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2020年1月12日「マルコ福音書のイエス (10)~時には怒るべし」

宣教:「マルコ福音書のイエス (10)~時には怒るべし」
宣教者:三上章先生
聖書箇所:マルコによる福音書 1章40~45節


40節の病気の男性の言葉を直訳すると,「おまえが望むなら,おれを浄くすることができるのだ」となる。これを敷衍するなら,「その気になればおれを浄くすることができるんだろ」「できるものなら,おれを浄くしてみせろ」「こんな姿のおれだ。恐ろしいだろ。近寄りたくないだろ」というところか。えらそうな口ぶりである。イエスも,このようなものの言い方が嫌いだったようである。怒るのが当然である。

41節の「憐れんで」(スプランクニステイス)は,写本上の問題がある。西方系写本は「怒って」(オルギステイス)である。この読み方でないと文脈にそぐわない。これを後の写本家が,「憐れんで」に書き換えた可能性が強い。おそらくイエスから「怒り」の要素を取り去ろうとしたからであろう。イエスは怒った! 

横浜市に住む友人から,カジノ反対に関するメールが届いた。「横浜市では、IR(カジノ)を巡って林市長のリコール運動が起こっています。市長選前の世論調査では市民の2/3がカジノに反対でした。市長は、市長選前にカジノ誘致を明言せず「市民の意思を見極める」と言っていたのに、当選後に一転誘致に踏み切りました。その政治姿勢は大いに問題ありです。私はリコール署名の受任者になりました。半年かけて受任者を集め、一斉にリコール署名を開始します。」

怒るべき時には怒ってよい.

43節に「そして(イエスは)彼を叱りとばし,すぐに追い出した」とある。なぜこのような仕打ちをしたのだろうか。44節を読むとわかる。「いいか。だれにもなにも言うな」と言うからには,イエスはこの男の性癖を見抜いていた。イエスの前で演技して見せたら,まんまとひっかかりやがった。病気を治させてやったよ,とでもいいかねない人物である。

イエスは,この男にちゃんとした社会人として生きるように勧告する。「さあ行って,お前自身をその祭司に見せなさい。そして浄めに関してお供えをしなさい。モーセが定めた(供え)ものを。」それが当時の社会的宗教的習慣・マーナーであった。イエスがわざわざこういうことを言ったのは,この男が社会における正しいふるまいから逸脱する生き方をしていたからであろう。

45節を見ると,やはりそうかと思わざるをえない。「この男は,その場から出て行き,「多くのことを宣伝し,その言葉を拡散ささせはじめた。」宣べ伝え(ケリュグマ)には,善いものと悪いものとがある。この男がしたことは,悪いケリュグマである。善いケリュグマは,イエスを宣べ伝える。悪いケリュグマは,自分自身を伝える。こういうケリュグマは,イエスを妨害する。


来週1/19(日)の宣教予定者は金子弘先生です。

by hiraoka-joyful | 2020-01-12 10:03 | トピックス  

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