なのです。

                  

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ジョイフルガーデンのリラ

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具だくさん、つゆだくだく、増し牛


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by hiraoka-joyful | 2018-06-10 15:01 | トピックス  

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