人気ブログランキング |

2020年2月9日「マルコ福音書のイエス (12)~「罪」という風評の放逐」

宣教:「マルコ福音書のイエス (12)~「罪」という風評の放逐」
宣教者:三上章先生
聖書箇所:マルコによる福音書 2章5~12節

体に麻痺のある男性が,四人の男性によって担架に乗せられ,イエスの目の前につり下ろされた話の続きである。
イエスは麻痺のある男性に,「あなたの罪の数々は赦されている」という,一種の罪の赦免の宣言を行った。宗教の締め付けが強かった当時,罪の赦免宣言は神の専売特許であり,人間はだれもやってはいけないことであった。そういう状況の中で,ただの人であるイエスは赦免宣言を行った。ただし,「あなたの罪の数々は赦されている」と言っただけであって,「私はあなたの罪を赦す」とは言っていない。とはいえ,「あなたの罪の数々は赦されている」というだけでも,十分な挑発であった。なぜイエスはこのような発言をしたのであろうか?

障がいというあり方を罪に結びつける風潮を放逐するためであった。
岩波新書編集部編『戦後を語る』(岩波新書,1995年)所収の,安積 遊歩(あさか・ゆうほ)「中国,シベリアから帰った父と車イスの私」によると,彼女が30台半ばの頃,父親が末期ガンになった。そこで,お父さんに聞けるだけ聞こうと試みた。
「私の障害について,私が生まれたとき,お父ちゃんはどう思ったの?」父親の答えは,「おまえが生まれたときには,その萎びた足を見て,天罰が下ったのだと思ったものだ」であった。可愛がられていた父親の言葉だけに,心にぐさりときたと,安積さんは述べている。
「天罰が下った」などとは、根も葉もない俗説に過ぎないが,今でも風評的に広まっている。
イエスの時代も同じであった。体の障がいはさまざまな「罪」に結びつけられていた。神殿参りをしないから。神殿税を払わないから。安息日に仕事をしたから。神の名をみだりに唱えたからなど,今日ではとうてい罪にはならないような行為である。そういうのが他にも数多くあった。

それゆえ,イエスは「罪の数々」と複数形で言ったのである。そういった宗教上の罪が巷に横行し,人々を苦しめていた。その苦しみから解放してあげるのが,本来,宗教家たちの役割であるが,彼らは罪という名の風評を放逐しないどころか,むしろ助長していた。
イエスの言いたいことは,世間では障がいをもつ人を見ると,なんでもかんでも罪のせいにするが,そんなことはない。風評などに惑わされてはならない。罪のせいなどではない。なんなら言ってあげましょうか。「あなたの罪の数々は赦されている」とでも。罪という風評など消えてなくなれ!これがイエスの真意であろう。


来週2/16(日)の宣教予定者はエイカーズ・愛先生です。

by hiraoka-joyful | 2020-02-09 13:16 | トピックス  

<< 2020年2月16日「大牧者な... 2020年2月2日「何と幸いな... >>