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2月17日19年今日の糧

だからイエスは、傷ついた者を癒す

ルカ10章25-37節

このたとえ話は、隣人を愛するという言葉は知っていても、自分の隣人が誰なのか見つけられない人に語られています。

エルサレムからエリコへ下る道というのは、荒涼たる道であり、強盗や追いはぎがよく出没する危険な道でした。そこで一人のユダヤ人が神殿詣りの帰り道、ひどい災難にあいます。この半殺しにされて倒れている人を見ながら道の向こう側を通って行った二人の人は、祭司とレビ人ですが、

この祭司とレビ人は共通した態度をしています。

それが、隣人を見つけられない者の態度です。

1.現在苦しんでいる人を認識する

2.けれどその人の状況を見ないようにする為に、近づかない。

次にイエスは、隣人を見出す人の態度を伝えています。

1.見る(認識する)

2.憐れに思う 

3.希望を持って近づく

隣人を愛すると言う事は、彼や彼女の現状を明らかにして、「あなたは死にかけていますね。」

と側で見つめることではありません。なんとか命の方に瀕死の旅人が向き直るために、

希望を持って近づき、希望を持って働くのです。それは具体的な働きを伴います。

律法学者はこのイエスのたとえ話を良く理解しました。ですからこの人はイエスに

憐れな怪我人の隣人になったのは、憐れみ(具体的な助け)を行った人だと言っています。サマリア人は瀕死の怪我人を見た。そして陣痛のような痛みを持って、具体的にこの人を介抱した。また宿屋の主人もこのサマリア人から託された憐れみによって、その言葉の通りに、サマリア人が戻ってくるまで、どんなに彼が多くを費やすことになっても、約束を信じて介抱し続けたのです。

 イエスは答えを見出したこの律法学者に、特別な励ましを伝えます。「72人がイエスの名によって、幼子のような気持ちで、イエスの言葉通りに出かけて行ったように、あなたも行って、あなたが出会う人達に具体的な助けを行いなさい。」と。

もはやこれは、彼にとってめんどうで、煩わしいことではありません。人のために労して自分が損をすることでもない。多くを費やすことがあっても、必ずそれは償われることを、イエスはこの譬の中でも伝えているからです。彼は律法学者としての正しい見識によって、社会の中で苦しむ人々に的確なアドヴァイスをすることに労を惜しまないものになる。彼を必要とする人の隣人になるのです。

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             パンと餅とうどんと蕎麦 沢山の思いやり



by hiraoka-joyful | 2019-02-17 13:15 | トピックス  

2月10日19年今日の糧

だからイエスは、幼子のような者を喜ぶ

ルカ10章17-24節

自分が体験したことに興奮して喜ぶ。そんな無邪気な弟子達に、イエスは、本当の喜びはもっと凄いぞと教えています。それを聞いたとき、弟子達の喜びはもっと大きくなったでしょう。72人の中には、ユダヤ人社会の中で会堂での礼拝すら赦されない者がいました。その様な弟子達にとって、自分の名が主なる神に覚えられているなどとは想像したこともないもの凄いことなのです。

  天に名前が記されていることは、父なる神の戸籍に神の子として名前が記されているということです。現住所はそれぞれでも、本籍は父なる神を筆頭者とした戸籍です。イエスを自分の人生の救い主として受入れ、父なる神の子として生きる決意をした者は、皆そこに名前が記されたのです。地上の人生においてどのようなことがあっても、信仰の歩みにおいて害を加えられ、志半ばで命を失うようなことがあっても、人生に望んでいた成果をあげることができなくても、あるいは誘惑に負けて背徳に陥り、サタンに「この人はこんな罪を犯した」と父なる神の前で訴えられてしまうことがあっても、父なる神が、「いや、この人の名は私の戸籍に書き記されている。この人はわたしの子、私の救いにあずかる者だ」と宣言して下さるのです。

 父なる神が、罪のある人間を赦し、しかも子どもとして戸籍に入れると言う事が知らされたのは、知恵者ではありません。自分を賢いと誇る者でもありません。師匠であるイエスの言葉の通りにやってみたらその通りになったと喜ぶ「幼子のような者」に伝えられたことなのです。 幼子のような者は師匠の言葉を分析しません。取捨選択しません。師匠であるイエスが大好きで、それに習いたいと思うものです。幼子のような者は自分の無力を知っています。でもその幼子の様なものを慈しんで、最善のことを経験させて下さるイエスに信頼する者です。幼子のような者は、師匠であるイエスから離れたら、自分が途方に暮れることを知っている者なのです。

これが教会に集う私たちの幸いです。狼の群れの中に送り込まれた小羊のように無力な私たちを、イエスの愛が守り続けておられる事、その愛を私達から取り上げることが出来る者はない事、これが本当の喜び、本当の幸いです。

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      寒い日に暖かい汁物

 


by hiraoka-joyful | 2019-02-10 13:58 | トピックス  

2月3日19年今日の糧

だからイエスは、泣く者を憐れむ

ルカ7章11-17節

夫を亡くし、一人息子の成長を楽しみにし、頼りともしていた母がいました。しかしその息子が死んでしまいます。彼を送る葬列に、イエスは出くわします。葬列では、人間のいかなる慰めも及ばない絶望の中で泣き叫ぶ母親の声のみが虚しく響いていました。イエスはその母を見つめます。イエスは人々の悲しみの渦に立ち向かう方でした。息子を失い絶望している女を見て、イエスの内側に憐れみが起きます。この憐れみは、女性が子どもを産むときの陣痛を伴うような憐れみでした。子を産むときなぜ身体を引きちぎられるような、陣痛の痛みに耐えられるのでしょう。それはその痛みを通して新しい命が生まれる希望を持っているからです。

 イエスは、この母親を見て憐れに思いました。イエスは、今ならまだこの息子を死の淵から取り返せると、しっかりと見据えます。そしてイエスの内に起きた憐れみが、まるで陣痛が起きたように、死から命の方向へ、この息子とその母に働き始めたのです。

イエスは柩の上に声を掛けます「若者よ、あなたに 、私は言う。起きよ」と。 

イエスが、死んだ若者に、命の方へ目覚めよと命令したのです。

そして青年は イエスの言葉通りに起きます。 

死人はどうやってイエスの言葉が聞こえたのでしょう。彼を揺り動かし、彼がいた死の世界から戻るために、起き上がる力はどこから湧き上がったのでしょう。そして彼は起きただけでなく語り始めています。彼の舌は何に動かされ、何を語ったのでしょう。

そこに働いた力もまたイエスの憐れみです。

陣痛が起きるとき、そこに生まれようとする赤ん坊にも不思議な力が働きます。赤ん坊は自分を生み出してくれる母親に呼応するかのように、生まれる体制になるのです。それと同様なことがこの若者にも起きたのです。

イエスの憐れみに呼応して、彼の耳は開き、イエスの言葉を聞き、その言葉に従って彼は自ら柩から起き上がり、素晴らしいイエスに感謝する言葉を語り始めたのです。彼もまた、イエスの招きに答えた弟子達と同様イエスの恵を味わったのです。

イエスは起き上がって語り始めた青年を、その母親に与えました。

He presented him to his mother.

この事が、これからの二人にとって最も大切な事です

 イエスの憐れみは私達のためにも働きます。私達が本当にがっかりしても、イエスはその問題の前に立ちはだかります。このイエスに信頼して見ませんか?

               

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牛丼美味しかったです。タップリ頂きました。


by hiraoka-joyful | 2019-02-03 13:38 | トピックス  

1月27日19年今日の糧

それでもイエスは、嫌われ者の友になる

ルカ52732

先週の礼拝で、私達はシモン、ヨハネ、ヤコブという3人の漁師が、イエスについて行った箇所を読みました。

イエスは次に誰に目を注いだか、誰を呼んだか。それは一人の収税人でした。

彼らはユダヤ人社会から税金を徴収する人でした。その税金は彼らを支配しているローマ帝国のために使われていました。ユダヤ人社会が彼等を憎むことは、支配者達にとって好都合でした。彼等はどこにも所属していない宙ぶらりんの者達でした。どこにも属せない宙ぶらりんの者に、イエスの側に来い。イエスが伝える神の国に属しなさいと招いたのです。

5:32わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」

イエスは自分の立場、働きをはっきりと伝えています。

イエスは医者の役目を知っています。そして、イエス自身が医者となると宣言されます。

1)イエスは罪人を招きます。

イエスの招きが必要な人は、自分が罪人だと自覚する者です。自分は神に喜ばれることは出来ていないからと、神の前から逃げ出している人です。イエスは、このような罪人を招いているのです。

それは病人である私たちが、医者であるイエスを招いて、往診をしてもらうのではありません。私達のどこが痛んでいるか、何に苦しんでいるか、どのような薬が必要か、イエスはきちんと診察し、イエスの元に来て癒されなさいと、一人一人を招いているのです。

2)イエスは悔い改めに招く。

イエスは医者として、病人である罪人を治療します。 その治療とは、悔い改めさせることです。自分の罪を知り、自分がその罪を赦していただかなければならない者であることを知り、罪と訣別して新しくなることを求めていくところに、悔い改めが起ります。

そして悔い改めた者は、自分の医者になったイエス出会い、神が与えた霊の息をスムーズに吸い吐き、神が自分を愛し、友としてすぐ側におられる事に目が開かれます。そしてイエスの言葉の中に真実な神の声を聞くのです。

しかもイエスはこの治療のための薬を私達に与えました。その薬はイエスの命そのもの、イエスの愛そのものです。イエスは私達を招いて、自分の命を私達のために処方しています。私たちは、きちんとこの薬を手にし、飲むだけです。そうしたらどのような者でも、必ず癒され、元気になり、新しい日々を送る者にされる。イエスはこのように約束しているのです。

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カラバージョ画
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今日の具は、ミートソース、辛子のり、明太の3色でした。


by hiraoka-joyful | 2019-01-27 13:43 | トピックス  

1月20日19年今日の糧

それでもイエスは、私達を連れて行く

ルカ5111

 

イエスの噂はガリラヤやイスラエルの北部で評判になっていたので、イエスのもとに群衆が押し寄せて来ました。その一角に、その様な群衆の姿に目もくれないで、ため息をつきながら黙々と仕事をしている人達がいたのです。彼等は漁師でした。イエスは彼等に目を注ぎます。

漁師達は毎回漁から帰る毎に、次の出漁に備えて装備を点検し、綺麗にしなければなりませんでした。たとえその夜全く魚が捕れなくても、彼等は次の漁のために備えていました。イエスはそのような姿勢の人達に声を掛けています。そして彼等の舟を出させて、舟から群衆に語りました。イエスは話し終えると漁師の一人シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と命令します。ベテランの漁師であるシモンたちが、夜通し苦労したのです。そのように苦労しても魚が捕れなかったのに、昼間に網を降ろしたって魚が取れるはずはないというのがプロの漁師であるシモンたちの考えでした。しかしシモンは、イエスが言われたことを拒みませんでした。  

イエスは、今度の働きはあなた方の漁のため魚を必ず捕まえ、徒労の虚しさを癒すと彼等に伝えたからです。だからシモンはイエスの言葉を神の言葉として聞いたのです。そしてシモン達はこの慈愛に満ちたイエスの言葉に聞き従おうと決めました。

すると彼らが一晩中苦労しても何もとれなかったのに、イエスの言葉通りにしたところ、二艘の舟が溢れるほどの大漁になりました。

神の圧倒的な恵みの印を見たシモンは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と叫びました。

 イエスはひれ伏したシモンに、「恐れるな」と強く命令しました。この語りかけ、赦しがなければ、人は誰も神と向き合うことが出来ない者です。 そして恐れずに神の絶大な恵みに向き合ったシモン達に、彼等が驚くことを、イエスは伝えます。

 今からシモンは人間を捕ると

彼ら自身が、罪を赦され、イエスと共に舟に乗る者とされた。この舟の中に、おびただしい魚の群れが入ってきた。それは、これから彼等がイエスと共に漕いでゆく舟(教会)の中に、イエスが神の国に招く人々が乗せられることの前兆でした。彼等は神の国の善い知らせを伝える働きをし、この仕事がこれから生涯の仕事になると、イエスは宣言したのです。

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             羊羹頂きました。


by hiraoka-joyful | 2019-01-20 13:55 | トピックス  

1月13日19年今日の糧

それでもイエスは、神の恵みを伝える

ルカ41624

イエスは安息日にナザレの村人と村の会堂で礼拝を守ることを習慣にしていました。

 またイエスは礼拝の中で聖書読む役目を行っていました。

当時、会堂(シナゴーグ)は、人々が集まって礼拝を行い、ここで教育を受けていた場所です。安息日の集会では律法朗読、預言書朗読が行われました。律法と預言の箇所は読み手によって自由に選ばれました。読み手は文字をちゃんと読める人で、聖書について深い造詣がある人です。

村人の中でもその任に立てる人は少数で、イエスもその一人でした。

イエスは今、このナザレで読むべき預言書の場所を見つけます。その箇所は、数百年も前に一人の預言者が神から託された負債解放の言葉でした。彼はまずナザレの人々に、この解放の宣言を伝えたかったのです。

イエスはナザレの村人が貧しく、そして他所のことをうらやむほどに縮こまり、自分達が未来に向かってどう生きるか見えないまま過ごしている事を一番痛感していました。だから自分を育ててくれたこの村人にイエスは語りかけました。ナザレの村人がたとえ貧しさにあえいでいても、人を恨み、神を呪うのではなく自分達よりさらに弱い者を踏みにじることで満足するのでなく、

本当に苦しんでいる、死にかけている程の人々に、憐れみの心で接するなら

あなたの闇は消える。必ず主なる神があなたを助ける

それが彼等にイエスが伝えた福音であり、今この言葉を聞く私達に伝えている福音です。

 イエスの福音は村根性の中では育ちません。 特権を欲しがる気持ちの中では根腐れするからです。

 ナザレの人々は、まずは自分の身内を豊かにせよと、口にはだしていません。しかし彼等の目は口ほどにものを言っていたのです。既に彼等の心の中ではその言葉、「医者よ、自分自身を治せ、何故わしらに慈愛を与えないのか」という言葉が渦巻いていたのです。イエスはその問いにアーメンと答えました。イエスは村根性に生きる彼等にも、真実に答えるかたでした。

イエスは誰に向かってアーメンと応答しているのでしょう。

  それは拒否され続けるイエスを彼等の中に送り、福音を語らせ続け

イエスを見つめるもの達に、神の愛を究極まで見せ続けた方への応答です。

ナザレの人々を、そして今日この言葉を聞いた私達を真実に愛した主なる神への応答です。

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このあんかけの中には、ホタテが入っていました。(美味)


by hiraoka-joyful | 2019-01-13 15:57 | トピックス  

1月6日19年今日の糧

まずは賛美の角笛を

ヨシュア6章1~7節

これは真実な神を信じる人を、神が素晴らしい仕方で、助けをくださる物語です。 

スパイを助けたラハブはイスラエルの人々の一員として迎えられ、スパイの一人と結婚したのです。ラハブは城壁の中に住んでいた遊女です。彼女は、おそらく貧しさの中で遊女となり、エリコの町ではさげすまれていた立場の人だったでしょう。本来なら自由もなく、死ぬまで城壁の中にいなければならなかったのです。真実な神はエリコの城壁を打ち壊すとともに、この女性も解放し、新しい人生を歩むようにされました。

この女性は、城壁の中で角笛を聞きました。その音色は、彼女にとって解放を告げる音でした。

イスラエルの兵士や民だけでなく、この角笛の音色に、彼女は励まし続けられました。もし彼女がスパイを逃がしたことが知られたら、彼女の命は、取られてしまいます。ですから彼女はこの角笛を聞きながら、主なる神に祈っていました。そして時が来たら直ぐさま、その場所から離れることが出来るように、家族にもしっかりと主なる神の事を伝え、身の回りを整理して待っていたのです。

みなさんこの時主なる神は、景気づけに角笛を吹き鳴らせたのではありません。角笛は進軍ラッパではないからです。

この音色は、目にはっきりと、神の姿が見えることがなくても、自分の周りに自分を取り囲む壁があっても、主なる神を信じる者に、神が共にいて下さることを伝える音なのです。

では、今私達に響く角笛の音色は何でしょう。

それは賛美の歌声です。賛美の歌声が、主なる神が、この礼拝の中に、私達の生活の中に主なる神がいて下さることを伝えているのです。

 なぜなら賛美は、主なる神が私達の内に響かせて下さる角笛だからです。私達は賛美によって、明日が見えない、自分の周りにある壁が破れないと、意気消沈する気持ちが薄れ、主なる神を信頼する信仰が生まれてくるのです。これからもわたし達を励ましながら、世の終わりまで毎日毎日共にて下さるイエス・キリストにそこかしこで出会いながら、一緒に真実な神を礼拝しましょう。

礼拝の中で賛美の角笛を吹き、神の言葉を持ち運びながら、私たちは2019年を進んで行きましょう。

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緑色は毬藻羊羹です。

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  これは餅です


by hiraoka-joyful | 2019-01-06 13:48 | トピックス  

12月30日18年今日の糧(年末感謝礼拝)

カムバック!の約束

使徒1章3-11節

イエスは苦難を受けた後、新しい命に生きる方になりました。それは十字架の苦難から3日後のことです。その時、イエスは任務を終えたのですから、直ぐさま神の国に帰って良かったのです。でもイエスはそうしませんでした。

ギリギリまでこの地上に残って神の国を教え続けました。なぜならイエスは弟子達や、イエスの教えを慕っていた女性達を大切にしていたからです。この人達から最初の教会が生まれました。

 この事は、私達が今集っている教会がイエスにとってどのような場所なのか、明らかにしています。

 教会は、

1) イエスが本気で大切にしている人達の集まりです。

2) イエスが神の国に是非来てほしいと願っている人達の集まりです。

3) 自由人として、素晴らし人生を送ってほしいと、イエスが導いている人達の集まりです。

そしてイエスは、雲のような父なる神の臨在に包まれて、イエスが愛した人々の目から見えなくなります。 

イエスがその場所を離れるその前に、父なる神が彼らにもう一つの約束を与えました。その約束とは、弟子達を愛し抜いたイエスが、再び来られ、また見えるようになるとの約束です。

イエスは弟子たちと共に生き、歩み、笑い、教え、導き、食事してきました。

そして命をかけて彼らを愛し抜き、新しい命の道を開きました。そのイエスが同じ愛を持って、イエス・キリストを信じる群れ教会を大切にして、私達を新しい命に生かして下さっています。

このイエスが再び来られ、その姿を見ることができる。

イエスが愛した人々は、このイエスの再臨の約束を語り伝えるものとなり続けました。またその約束に、世界中の教会は留まり続け、証をし続けています。

 私たちは、イエスが再び目に見える姿で来る時を知る事が出来ません。ただ、父なる神が約束通り与えられた聖霊が、イエスが再びおいでになるその時を目指して、私達平岡ジョイフルチャペルに集う一人一人と共に働き、私達の祈りを導き、私達に聖書をよむ理解力を与え、私達が主を賛美することを喜んでいるのです。そしてたとえ目に見えなくても、イエス・キリストは、約束して下さった通りに毎日毎日共にいてくださる事を、聖霊は私達に伝え続けています。来る2019年も、私達は礼拝で、私達の祈りの場で、私達の生活の場で、イエス・キリストに出会ってゆきましょう。

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礼拝後大掃除でした。皆様2019年良いお年をお迎え下さい。

           


by hiraoka-joyful | 2018-12-30 13:00 | トピックス  

賛美と感謝のイブ礼拝2018

クリスマスのお喜びを申し上げます。
昨晩はイブ礼拝が行われました。
今年は沢山クリスマスの賛美をいたしました。
H姉妹や賛美チームのリードで老若男女笑顔で会堂に賛美が響きました。
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by hiraoka-joyful | 2018-12-25 11:52 | トピックス  

12月23日クリスマス礼拝18年今日の糧

大切にされた人への贈り物

マタイによる福音書 第2章1-12節

 「なぜクリスマスにプレゼントをするのでしょうか」、それは今から二千年前イエス・キリストが誕生した時代にさかのぼります。それは「博士達の訪問」という物語に由来しています。

私達が見ているツリーに、贈り物のデコレーションが飾ってあるのは、この博士達のプレゼントを現しています。

大切な人に、クリスマスの贈り物をする。それは美しい習慣です。でも私達は、本当の贈り物にこそ目を注ぎましょう。それは、プレゼントを差し出された方のイエスの姿です。

その子はなぜこの世界に生まれたのでしょうか。

それをハッキリと伝える聖書の言葉があります。

ヨハネ 3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

 クリスマスの出来事が伝えているのは、この愛です。

  わたしにはかつて住んでいたタイで、いまでも忘れられないクリスマスがあります。

そのクリスマスの日、私の元に電話が掛かりました。友人であるタイ人の牧師でした。彼女は私にこう頼みました。自分は日本人の見舞いに来ている。しかし彼のためにイエス様を伝えたい、祈りたいと思っても、自分には日本語が出来ない、先生一緒に行ってくれないか?そう言って、百キロ近い道をやって来ました。一人の人を、しかも彼女とは本来何の関わりもなかった日本人を本当に大切にして、どんな労力も厭わない友人の気持ちに、わたしは打たれました。

この日本人の方は、タイに長く住んで、タイで事業をし、ひとかどの財産を持った人でした。多くの人も使って自分の力で異国の生活を切り開いてきたのです。でも病床の彼が私に言われたのは、「さみしい」という言葉でした。本当は父の国、母の国日本に戻って行きたかったと言われました。そこには彼にとって、沢山愛され本当に大切にされた思い出があるからです。「さみしい」と言われるこの方に、私はイエス・キリストのことを伝えました。イエス様はあなたを見捨てない。大切にしている。イエス様が、あなたに神の命を与えると。そしてこの方と祈ったのです。すると、この方は病床で本当に安心されました。そして2日後召されてゆきました。

これが神の愛が起こしてゆく事です。クリスマスの本当のプレゼント~神の愛は、今も私達にこうして届けられています。どんな人でもこれを受けることが出来るのです。

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ご馳走ありがとうございました。


by hiraoka-joyful | 2018-12-23 13:50 | トピックス