カテゴリ:トピックス( 339 )

 

12月9日18年今日の糧

喜びと希望に向かって

~プリスキラとアキラ~

使徒言行録1824節から28

今日アドべント第二主日の礼拝宣教は、三ツ木芳夫師でした。

三ツ木さんとお連れ合いの朋代さんは昨年大きな決心をして

カナダのバンクバーにあるリッチモンドバプテスト教会のお手伝いのためにカナダでの生活を始められました。

リッチモンドバプテスト教会は英語や中国語の集会がありますが、カナダ在住の日本人のために日本語で聖書を読む時間も持っています。お二人はその集会に集っておられる様々な事情を抱えた方達に寄り添う決心をしてカナダに行かれました。

 お二人は札幌に家族もおられ、自宅もあります。カナダでの生活は何にせよ一から始めなければならないし、不自由な事も多いのです。しかしその日々の中にいつも共にいてくださるイエス・キリストを信頼して過ごしておられます。そんなお二人の姿に、集会に集う方々は励まされているのです。

 今日は使徒言行録に出てくる夫婦プリスキラとアキラの事を通して語って下さいました。

使徒 18:24 さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。

18:25 彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。

18:26 このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。

プリスキラとアキラ夫婦は、当時の有名な伝道者アポロに、彼が最も知らなければならない、イエス・キリストの恵について正確に語っています。伝道者ではない、けれど人をもてなし聖書の事を語る者になる。そのような生き方を、お二人は晩年の生き方として選び取りました。そしてそのことがお二人に、喜びと希望を見つめる生活を与えているのです。

d0224356_13572386.jpg

カナダ リッチモンドの地図
d0224356_16204150.jpg

蜜柑リンゴパンもありました。


[PR]

by hiraoka-joyful | 2018-12-09 14:00 | トピックス | Comments(0)  

12月2日18年今日の糧

イエス・キリストは近づいてくる

マタイ 281620

 

弟子たちは、復活したイエスに会いました。いえ、そこにいた方を見つめたのです。イエスの他の復活の場面でもそうですが、復活したイエスの姿は弟子達が良く見知った姿とは異なっていたようです。ですから山の上に立っていたその人をよく目をこらして見たのです。するとその目に、この方はイエスだとはっきり解る証拠が映ります。この場面には記してありません。しかし他の復活のイエスとの出会いの場面には記されています。それはイエスの体に残っている十字架刑の時についた傷でした。その傷を見て弟子達はイエスだと知るのです。

イエス様だ!それが解った時、弟子たちは、まずイエスにひれ伏します

私たちにとって、イエスに出会い、イエスにひれ伏す山は、私達が礼拝を守るこの教会です。教会こそ、まず週の初めにイエスが私達に出会うために待っておられる場所なのです。イエスが指示した場所なのです。私たちは毎週日曜日に、なぜ遠くから、近くから教会へ礼拝するために来ているのでしょう。それはイエスがここに来るように指し示しておられるからです。私達はここで、過ぎた一週間、私達を愛し、私達のために血を流し、悪から救い出されたイエス・キリストをまず見つめるのです。私達が行くべき道を間違わないように教えてくださったイエスを見つめるのです。その時に内から湧き上がる、もったいなさ、ありがたさ、うれしさ、それらを携えて礼拝しているのです。そのような私達にイエスは近づき語ります。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」

これは、イエスが何故人の赤ん坊の姿になって生まれたか、

私達が待ち望んでいるクリスマスの答えです。

マタイ1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

 イエスの誕生から青年までイエスが成長された30年間の日々も、イエスが弟子達を教えられた3年半の日々も、イエスの十字架での死も、イエスの復活も、全てはこの約束「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」ことの成就のためでした。

 疑い、惑い、憂い、悩み、ついには罪を犯してしまうような弟子達と、そして私達と、世が終わるまでとことん付き合って毎日毎日見捨てずに一緒にいるために、イエスは生まれてこられたのです。

d0224356_13351136.jpg
今日は世界祈祷週間のアプローチがありました。
写真はインド プリ幼稚園を訪問した皆さん
d0224356_13345519.jpg
 暖かい具沢山のお蕎麦と、台湾のケーキ


[PR]

by hiraoka-joyful | 2018-12-02 13:37 | トピックス | Comments(0)  

11月25日18年の糧

「麗しい衣をあなたも着ましょう。」

マタイ626-34

もしも神様があらわれて「1つだけ、なんでも望みをかなえてあげる」と言われたら、皆さまは何を求めますか?健康、お金、家族の幸福、色々でしょうね。今日の聖書に出てきた名前、ソロモン王は、今から約3000年前のイエスラエルの国の王です。ソロモンはイスラエルの国を統一したダビデ王の息子でした。一国の王座にのぼったソロモンは神に何を望んだのでしょうか。

  ソロモン王は国を治めるために、誰よりも賢くありたいと知恵を神に望みました。それは素晴らしいことです。しかしそれほどのソロモンの願いもイスラエルの国が繁栄し続ける力にはなりませんでした。なぜならソロモン王はソロモンを愛しておられる真実な神ご自身を求めなかったからです。ですから残念なことにソロモン王はこの後次第に神から離れ、自分の知恵に頼って他の国と交流します。そして次第にイスラエルの国は力を失い、二つに分かれやがて滅んでゆきました。

d0224356_16554529.jpg
            ソロモンの裁判

イエスはソロモンの名前を出すことで、聖書が伝えるもう一つの知恵を明らかにしたのです。

それはイエス・キリストの知恵です。

ソロモンから約1000年後に、イエス・キリストがこう教えています。「野の花を見なさい。栄華をきわめたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」

イエスの知恵は

1)「私たちは私たちを慈しんでおられる神ご自身をまず求めればよい。」と教えています。

2)またイエスの知恵は、私達一人一人に命を与えておられるのは、主なる神であって、その命を人間はけして自由に出来ないことを教えています。

 野の花を見なさいと言われたイエス・キリストは、自然界を教訓にして、自然のままありのままを受け入れなさいと言っておられるのではないのです。野の花が神に許され、麗しい衣を着せられているように、イエス・キリストの命を受け継ぐキリスト者には、一人一人に相応しい麗しい衣が用意されている。

 本当に幸せだったと言える人生がある。と約束しているのです。そしてその衣とは、私達を愛し抜いてくださったイエス・キリストです。

d0224356_16555726.jpg
牧師は家族の追悼礼拝のため不在でした。
執事による宣教朗読が行われました。
今週の歩みの中に主イエスの恵と平安を見つけて行きましょう。

         

 


[PR]

by hiraoka-joyful | 2018-11-26 17:00 | トピックス  

11月18日18年今日の糧

「教会学校と紙芝居」

~紙芝居、四方山話~

マタイ1810

「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。」

紙芝居が娯楽としてだけではなく、教育の道具、今で言う視聴覚教材として注目されたのは昭和の初期でした。そしてその「教育紙芝居」の普及に大きな貢献したのが、日本のキリスト教会でした。紙芝居の研究書を読むと、必ずと言って良いほど登場するのが、今井よね(1897-1968)という女性です。この方は三重県の津生まれで、富山や東京で学校の教諭をしましたが、賀川豊彦との出会いによりキリスト者となり、アメリカ・フィラデルフィアで神学を学び帰国します。当時、街頭紙芝居が盛になりはじめたころで、日曜学校や教会の伝道に携わっていた今井は、子供たちから紙芝居の話しを聞き、実際にそれを見に行きます。すると子ども達が食いるように紙芝居を眺めているのを見て、紙芝居を日曜学校の教材として用いようと考えます。そして1933年(昭和8年)年に設立したのが「紙芝居刊行会」でした。最初に出版した紙芝居が『クリスマス物語』で、今井よねが脚本を書き、板倉康夫が画を描きました。これが日本で最初の印刷紙芝居といわれます。それまで、紙芝居は皆手書きでした。今井よねは紙芝居を使って日曜学校でまた街頭でも演じ、それが日本中の教会に広がっていきました。今でも、大概の教会には聖書紙芝居(福音紙芝居)があります。また今でもキリスト教視聴覚センターでは紙芝居を印刷販売しています。このように日曜学校・教会学校と紙芝居は切っても切れない関係となったのはこの時代からです。

マタイ810の箇所はイエス様がどんなに小さいもの達に寄り添い、小さい者の目線で語りかけておられたかを知ることの出来る箇所です。人の目には小さいと見られている者も、神の前では等しく貴く大事なものだということを教えています。貧しい時代の日本では、子どもは軽んじられがちだったのですが、子ども達に真剣に向き会い、子ども達に福音を伝えるために紙芝居をつくる会社を思いついた今井よねや私たちの先輩のキリスト者の姿に、私達も学びたいと思います。(日高嘉彦協力牧師)

d0224356_13292920.png
古くて新しい庶民芸術 紙芝居
d0224356_13294445.jpg


[PR]

by hiraoka-joyful | 2018-11-18 13:32 | トピックス  

11月11日18年今日の糧

貧しい者へのよいしらせ

イザヤ書6114

皆さんは自分が貧しいと思ったことがありますか?私達が良く口にするお金がないという言葉は、決して生活に困窮し、自分の尊厳さえも売り飛ばしてしまうような貧しさではありません。

聖書で言う貧しい者は、打ち砕かれ、差し迫った窮乏にある人々を意味します。 隣人との力関係で相手の顔色をうかがい、機嫌を取りながら生きる人達です。ですから、どの時代でも、どのような社会にも、どのような生活を送る人の中にも、身を縮こまらせて浅い息をしながら生きる貧しい人POOR PIOPLE がいるのです。

その人々へ、解放の福音を、「身体を伸ばし十分息しなさい」と語るように、預言者達は召されたのでした。

~何のために

1)その人々を癒すためです。=この言葉は包帯を巻くという意味があります。身を縮こませて生きる人は、自分で身体をゆがませているうちに、身体全体が痛んでいる状態が普通になってしまうことがあります。それと同じように自分を卑下し身を縮こませ、いつも心が傷ついている人に、預言者はしっかりと神の言葉でテーピングをして、その人々が本来の自分を取り戻す手助けをするのです。

2)その人々を釈放するためです=これは目を開かせるという意味がある言葉です~奴隷や囚人は本来の名まえを取り上げられます。名前がない人は、自分の将来を思い描くことが出来ません。預言者はその様な人々に、神の言葉を語ります。一人一人は、神にとって大事な人だから、主なる神が必ずあなたの現状を打ち壊し、あなたに未来を見せ、解放させると、彼等が希望を見る手助けをするのです。

またこの箇所には平岡ジョイフルチャペルに語られているような言葉があります。

賛美の外套を  弱った霊 の代わりに 

外套 それは平岡ジョイフルチャペルの由来です。聖書はこの教会は賛美の場所だというのです。 自分達が生きる日々の中で、憂い歎き、暗い心になって息も絶え絶えになって、出るのはため息ばかりになっても、この場所に来た者は神への感謝の歌を歌えるようにされてゆくと伝えています。

 そして実際、この礼拝の場所はここを愛する兄弟姉妹によって、整えられ祈られている場所です。大切な私達の外套です。神の一方的な憐れみによって、本来他者を思いやる気持ちなど持てない欲張りなもの達が、イエス・キリストに変えられて、自らの外套を半分にして、それを与えてゆく。その様な人々が集まる場所です。

d0224356_13404409.jpg
d0224356_13405584.jpg
暖かい麺の嬉しい季節になりました。


[PR]

by hiraoka-joyful | 2018-11-11 13:43 | トピックス  

11月4日18年今日の糧

祈りの家で、喜び祝いに集おう

イザヤ書5618

イザヤ書はイザヤと言うたった一人の預言者が記した書物と言うより、その思想や預言の言葉を受け継ぎながら活動した数代の弟子達によって、聖書の神を信じる人々に向けて書かれた書物です。

 彼等は戦争に負け、国を失っていました。そして多くの人々が捕虜になって外国に連れて行かれていました。その時彼等が大切にしていた礼拝所、神殿も破壊されたのです。その後50年後に彼等は赦されて祖国に戻ります。そして以前神殿があったエルサレムを再興したいと集まります。しかし飢饉や、近隣に住む以前は同胞だった人達の妨害で、再建工事はしばしば中断されました。漸く前515年新たな神殿は完成します。帰国後20年が経っていました。しかし神殿が完成しても経済状態は改善せず、共同体内部で争いが起き、当時強くなっていた民族主義者は、その場所に住んでいた外国人を排斥しようとします。また彼等と共に帰還した宦官と言われる特殊な仕事をしていた人々の身体的特徴をあげつらって、彼等を嫌い排除しました。なぜその様な事が起きたのか。

希望を持って帰還したのに、彼等は大変貧しいままでした。生活は改善しませんでした。エルサレムに帰れば、素晴らしい神の国で悠々自適に暮らせると期待していた人々は、次第に「ここが神の祝福された土地などとは、ほど遠いと」と不満を募らせてゆきます。その不満が、自分達と違うと感じる人々への敵意と排斥になったのです。

その中で、捕囚中に活躍したイザヤの弟子達からの言葉を継承した預言者が活動を始めたのです。

希望が見えない時代に、本当の希望がいつ来るのか、それはどういう状況か彼等は語り始めます。

ここで救いの筆頭に上げられているのは、その時代、人々の不満を受ける形で神アドナイの集会から阻害されがちだった「外国人」と「宦官」です。 彼等を、「わたしの家」へ招くという特別な幻ビジョンが預言されています。その上で、アドナイが描き出す、全ての人への未来が預言されているのです。

 そして預言者が語る未来を引き寄せる人は幸いである人だと言葉は続きます。

1)公儀を守り正義を行う人

2) 安息日を守る人

3)あらゆる悪を行わない手を守り、汚さない人

聖書は、いままで社会の中でつまはじきになっていた人こそ、「幸いに招かれている人」だと伝えています。


d0224356_13050176.jpg
d0224356_13051309.jpg
美味しく頂きました。


[PR]

by hiraoka-joyful | 2018-11-04 13:09 | トピックス  

10月28日18年今日の糧

使徒行伝2:37-42

イエス・キリストに出会った人々の生活

私達は毎週日曜日の朝礼拝を守っています。いったいなぜそんなことをしているのでしょうか?キリスト教国でもない日本で、しかも冬場になったら様々な困難がある北海道で、なぜ教会や、そこに集うキリスト者の群れがいるのでしょう。この不思議な集まりである教会は、たった一つの問いから始まりました。
 「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」。

 この答えは「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」でした。これは教会が伝えてきた福音、善い知らせです。

)「悔い改めなさい」

本来の意味から言えば、心の向きを変えることです。自分で自分の心の向きを180度転換するのです。  

2)「めいめい、イエス・キリストの名によってバプテスマを受け」

バプテスマは、私たちが、イエス・キリストを救い主だと信じて、その十字架の死と復活とにあずかり、新しい命に生きるために神が用意した場です。ターニングポイントから、次の一歩を踏み出すステップ台です。バプテスマはイエス・キリストによる神の恵みによって、私達の罪が赦されたことを私たちの体験に刻みつける場なのです。そしてこのバプテスマと結びついているのが、

3)「そうすれば、賜物として聖霊を受けます」ということです。

バプテスマを受け、罪の赦しの恵みを刻みつけられた者は、神の息吹=聖霊を、賜物=神からのプレゼントとして受けます。それは何かミステリアスな力を得るプレゼントではありません。教会に加えられ、そこで様々な働きをして行く力を得るプレゼントです。自分に与えられた神からの使命に生きる力を得るプレゼントです。 礼拝後永幡肇氏を囲んで「グルントヴィと賀川豊彦」という題で講演を聴きました。グルントヴィも、彼の影響を受けた賀川豊彦もビジョンを持つプレゼント、愛に生きるプレゼントを神からもらった人達です。

イエスに召された教会は福音のことばを2000年間語り続けて来ました。それは平岡ジョイフルチャペルも同様です。時に喜び、時にがっかりしながら、その度にイエス・キリストの赦しと愛に向かって方向転換を続け、イエス・キリストを告白してバプテスマを受ける一人一人を家族のように愛し続け、相互の交わりを続け、礼拝を守り続けてきました。そして共に北海道に生きる沢山のキリスト者の友と祈りあい助け合って来たのです。

d0224356_14214877.jpg
カナダリッチモンドバプテスト教会の証
d0224356_14220169.jpg
         永幡先生の講演
今日は沢山ごちそうがありましたが、写真を撮っていませんでした残念


[PR]

by hiraoka-joyful | 2018-10-28 14:25 | トピックス  

10月21日18年今日の糧

窮地に陥った者の逃れ場

詩編142編1節ー8節

この詩篇の背景は、「ダビデのマスキール。彼が洞窟にいたときに。祈り」という題名にあります。ダビデは、神の民として選ばれ、聖書を生み出した国民イスラエルの王になった人でした。 そしてこの祈りは、ダビデが自分の妻の父、かつては自分を愛し取り立ててくれた以前の王に追われて洞窟にいた時の祈りです。ダビデはこの洞窟を、「牢獄」に例えています。ダビデは、洞窟の中で叫ぶ祈りをしました。叫ぶとは、自分の心にある言葉を神に注ぎ出す行為です。主なる神に祈るとき、はっきりと言葉にして祈ることが大切です。神は言葉をもって、人格をもって私たちと交わりたいと願っておられるからです。

主なる神はダビデが通ってきた道、これから通る道を経験的に知っている方です。主なる神ご自身が、罠に掛かった足の痛みや、人々に捕らえられる辱めを先に経験しているのです。その上で、私達がその罠を逃れる事が出来るように、助けてくださるのです。だからダビデは主なる神に包み隠すことなく自分の現状を伝えています。自分にとって一番きつい問題を、誰かと分かち合うのはなかなか難しいでしょう。けれど実は、それが真の神、私達を愛して大事にして下さる神としっかり向き合うためにとても大切な時間です。  主なる神から慰めを得る貴重な機会となるからです。そうしてダビデは苦しみと孤独の中で、主なる神こそ自分にとってかけがえのない方だと発見したのです。

そしてダビデの祈りの目的がこのように変わります

1)「あなたの御名(神アドナイ)を感謝するために」

2)「主に従う人々がわたしを冠としますように。」

私達は教会での祈りを通して私達の救い主イエス・キリストに出会います。イエス・キリストがおられなかったら、今もどうやって生きて良いか解らないでいた小さな者達に、主なる神が父のように、母のように妻のように、夫のように、親友のようにしっかり関わって下る事を、私達はこの場所で知るのです。私達の小さな祈りの言葉を聞き逃さず、時期に応じて助けて下さる主なる神がおられる事を体験するのです。

私達は一人では神を褒め讃えることが難しいもの達です。しかし礼拝の中で、私達の唇に神を賛美し褒め称言葉が生まれてゆくのです。

d0224356_13122551.jpg
アドラムの洞窟の場所
d0224356_13120409.jpg
      秋の豊かな食事


[PR]

by hiraoka-joyful | 2018-10-21 13:16 | トピックス  

10月14日18年今日の糧(子ども祝福礼拝)

全ての子ども達は神を讃える

詩編8編1節-10節

詩人が見ている天と地は、この地に私達と共におられるアドナイという神の名を呼び合っています。詩人にとってそれが賛美の始まりです。ではこの方、アドナイへの賛美はまず誰から歌われるか。全地の筆頭にあげられたのは、幼子、乳飲み子の口です。詩人ははっきりと伝えています。子ども達の賛美こそ、全地の中で最も力があることを。

それは基板であり、砦だと伝えています。その砦は多くのもの達の攻撃から、守る砦です。

お前の神はどこにいる。お前は神に苦しめられ、捨てられている。

神も大事かもしれないが、現実に目を向けよ。

苦境は自分の力で切り抜けるしかない。ETC

このような声が、教会の外だけでなく、教会の内側にも、信仰者の内側にも響くとき、幼子の賛美はその様な惑いから私達大人を、神の名に引きもどします。すると不思議なことが、私達の中に起こってきます。

自分達を肯定するために主なる神に敵対することしか出来なかった人々の罵りや悪態や世の中を呪う言葉すら、幼子の賛美は鎮めると、詩人は伝えています。

私がこの度参加したアジアキリスト者女性会(ACWC)は、アジア諸国で深刻な子どもの人身売買の問題に60年取り組んで来ました。今回のバンコク大会は60年記念大会で、アジア諸国から150名ほどの委員や陪席が参加しました。オープニングで賛美を歌ってくれたのはミッション系学校の子ども達でした。子ども達の賛美によって、長旅で疲れていた参加者の心がほぐされました。

土曜日6日、私はバーンジンジャイを訪問しました。小さな借家で子どもの児童福祉施設を開き続けて20年。今広い敷地と、建物が祈りの中で与えられていました。最も貧しく、苦しみを受けた多くの子ども達を愛する先生方が、彼等の口に主なる神の名前を呼ぶ力を戻し、彼等の口に賛美が生まれてきたことによって、彼等自身を取り巻く環境が変わってきたのです。訪問した日は土曜日の礼拝が行われていました。その日礼拝を共に守っていた人々がいました。彼等は教会のメンバーではありません、パタヤの繁華街にあるバーの人々です。入れ墨、強面の人々が喜んで仕え、子ども達に食事を提供していました。子ども達と喜んで賛美を歌っていました。幼子の賛美が生まれるとき、このような大人達の心にも、主なる神が自分をも愛していることが伝わっている。

これがまさに、幼子の賛美が生み出す驚きの事実です。

d0224356_14051680.jpg
     今日の子ども祝福礼拝の様子
       
d0224356_14052718.jpg
     ちらし寿司です


[PR]

by hiraoka-joyful | 2018-10-14 14:08 | トピックス  

10月7日18年今日の糧

10月7日の宣教は、オープンドアチャペルの協力牧師であるジェームス・アリソン師でした。ヤコブ書1章2〜12節から「主の備えの中に生きる自由」について語って頂きました。牧師はタイバンコクで開かれたアジアクリスチャン女性の会(ACWC)に参加する為3日(水)から7日(日)までバンコク在住でした。7日はタイ福音聖書教会での宣教でした。
d0224356_19422210.jpg
大会の様子
d0224356_19413095.jpg
バンコク神学校訪問
d0224356_19423639.jpg

バーンジンジャイ訪問
d0224356_19405960.jpg
7日の昼食から

次週礼拝の中で主の晩餐式と子ども祝福式があります。

[PR]

by hiraoka-joyful | 2018-10-08 19:48 | トピックス