12月2日18年今日の糧

イエス・キリストは近づいてくる

マタイ 281620

 

弟子たちは、復活したイエスに会いました。いえ、そこにいた方を見つめたのです。イエスの他の復活の場面でもそうですが、復活したイエスの姿は弟子達が良く見知った姿とは異なっていたようです。ですから山の上に立っていたその人をよく目をこらして見たのです。するとその目に、この方はイエスだとはっきり解る証拠が映ります。この場面には記してありません。しかし他の復活のイエスとの出会いの場面には記されています。それはイエスの体に残っている十字架刑の時についた傷でした。その傷を見て弟子達はイエスだと知るのです。

イエス様だ!それが解った時、弟子たちは、まずイエスにひれ伏します

私たちにとって、イエスに出会い、イエスにひれ伏す山は、私達が礼拝を守るこの教会です。教会こそ、まず週の初めにイエスが私達に出会うために待っておられる場所なのです。イエスが指示した場所なのです。私たちは毎週日曜日に、なぜ遠くから、近くから教会へ礼拝するために来ているのでしょう。それはイエスがここに来るように指し示しておられるからです。私達はここで、過ぎた一週間、私達を愛し、私達のために血を流し、悪から救い出されたイエス・キリストをまず見つめるのです。私達が行くべき道を間違わないように教えてくださったイエスを見つめるのです。その時に内から湧き上がる、もったいなさ、ありがたさ、うれしさ、それらを携えて礼拝しているのです。そのような私達にイエスは近づき語ります。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」

これは、イエスが何故人の赤ん坊の姿になって生まれたか、

私達が待ち望んでいるクリスマスの答えです。

マタイ1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

 イエスの誕生から青年までイエスが成長された30年間の日々も、イエスが弟子達を教えられた3年半の日々も、イエスの十字架での死も、イエスの復活も、全てはこの約束「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」ことの成就のためでした。

 疑い、惑い、憂い、悩み、ついには罪を犯してしまうような弟子達と、そして私達と、世が終わるまでとことん付き合って毎日毎日見捨てずに一緒にいるために、イエスは生まれてこられたのです。

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今日は世界祈祷週間のアプローチがありました。
写真はインド プリ幼稚園を訪問した皆さん
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 暖かい具沢山のお蕎麦と、台湾のケーキ


by hiraoka-joyful | 2018-12-02 13:37 | トピックス | Comments(0)  

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